(皐月壱拾四日) 元首相の死  

宮沢喜一元首相が老衰のため亡くなった。都内の自宅でということで、病院でなかったのは最近では珍しいが、ヨーダそっくりの顔が恐ろしく痩せていたのを見ていて死期は早いのではないかと思っていた。

自民党単独政権の最後の政権も小沢一郎等の反乱で自民党が分裂し、細川連立政権が生まれたのが1993年だった。当時外資系でシリーズ7受験のために三鷹のビジネスホテルでの内閣不信任案可決の場面を思い起こす。あれから14年、日本は激動の時代を歩んできた。そうした中で平成の高橋是清として元首相の蔵相としての役割は大きかった。知性が邪魔をして人から妬まれることも多かったし、英語が自由に操れる政治家として米国の信頼は厚かったのではないか。

サンフランシスコ講和条約に立ち会った戦後の保守本流は、地元の利益を何事にも優先するという田中派型政権とは一線を隔したため、首相になれたのは72歳のときだった。バブル崩壊初期でなかなか自身のリーダーシップが取れなかったのは、その後の日本の方向を迷わしてしまった。過去を振り返ればこの点が残念だったが、10年前のアジア危機では宮沢氏が提唱した基金はその後のアジアの復興に大きな影響を与えたことは、余り知られていない。

戦後政治の生き証人がまた去っていった。合掌。


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