(弥生廿七日 有明月) 死刑判決  社会

和歌山の毒物カレー事件で殺人罪に問われた林被告に最高裁の判決があった。全員一致の棄却判決で死刑が確定した。1998年の地区の夏祭りの惨劇に終止符がうたれたわけだが、なにか釈然としない。心証的にはあのおばはんは「真っ黒」だが、なにせ状況証拠の積み重ねで直接証拠がないという矛盾をこの裁判ではあやふやにしてしまった感が強い。4人が亡くなっている事実を考えれば、有罪であれば死刑が当然だろうし、無罪とするのも難しいということか。

今年は裁判員制度がスタートし、一般人もこうした裁判に関わってくる。そもそも法治国家である以上、裁判に当たっては以下のことが重要である。

1.刑事訴訟の原則である無罪推定の原則に従い、被告人は有罪判決が下るまで無罪と考えること。

2.被告人の有罪を証明する全責任は検察側にあり、被告人は無罪であることを証明する必要はない。

3.有罪とするには合理的疑いを挟まぬ証明がなされればよい。

4.質問に被告が答えたことは、被告にとって有利にも不利にもなるので、質問に答えない権利がある。

人の生命を奪った凶悪事件の裁判に臨む人たちに、これらの原理原則を自ら律していただくのはなかなか困難だろう。今回の場合、私も林被告が犯人だと思うが、検察が完全に立証したとはいえないのであれば、判決として無罪の可能性もあったはずである。立証責任は検察だけにあり、裁判官裁判員は提示された証拠だけでのみ判断するというのが裁判の鉄則である。

日本国憲法第31条には、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」とある。刑事訴訟の当事者主義の原則により、裁判所に対し処罰を求める一方当事者である検察官が被告人の犯罪事実を主張立証するのが法律手続きである。よって、検察官が被告人の犯罪事実を立証し、他に犯行者のいる可能性を排除する立証ができなければ、当該処罰を求める請求は認められないこととなり、被告人は何らの処罰も受けないこととなる。

さらに昨日は栃木の幼女殺害事件で被告の決定証拠とされたDNA鑑定で、不一致と再鑑定されたのも当時はまだ精度が低かったためである。今回犯罪に使われた砒素は最先端のスプリング8で科学鑑定したと検察はいうが、完全一致とまでは証明されていない。今回の1700点にも及ぶ証拠を提出した検察の努力は認めるが、それでも完全に他に犯行者のいる可能性を排除できていないのではないか。
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