(睦月壱拾六日 望) 米国型キャピタリズムの限界  

ライブドアとフジテレビのニッポン放送をめぐる対立は、新株引受権発行という奥の手をフジテレビが出したことにより、法廷闘争へ持ち込まれるようだ。そもそもライブドアをメディア戦略をもつIT企業という見方をするマスコミが多いが、投資家としてみた方が妥当ではないだろうか。そもそもネット広告費がラジオ広告費を超える時代になったのだから、ネット事業の会社がメディアのコンテンツを狙ってM&Aをかけてくるのは時代の流れである。しかし、メディアは公共物でマネーゲームの対象ではないという意見に関しては、時代錯誤に過ぎない。固定電話でさえネット化の波に飲まれており、過疎地切捨てといわれる郵政民営化を推進しようという時代に上場企業にことさら公共論議をするのは的外れである。

ライブドアが目指しているのは米国型キャピタリズムそのものであり、そのルールの中でゲームを行なっているライブドアを批判することは吝かではないが、その米国型キャピタリズムはエンロンやワールドコムの破綻を境にその限界を警告されているともいえる。株価至上主義とも言い換えられる米国型キャピタリズムに対して、当のアメリカでの批判が相次いでいるのも事実である。株主価値を上げることは重要ではあるが、それ自体を目的化することへの疑問である。企業価値とはよりよい経営活動で自然と達成されるものだろう。

日本型資本主義はその持ち合いに安住した経営がグローバルスタンダートで機能しなくなったが、米国型キャピタリズムをコピーするという安直な方向性も芸がない。プレーヤー批判ばかりでなく、経営の本質をめぐる問題解決のルール作りが求められているのに、その方向性を指摘するメディアは現れない。
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