(神無月壱日 朔) 全共闘の亡霊  政治

民主党政権は菅体制になってますます不透明になっている。友愛とか東アジア共同体とか意味不明ながらも自らの理念らしきものをもっていた鳩山前首相に比べれば、その指導力のなさは目を覆いたくなるばかりだ。他方ますます存在感を増しているのが仙谷官房長官である。弱腰外交を柳腰とかわすなど妙なところで弁護士風情が見え隠れしている。

そもそもこの二人に見られる共通点は学生運動の影響である。民主党にはこのほかにも元活動家が多い。千葉景子前法相は中央大学全共闘(ブント系)、赤松広隆前農水相は早稲田大学の社青同開放派の活動家だった。彼らは全共闘世代といわれるが、正確に言うと菅は全共闘ではなく、東工大の穏健派学生運動リーダーであり、仙谷は東大のフロント(社会主義同盟)でこちらも議会を通じて改革しようとする穏健派である。

当時の学生運動の主流は「三派全学連」とよばれた社学同(ブント)、社青同、中核派などの暴力革命によって権力を掌握しようとするマルクス・レーニン主義であり、菅や仙谷の議会主義は少数派だった。全共闘の命は短く、1969年1月の東大安田講堂の攻防戦をピークに主流派の活動家は逮捕され、分裂した組織は連合赤軍のように武装闘争に走り、内ゲバで自滅していった。

全共闘の活動家も多くは企業戦士に転身していった。「いちご白書をもう一度」の世界である。逮捕歴等で就職できなかった者は自営業や弁護士、フリーライターを目指した。多くのTVの政策プロダクションや編集プロダクションを創立したのもこの元全共闘世代である。また菅や仙谷のような穏健派は社会党などの政党活動に進んだ。

80年代に日本は世界最強の経済大国として賞賛され、元全共闘の企業戦士は資本主義の先頭に立ち、学生時代の理想であった社会主義の崩壊を眺めていたのである。90年代のバブル崩壊で失われたのは経済だけではなかった。政党も社会党のように自民党と連合し安保や自衛隊を丸呑みして自滅していった。

民主党は新党さきがけに社会党の一部が合流し結成されたが、解党した新進党グループが合流し、2003年に自由党が合流したので、民主党は統一した理念のない雑然とした政党になった。このあたりは日本のメガバンクの軌跡にも似ている。

この彼らの目標が政権交代で終了してしまったのはいうまでもない。菅の行動が定まらないのはもう目指すべき理念がないからだ。仙谷は人権派弁護士として、アジアへの戦争責任を追及していた頃の行動様式から抜け出していない。60年代に盛り上がった学生運動にどういう意味があったのかは世界的に繰り返して問われるテーマだが、日本の場合は左翼が政権を取るのが遅れ、政治的に未成熟のまま年を取ってしまった。いまや「怒れる若者たち」は労組と老人の既得権を守る側に回っているにすぎない。
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