(葉月参拾日) 我関せず  

金曜日の日経夕刊一面「あすへの話題」で、俳優の児玉清氏の「我関せず人間」というコラムがあった。読むにつれて、そうそう、こういう人間いるなあ、と自分にも覚えがあることに気付く。車の右左折のシグナルをしなくて、急に曲がる奴が最近多いのは気になっていたが、電車の改札口やエスカレーターの出口でたむろしている人も多いが、特にエスカレーターの出口で立ち止まるのだけはやめて欲しい。いつか事故が起こりそうだ。

最近は他人の目を意識しない人間が増えてきたということだろう。つまり羞恥心が欠如しているのである。我儘を「個性」といわせるアホな評論家が多いことは情けないばかりだ。取り返しのつかないことと、取るに足りないことの区別がつかない人間が多くなったのは、やはり親の躾の問題だろう。学校教育が問題とされるケースが多いが、学校とは集団教育の場であり、ここの躾は当然親の責任である。自分で判断できない親は子供との距離を同等に、などというが、やはり子供が自立するまでは上下関係であるべきで、その方が問題が少ないはずである。

日本の教育問題は専門家といわれる人が、自分のことは棚に上げて机上の空論を重ねていった結果、迷路に入ってしまった。教育熱心な家庭で親子関係が崩壊しているケースはよくあることである。実践なき理論ほど空しいものはない。
0



トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ




AutoPage最新お知らせ