(神無月廿日) 友人の基準  社会

この季節喪中の葉書がよく来る。社会人になって30年、親の年齢もはや80歳を遙かに過ぎていった。自分の息子に子供ができ、自分自身がじいさんになっても不思議ではない。生まれ故郷からもう何十年と離れて生活し、大学時代の友人も会社に入れば離ればなれ、会社に入っての先輩、同期、後輩も私が転職を繰り返すたびに遠ざかっていった。振り返れば友と云うべき存在も私にはいないのではないかと思うことが多くなった。しかも無職という状態になればなおさらである。自分が反対の立場であれば、やはり気を遣って声をかけにくくなるかもしれない。でも本当は心が壊れそうに寂しくなることがある。それに比べれば愚妻などはこの環境でもびくともしない。ただ死ぬとかだけは云わないで、というだけである。

学生の頃は親友が周りにあふれていて何とも思わなかったが、4年の時親しい人ができて、周りから浮いてしまった経験があった。でも卒業が近づくに従って再びゼミ仲間で集まることもあった。しかしそのゼミの仲間も今は数人と年賀状を交わすだけだ。こうなれば自分に友がいないのは人格的欠陥ではないかと最近思うようになったりもした。そんなときに20年以上も前の日経のコラム「交遊抄」で友人の基準と題して、山田太一氏が寄稿していたのを目にした。今の私が少しほっとしたので全文を引用させてもらう。

「友人の基準」 シナリオライター 山田太一 著

学生のころは、友人との関係が社会であり人生であり喜怒哀楽の大半でもあったが、仕事につき世帯を持ち子供を育てている間に友人との距離はどんどん遠くなり、気がつくと親友と呼べるような人がひとりもいなくなっていた。私はそれを自分の人格的欠点だと考えはずかしくも思ったし、親友がいるようなふりをしたこともあった。

四十代も半ばになって、ようやく自分が厳密すぎるのだということに気がついた。こんなことはわらうべき世間知らずで、書くのがはばかられるが、長いこと私は、親友というものを学生のころのそれを基準にして考えていたのである。

いくら話しても話し足りず、別れがたく、なんでも打ちあけ、傷つけ合い、というような関係が親友同士だと思っていた。そんなつき合いが、職業を持ち妻子をかかえてからの男同士にまずあるはずもない、もしあったとしても、かなり特殊なことだということに、長いこと気づかずにいたのである。

だから旧友と逢うたびに、昔に比べて距離が出来てしまったことが気になり、仕事を持ってからのつき合いも、お互いの水くささばかりに敏感で、どうもこの人を友人とは呼べないのではないか、などとすぐ思い、気軽に「あの人も友人、この人も友人」などという人に、ひそかに嫌悪を抱いたりしていた。

七、八年前、旧友二人とのんでいて、急に自分は一人ではないのだ、という感情がこみあげたことがある。こういう友人がいるのだということに深く慰さめられていた。しかし、彼らはその時私のかかえていた厄介についてなにも知らず、雑談をして別れた。この程度なのだな。大人になってからの友人というものは。これでも親友と呼んでもいいのかもしれないな、とその時漸く青くさい偏屈から脱け出した思いがあった。いまはなんとか「友だちはいますよ、いっぱい」などといえるようになっている。

――1987年3月10日 日本経済新聞 最終面「交遊抄」

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