(弥生壱拾六日 昭和の日) 天長節変遷  社会

平成も22年となれば本当に昭和も遠くなったものである。昭和天皇の誕生日としての4月29日は平成になって「みどりの日」となり、数年前の祝日法改正で「昭和の日」となり、「みどりの日」は国民の祝日となっていた5月4日に移行された。でも今日祝日で一般家庭で日の丸を掲げたお宅はどのくらいだろうか。

僕の年代だとやはり4/29は天皇誕生日の意識が強いし、GWの幕開けという季語でもあった。その昔はやっぱり天長節ということか。戦前は四大節といって、新年、紀元節、天長節、明治節と決められていた。そのいずれもが今も祝日となっているのだから、不思議なものだ。2月の建国記念の日は本当に影が薄いし、11/3の文化の日は元明治節は現憲法も関係する日だけれど、やっぱり文化勲章とかが思い起こされるのではないか。

ところで天長節は775年の光仁天皇から始まったものだ。その後は武士の時代になったので休止となり、明治になって復活したのである。しかし当時は陰暦を使用していたので、明治天皇の誕生日は9月22日だった。そこで今の暦になった1873年以降は11月3日が天長節となったのである。明治天皇の崩御後、11/3は明治節と称されるようになった。昭和との間の大正だが、天皇の誕生日は8月31日。でもこれを今も覚えている人も少なくなっているだろう。

戦前は日本の軍部が天皇を利用して云々とよく言われるが、昭和天皇を大いに利用したのは連合国というか米国だったのではないか。宮城や当時の天皇がいるかもしれない軍事拠点への爆撃が皆無だったことは、占領以降天皇を利用するという確信があったからだろう。そうそう今は皇居と云いますが、戦前というか戦後もしばらくは宮城ですかね、呼称は。

それにしても今上天皇は後継者ではお悩みのことでしょうなあ。レベルは全然違うがいずこも親の心、子知らずというのは大変である。
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