(水無月弐日) しまなみ幻想  読書

最近小説のたぐいは西宮市の図書館で借りて読むようになった。昔では考えられなかった。何か借りて読むというのはコンビニの立ち読みみたいで貧乏くさいと思っていたからだ。でも貧乏になれば郷に従え(苦笑)である。どうしても手元に置きたいという本以外は、気長に図書館にリクエストを出しているが、1Q84などは私が486番目ですよなどという気の遠くなるような状態にもなっている。なにせ借りるととりあえずは3週間の読書期間とされているので、500番近くとなると後何年という状態なのだ。

今回はテレビドラマでもおなじみの浅見光彦シリーズの内田康夫本である。舞台が今治とあって、我がふるさとの近くであり、土地勘はあるし、あああの店がモデルになっているとか、そういう楽しみもある。しかし四国というより日本で最大の造船会社の社長夫人を殺してしまうのだから、内田康夫もたいした野郎である、ははは。

しかし今はやや厳しくなったが、今治造船通称いまぞうの堅実経営は有名である。今治のシンボルである国際ホテルも関連会社である。今治のような一地方都市では考えられないような豪華なホテルだが、料金はすこぶるリーズナブルである。一番は最上階の瀬戸の夜景を見ながらの鉄板焼きかな。

それはさておきしまなみ海道の大三島や大島の風景が目の前に現れて消えてゆき、別子の山の資料館も目に浮かんできた。内田本はサスペンスもあるけど、半ば観光本という面もある。知らない土地を想像するのも楽しいが、自分のふるさとを第3者がどのように描くかというのも興味津々だった。小説など気楽に読みたいものだ。
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(卯月七日) 乳と卵  読書

川上未映子著 文藝春秋

相場も休みと決めれば気晴らしに読書に専念である。今はバフェットの自叙伝である「スノーボール」をメインで読んでいるが、流石に訳本で上下巻の分厚いものなので少々食傷気味になる時も多いので、柔らかめな本を間に読むのが私のスタイルなのだ。「乳と卵」は第138回芥川賞を受賞した作品でもあり、読まれた人も多いかも知れない。しかしこの大阪生まれの才女はなかなかのものである。

最近の芥川賞というと素人から見ると???という作品が受賞するばかりという声もあれば、既存概念にとらわれない文体の巧みさを高く評価する声もある。本書もそうした最近の芥川賞らしい作品ともいえるだろう。確かに口語調で長い文章が続き、読みやすいとは決していえないが、関西弁の柔らかさがオブラートのように包み、読むものの頭に滑り込んでくる。上京してきた姉とその姪、東京の下町の狭いアパートで繰り広げられる夏の三日間の物語をこのように表現したことが受賞の対象となったようだ。

著者は作家だけでなく、元々は歌手というか音楽からスタートし、このような作品を書き上げ、最近は映画にも進出している。何か妖しいオーラをもっているようにも見える。評価は様々であろうが、偏った見方が強い本ほど、ろくな本はない。たまには少々恥ずかしい、というか興味津々で読んでもいいのではないか。本書の最後にはある種の家族愛も感じられるのだから。
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(卯月壱日 朔) 通天閣  読書

西加奈子著 筑摩書房

たまたま図書館で目にした本である。なんか連休で東京のスカイツリーが観光スポットなっていて、関西は変な格好の京都タワーなどもあるが、やっぱり大阪らしいのは通天閣だろう。最近は大阪市内に行くことも少なくなり、現物を見る機会も少なくなったが、よく高速から見えたのを覚えている。東京タワーのようには高くはなく、大阪人でも登ったことの無い人も多いかもしれない。なにせ梅田や難波じゃなくて新世界やからね。

この本は2007年に織田作之助受賞作品であるが、織田作之助といっても知らない人の方が多いような気もするが。それはともかく、通天閣にの近くに住む二人の男と女を平行に描いていく訳である。最後はどんでん返しもあるが、それはさておき、なんとも泥臭い、いかにも「なにわっぽい」ストーリーである。

実は作者、西加奈子という人の小説についてのコメントをどこかで見た記憶があったので、それも読んだ理由の一つだ。でも作者、1977年テヘラン生まれで幼少期はエジプトで育ったという。その後大阪で生活し、高校は堺の泉陽高校、大学は関大法学部という経歴である。でもこの通天閣には場末のスナックで働く失恋女と、工場で働く派遣の中年男の物語のなかに何かそれまでの経歴がにじんでいるわけではないが、自然と私の頭にすべりこんで来るウイルスのようなものだった。

たまにはこんな小説でも読んでもいいかな。
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(弥生廿壱日 みどりの日) 「松代大本営」の真実  読書

日垣隆著 講談社現代新書

まず驚かされるのは巻末の30頁以上におよぶ参照文献の圧倒的な量だ。それだけを見ても著者の本書におけるストイックさを感じさせる。教科書は現代史を試験にでないものと決めつけてほとんどまともに勉強させていない。したがって戦後のゆがんだ日本人の優越論が闊歩する原因になったのではないかと思う。なにも卑屈になる必要は全くないが、本当のこと、真実を丁寧に拾っていくことを怠ったのは云うまでもない。

その「真実」を探求する姿勢は本書で一番大事なことだろう。著者が本書を書くきっかけが在日朝鮮人の女性の遺言とも云うべきものであったという。米国公文書館での地道な調査には敬服するし、戦後生まれの多くの日本人が現代史をまともに学習していないなかで、定説を疑い疑問を解く過程を読むことは新たな日本史を勉強することにつながるものである。

長野県松代がなぜ大本営の候補となり、短期間に完成が急がされたのはなぜか。信州が「神州」につながるというのが当たり前に云われる時代である。近くに皆神山があるのも単なるこじつけでもない。ゲリラ戦の象徴である地下壕は郷土の名士、栗林中将の発案があったのかもしれない。理由はいろいろあるが、現実として大量の労働者が投入されて大本営が造営されたのである。そこでも真実を知るには本書を読めば理解出来る。しかし読後、この事実を知って、日本現代史を自分でどう捉えるかというのが命題になりような気がした。

戦後の東京の道路舗装に松代から掘り出された残土が利用されたという事実も、そこに埋もれた労働者の死体の一部が紛れ込んでいたかもしれないということを連想させる。この国は過去の一時期をばっさり切って、関連性を切断し、高度成長の道を進んだ。しかし過去を知らずしての将来も無いはずだ。敗戦までの約一年の間に何が松代で行われていたのか、戦後世代がしっかりと心に刻む必要があるのではないか。
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(如月弐日)持統女帝と皇位継承  読書

倉本一宏 吉川弘文館

壬申の乱、私が歴史の教科書で興味を抱いた最初の内戦だった。天皇の近親者間で血で血を洗う権力闘争だが、天武・持統というこの夫婦が織りなす日本という国の統治が完成を見せた時期とも言える。女帝が頻繁に出現しているが、それは中継ぎというか皇子の生母が卑女の場合はまず即位は無理という当然だった時代では有効な継承手段だったのだろう。

天武は兄の娘を妃としたが、それも一人だけでないというこの血族の複雑さを見ると、権力者の執念を見る思いがする。そして姉に変わって正室となれば、普通の夫婦関係を断ち切っている持統は何を考えていたのだろうか。

大和には天武・持統御陵として祀られている古墳がある。小さいときからその古墳を見てきた私にはあの大和路を歩く度に、彼らの息遣いが聞こえてきそうな雰囲気を感じた。日本人が琴線に触れる飛鳥の旅はいつも思い出される。しかし、自分が立っている地の下には権力闘争に敗れた者たちの恨みが蠢いているかもしれない。

日本が国としてなす時代に現れたこの女帝の重みを考えるには良書ではないか。筆者の思いが高すぎるという難点もあるかもしれないが、何千年前の人物像など正確に描けるはずもない。

おりしも平城京1300年という年でもある。久しぶりに春の大和路、明日香を歩きたくなった。
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(睦月廿五日) 暴走する脳科学  読書

〜哲学倫理学からの批判的検討〜
河野哲也著 光文社新書

人間の心はどこにあるのか。もちろん脳にあるが、心臓という呼称に惑わさせられる人も多いだろう。それはともかく最近の脳科学の進歩は凄まじいの一言である。脳科学者がお茶の間のテレビに頻繁に登場しているし、その手の本は溢れており、ゲームソフトにも基本ソフトのごとく流通している。そのような状況の中、脳科学リテラシーを再認識しようというのが骨子である。

現在の脳科学で心の動きは分かるものだろうか。先述したが、本当に脳イコール心なのか。脳を調べることは心の状態を読むことを可能にするのか。素人の私はいろいろ考えてみればみるほど、頭というか脳のシナプスがショートしそうだ。脳科学というからには、テクノロジーの話になる。テクノロジーとは科学知識に基づいた技術のことである。そして技術とはある目的を達成するために用いられる手段や手法のことである。つまりテクノロジーとは科学知識に基づいて設計・構築された技術である。

従って全く科学的根拠がないにもかかわらず、様々な社会問題の原因を脳に求める発言というか放言や俗信を著名な脳科学者や精神医学者、そして科学ライターと称する人たちがしており、一般社会に一定の反響と影響を与えているのは憂うべき状態である。

複雑な脳科学の世界を新書一冊で完全理解出来るはずもないが、専門家がこうした本を出版できる日常性を尊重すべきだろう。
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(睦月廿参日 下弦) 勝間和代現象を読み解く  読書

日垣隆著 大和書房

A5版サイズの94ページの本は時間の遅い私でも一時間ぐらいで読めるので風呂で汗を流しながら読んだ。確かに湿気が本には悪いだろうが、買った本は余程の事がない限りブックオフに出さない私には関係ない。読後感想としては、カツマー現象は女性のビジネス書というのが少なかったのと、ある意味正直に生きている彼女が新鮮であったことではないか。

そもそも彼女だけでなく自己啓発書というのは、マインドコントロール的なところがあり、いわば新興宗教入門というところもあって、熱心な信者を生み出すものである。たしかに19歳で公認会計士に合格し、その後の外資系のキャリアであれば年収は10倍以上になっているだろうし、離婚二回というハンディはともかく世の女性には羨望の的である。彼女がすごいのは、これは著者も指摘しているが、他人がしていることで、これは、というものをいち早く取り入れている事である。この行動力は見習うべきである。文句言うより一回やってみなはれ、である。

ただ子育てを投資と認定していることには嫌悪感を抱く。子育てというのは別に見返りを期待するものではないだろう。投資と云うにはリターンはそもそもゼロというのは成り立たない。だから著者が言うように別れた旦那をぼろくそに云うのは、子供たちには可哀想である。彼女らはその血を継承しているのだから。

メルマガなどの編集という気もするので少々重なる記述があるのは残念だ。しかし肯定7割懐疑2割否定1割という理想的な本のように思う。世のカツマー現象を鳥の目で見るにはいい本である。
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