(師走壱拾四日) 放送の公共性  

番組改編訴訟の控訴審でNHKに賠償を命じた判決が出されたが、例の関西テレビの「あるある…」の問題もあって、放送の公共性が再び問われているという。しかし、この公共性という言葉に違和感を覚えるのだ。

NHKが公共放送であるというのはその収入形態から見ても肯けるが、公共というのは「おおやけ」であり、民放がホリエモンのニッポン放送株取得のときに、親会社のフジテレビをはじめ「公共放送の使命」などと何時の間にNHKになったのかという態度で臨んだことを思い出す。ビキニ姿で乳房の重さを測ったり、おっぱいパブを再現させたりする深夜番組のどこに公共性があるのだろうか。

「おおやけ」とは国家または地方自治体を指すわけで、民放は権力の座にいると自負しているのだろうか。戦後日本では「公共」というのは、個人の自由や権利を制限しうる唯一の概念である。公共概念の正体はあきらかに権力である。何かを云えば公共という刀を振りかざす経営者は、その器には相応しくないのだ。
0



トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ




AutoPage最新お知らせ