(霜月壱拾壱日) 逆転のリコール請求  政治

名古屋市の市議会リコールが逆転裁定となった。日本の多くの選挙管理委員会は、期日前選挙のときに本人確認をいい加減にして、数多くの替え玉投票を放置してきたのに、名古屋市議会のリコールチェックに当っては全く逆の事をしていた。少しでも字が下手なら無効としたり、本人確認と称しながら無効となる回答を誘導する葉書を出したり、住所が書ききれなくて住所の番地までしか記入しなかったら無効にされたり、規則を曲げて審査期間を延長してリコール有効数が規定に達しないようにするなど異例の措置がなされたのである。

日本の法や条例は法で何が駄目かを厳密に書かずに、実際の運用にその解釈や運用を委ねている。裁量行政である。いわばまあまあと言う世界である。こうした実態は大学の法学部でも教えてくれないので、皆、社会に出て痛い目にあって学ぶことができる。タテマエでは法の目的は「正義の実現」だが、本音は為政者や役人等の行政執行者が自分の好きなようにするために法や条例はあるという方がいいだろう。

文句を言われても、「私どもは法の目的(もちろん建前の)に沿って、厳格に法を運用しています。」といえば良い。この間辞めた法務大臣のようにね。

この本音の法の目的に沿って法があることを改めて知らせてくれたのが、今回の名古屋騒動である。
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(神無月廿九日) 体制崩壊  政治

中国は癇癪を起こしやすい同盟国、北朝鮮をどのように扱うのだろうか。もういいかげんうんざりしていると思うし、2006年と2009年に行われた二度の核実験の後の北朝鮮に対する態度が硬化したといわれるが、最近の中国の行動はそれとは異なる結論を示唆している。

まず第一に韓国に対する砲撃に対する国連安保理での中国の強硬姿勢である。あれだけのことをしながら何ら声明も出せない国連も情けないが、それを何とも思わない中国の傲慢さをみれば北朝鮮が緩衝国としての重要性がないという認識に至っているということはなさそうだ。

しかし、中国は政治信条として同盟国を見殺しにすることはできないと考える胡錦濤国家主席の世代の人々と、1978年以前の中国のパロディーのように見える北朝鮮によって恥ずかしい思いをさせられている若い中国高官との間にも世代的な隔たりがあるのではないだろうか。

さらに継承問題のためではなく機能する経済がない以上、体制としては国民に提供できる唯一のもの、つまり、軍事的な「勝利」を与える必要がある。それは北朝鮮は崩壊の瀬戸際にあるかもしれないということである。

北朝鮮の現体制は基本的に外の世界との衝突進路上にあるのだから、崩壊するのは必然となろう。それは中国の世代代わりと同じかも知れない。
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(神無月壱拾九日) 平時と戦時  政治

アメリカ経済が減速しFRBは第2次量的緩和をして、景気回復を目指している。FOMCの見通しの数値が下方修正されたのは、第2次量的緩和前の見通しの再確認だから、驚く話ではない。アメリカ経済がなぜ落込んでいるのか。それは、政府による住宅や自動車購入のための減税等の景気刺激策や軍事費支出の拡大傾向維持をして、景気の持ち上げを図り、民需が盛り上がるのを待って、財政支出を止めようとしたからである。

アメリカ政府の予算推移を見ると、今でも社会保障費や他の経費が減る中で軍事費だけが増えていて驚かされる。期待したほど民需が盛り上がらず、減税等の景気刺激策が切れたので、下駄が外れて経済成長率が下がったのだ。共和党が下院で勝利し、アメリカの戦争も含む外交姿勢がタカ派にならざるをえないという変化も起きている。

アメリカが輸出競争力を持つ数少ない分野は軍需産業でもある。米軍需産業は、イラク問題が落ち着いた今は、需要の低下で見通しが暗くなっている。低迷するアメリカ景気を活気付け、イラクやアフガニスタンで傷付いたアメリカ帝国の威信を取り戻したいというのが、大統領の願いだ。

昨日の北の火遊びも、TPOを選ばないと火事になる。

横田にある在日米軍総司令部の建物の前には、旗が3つある。1つは、星条旗、1つは日の丸、残りが国連旗だ。横田基地は現在は休戦中の朝鮮戦争に展開した国連軍であり、他のいくつかの在日米軍基地も同様。国連軍として米軍が北朝鮮に対して軍事行動を起こす場合は、日本政府の事前承認なしに動くことになっている。
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(神無月壱日 朔) 全共闘の亡霊  政治

民主党政権は菅体制になってますます不透明になっている。友愛とか東アジア共同体とか意味不明ながらも自らの理念らしきものをもっていた鳩山前首相に比べれば、その指導力のなさは目を覆いたくなるばかりだ。他方ますます存在感を増しているのが仙谷官房長官である。弱腰外交を柳腰とかわすなど妙なところで弁護士風情が見え隠れしている。

そもそもこの二人に見られる共通点は学生運動の影響である。民主党にはこのほかにも元活動家が多い。千葉景子前法相は中央大学全共闘(ブント系)、赤松広隆前農水相は早稲田大学の社青同開放派の活動家だった。彼らは全共闘世代といわれるが、正確に言うと菅は全共闘ではなく、東工大の穏健派学生運動リーダーであり、仙谷は東大のフロント(社会主義同盟)でこちらも議会を通じて改革しようとする穏健派である。

当時の学生運動の主流は「三派全学連」とよばれた社学同(ブント)、社青同、中核派などの暴力革命によって権力を掌握しようとするマルクス・レーニン主義であり、菅や仙谷の議会主義は少数派だった。全共闘の命は短く、1969年1月の東大安田講堂の攻防戦をピークに主流派の活動家は逮捕され、分裂した組織は連合赤軍のように武装闘争に走り、内ゲバで自滅していった。

全共闘の活動家も多くは企業戦士に転身していった。「いちご白書をもう一度」の世界である。逮捕歴等で就職できなかった者は自営業や弁護士、フリーライターを目指した。多くのTVの政策プロダクションや編集プロダクションを創立したのもこの元全共闘世代である。また菅や仙谷のような穏健派は社会党などの政党活動に進んだ。

80年代に日本は世界最強の経済大国として賞賛され、元全共闘の企業戦士は資本主義の先頭に立ち、学生時代の理想であった社会主義の崩壊を眺めていたのである。90年代のバブル崩壊で失われたのは経済だけではなかった。政党も社会党のように自民党と連合し安保や自衛隊を丸呑みして自滅していった。

民主党は新党さきがけに社会党の一部が合流し結成されたが、解党した新進党グループが合流し、2003年に自由党が合流したので、民主党は統一した理念のない雑然とした政党になった。このあたりは日本のメガバンクの軌跡にも似ている。

この彼らの目標が政権交代で終了してしまったのはいうまでもない。菅の行動が定まらないのはもう目指すべき理念がないからだ。仙谷は人権派弁護士として、アジアへの戦争責任を追及していた頃の行動様式から抜け出していない。60年代に盛り上がった学生運動にどういう意味があったのかは世界的に繰り返して問われるテーマだが、日本の場合は左翼が政権を取るのが遅れ、政治的に未成熟のまま年を取ってしまった。いまや「怒れる若者たち」は労組と老人の既得権を守る側に回っているにすぎない。
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(長月廿七日 文化の日) 中国のポリネシア攻勢  政治

このほど中国は共産党中央高級幹部で閣僚級、外事弁公室副主任の杜起文氏をミクロネシア連邦の特使に任命した。中国のミクロネシアへの攻勢は露骨きわまる。2006年に正副大統領、議会議長と主席判事という三権の長に対し、それぞれの公邸を新築建造して引き渡している。今年に入っては中央行政庁舎を新築落成している。これは援助ではなく賄賂というか露骨な贈答攻勢である。

ミクロネシアはマーシャル諸島、パラオとともに戦後アメリカの信託統治領となっていた。その後独立したが、アメリカは諸国と同盟を結んでおり、いわば保護国として労働力は米本土と流出入が自由で、国防は米軍が担っている。さらにパラオとマーシャル諸島は台湾と正式関係を維持しており、これに対する中和策を行使したいのが中国の魂胆だろうか。太平洋の西半分は中国が面倒を見ると言った中国の軍関係者がいたのを思い出すばかりだ。

そもそも先の大戦前の四半世紀にわたり、これらの地域は日本の委託統治領であったし、独立後の初代大統領は日系人だった。一帯は太平洋戦争の日米両軍の死闘の場でもある。そこに堂々と乗り込んでくる中国の覇権主義。しかしこうした贈答行為は現地の住民を中国の味方につけやすい。援助攻勢を強めたパキスタンはアメリカよりも中国人気が増しつつある。

日本人には全く関心がないところで強かな中国は勢力を伸ばしているのだ。
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(長月廿日) 予算委員会  政治

10月1日から始まった176回臨時国会冒頭の内閣総理大臣所信表明演説で菅首相は「今国会の最大の課題は経済対策のための補正予算の成立である」と述べた。しかも衆議院予算委員会は国会開催前の9月後半から始まっていた。予算委員会は予算について討議する場であり、補正予算とは早急に法案を成立させて執行しないと、景気がもっと酷くなるから慌ててするための予算ではないのか。

しかし、予算委員会がスタートして緊急に成立を要するはずの補正予算は未だに国会に法案提出されていない事が今日の新聞記事で分かる。今まで何をしていたのか?

日本経済は、良い悪いは別として、輸出の増加とエコカーやエコ家電等の補助金を柱に世界同時不況から立ち直ってきた。輸出は足許の円高と世界全体の貿易数量急落によって落込みが厳しい。内需は勤労所得が前年から下がり、社会保険料増額等による可処分所得減少が続き落込む一方である。

今回予定されている予算案が適切かどうかは大きな疑問だが、一刻も早く法案瀬を成立させて、景気の刺激としなければいけない状況ではないだろうか。先週の奄美大島の大雨災害に対しても、現地に飛ぶとかいうスタンドプレーはともかく、一切の発言も無かったことから分かるように現実に国民生活に起きていることとは無縁の存在のように見える現政府なのである。菅首相は「最小不幸社会をつくります」と演説したが、現在の政権運営を見ると「最初に不幸社会をつくります」といっているに等しいのでないか。
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(長月壱拾五日 望) 戦争リスク  政治

1978年4月12日、約100隻の中国国旗を立てた漁船が尖閣諸島に接近した。日本側は立ち退きを命じたが、中国漁船は「中国領である」と主張し対抗した。中国漁船団は上海水産局に「襲撃を受けたらどうする」と問い合わせした。返事は「中国領で漁業するものを誰が銃撃出来るか。反撃せよ。」だった。日本側の対応によっては、戦闘が必至だったし、戦争化の危険も十分あった。

しかし、この尖閣への接近事件が表面化後、上海市共産党委員会は撤退を指示した。8月12日に日中平和友好条約調印を控え、対ソ連包囲網を築きたかった中国は条約調印のため「祖国防衛」を抑えた。条約調印を控えていなかったら、局地戦闘が起きていたかもしれない。中国の「祖国防衛のためには戦闘も辞さない」姿勢は、何も変わらない。覇権主義以外の何者でもない。さらに現在の中国は、日本に対して遠慮する要因は何も無く、「米国には隷属しているのに、中国には居丈高」と反発意識が強いのは見え見え。

尖閣に次に中国「漁船」がやってきて、日本が同じ事をすれば、軽装備の武力を使用し抵抗するという事態は充分想定される。中国は、尖閣は中国の領土と主張しているのだから。この時日本が「日本領海内だから、粛々と国内法で対処する。」ということは、銃撃を受けた海上保安庁が戦闘せずに敗退、占拠されるか、国会の承認を得て自衛隊の交戦という事になる。つまり、前原大臣の言う「棚上げは無い」という事は「尖閣を占拠される」か「日中開戦」の二者択一しかないということである。日本人にその覚悟があるのか。
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