(長月七日) 花と爆弾  読書

小林信彦著 文春文庫

週刊文春に連載されている小林信彦の人気エッセイ「本音を申せば」だが、このタイトルは2004年からで、それまでは「人生は五十一から」だった。これは1998年からの連載でクロニクル的に単行本化され、さらに文庫版として刊行されている。この「花と爆弾」は2003年分をまとめたもので、題名の花は花火であり、爆弾は2003年のイラク侵攻のことである。まだ4年前なのに、もうはるか昔にさえ思えるあの爆撃を我々は米軍に従軍した記者のレポートで知るしかなかった。そこには米軍兵士の影で防弾着に守られた偽りの従軍記者が居ただけだった。

小林はブッシュや小泉に対しての激しい嫌悪感をお持ちなのはよく知られている。改革の小泉として名を残したように世間は言うけれど、結果はどうだっただろうか。凡人小渕は借金をしまくって収入の少ない若者でさえ、マンションが買えるように税制を無茶苦茶にしたが、それは東京に無秩序な高い建物を建てただけだった。そこには何の理念もなかった。しかし、当時の国民はなぜか小渕を支持し、また時代が変わって小泉を支持した。何も考えない思考力を失った国民を操ることは権謀術数を重ねてきた政治屋にはいとも簡単だったことだろう。

「自分の直感に映った光景を信じることが一番です」といったのは、吉本隆明だ。小林も何時もこの言葉を繰り返している。そういう意味では、最近ALLWAYS2など清貧を称える映画が再び上映されるが、昭和30年代がそんなに貧しい時代だったとは昭和31年生まれの私でさえ、そうは思わないのが直感である。ノスタルジーに浸るのもいい加減したほうがいいのじゃないかな。
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(皐月壱拾八日 半夏生) 17歳のための世界と日本の見方  読書

―セイゴオ先生の人間文化講座―
松岡正剛  春秋社

昨年末に出版されて増刷されているのも知っていたが、近くの本屋にはなかなかなくて、松岡正剛の本ぐらい置いておけよと書店員を脅かしたこともある、ははは。

週末広島に帰ったとき、そごうに寄って紀伊国屋へ。ここにはあるだろうということで、ありましたよ、あの黄色い本が。362ページぐらいの本はなかなか短期間に読めないが、日曜の帰りの新幹線も含めて読破。こんなに速読?したのは何時以来か。

帝塚山学院大学での正剛先生の講義をまとめたものは口語体で書かれており、とても読みやすい。今年から学生になった次男に読んで欲しいと思ったのが購読のきっかけであるが、改めて自分の歴史認識の浅さを痛感する羽目になった。日本とヨーロッパ、そして中国の歴史は長い。そのなかで宗教が果たした役割は大きい。日本では国家神道の弊害から、戦後これら全てが封印され、学校で正しく日本歴史が教えられていない。読む度に自分の知識の無さに歯痒さを覚えながらの時間が過ぎていった。

この本が10代だけでなく20代や30代に読まれているのは、知の編集が各世代でなされていない証拠でもある。歴史認識から現代の世界とのつながりは把握することはその一歩でもある。是非是非読んで頂きたい一冊である。なぜ世阿弥が凄いのか、それを知ることだけでも外国人に日本を知ってもらうきっかけになるのではないか。侘び寂びの世界観は日本人が世界に誇るものであることを改めて知る。
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(卯月壱拾八日) マジック・ジョンソンの言葉  読書

たるんだ身体に反省ということで、久しぶりの半身浴。持ち込んだのは
小説 ドラゴン桜 メンタル超革命篇 里見蘭著 講談社文庫

モーニングに連載されている「ドラゴン 桜」の小説版である。ありえないよなあと思った漫画でもあるが、今日読破して今一度明日から頑張ろうと思ったフレーズがあった。それが「マジック・ジョンソンの言葉」である。

「君にできないよ」という人の言葉を聞いては駄目だ。

もし自分で何かを成し遂げたいなら、
できなかったときに、他人のせいにしないで、
自分のせいにするんだ。

たくさんの人が、僕にも「君にもできないよ」と言った。
彼らは君に成功してほしくないんだ。
なぜって、彼らは成功できなかったから。
途中であきらめてしまったからだ。
だから、君にもその夢をあきらめて欲しい。
不幸な人は不幸な人を友達にしたいんだよ。

でも、決してあきらめてはいけない。
自分のまわりをエネルギーであふれ、
しっかりした考えを持っている人で固めるようにするんだ。
自分のまわりを、野心であふれ、プラス思考の人で固めるようにするんだ。

近くに誰かあこがれる人がいたら、
その人にアドバイスを求めてごらん。
君の人生を考えることができるのは君だけだ。
君の夢が何であれ、それに向かって行くんだ。

なぜなら君は、幸せになるために生まれてきたんだから。
なぜなら君は、幸せになるために生まれてきたんだから。
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(如月廿弐日) 特捜検察と金融権力  読書

村山治著 朝日新聞社

1991年毎日新聞から朝日新聞に移った村山は記者としては、典型的な書かないタイプだった。毎日でも東西の司法記者クラブで検察を担当し、当時の薬害エイズ事件を担当し、朝日では東京佐川急便事件やその後の大型経済事件を取材し続けた。昨年朝日の夕刊で「人脈記」の連載で法曹界シリーズを担当したことが、彼をしてようやく沈黙を破る本書の出番となったようだ。したがって検察陣営の年表に関してはこと細かく、役所の上下関係がよくわかる。

本の帯に「本来、国策とは国の政策をいう。検察は国の行政機関である。その検察が国の政策に沿って権限を行使するのは当然である。」「国策捜査イコール『悪』ではない。民間企業である住専や銀行の破綻の穴埋めに税金を投入するからにはそれらの経営者の責任追及は必要であり、本来検察が積極的に取り組むべき仕事である。国民もそれを望んでいた」とある。当時のマスコミの主張はこの趣旨に沿うものだった。

しかし、ここでいう「国」とは純粋な統治主体なのだろうか。そしてまた、この「国民」ということに実体があったのかと自問してみれば、やはり違うのではないかと思う。やはり、これは検察の論理に他ならなかったのではないか。

ライブドアに強制捜査が入った際、これも国策捜査といわれたが、村山氏はそうは受け取らなかったようだ。確かに、検察と旧大蔵という霞ヶ関の権力の頂点が分裂して、国家の態をなさなくなったのは事実だが、本の結末のように松尾検事総長が五味長官に退任挨拶でシャンシャンというのは少し論点がずれているのではないか。霞ヶ関は形状記憶合金のように修復されたとは思えない。市場という集団の知とも云えるものから輩出される悪玉に、正義と公正を標榜する統治機関がついていけなくなり、挙句強引で乱暴な強制捜査と税務調査で生贄をあげたというべきではないか。それで統治機関が回復したというにはあまりに幼稚だ。

筆の進め方はさすがに村山らしいが、終わりに従って筆が流れのままに流されていく脱力感は否めない。プロ野球ファンとしては、ライブドアの球界進出騒動で、渦中の球団を「近鉄バッファローズ」と表記しているのは明らかに校正のミスである。誰もが嵌りそうな落とし穴に入っている様は見苦しい。
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(睦月廿九日 彼岸入り) 鈍感力  読書

渡辺淳一著 集英社

PLAYBOY日本版で連載されていた作家・渡辺淳一氏のコラムをまとめたものである。今年2月に発売されて小泉前首相が安倍首相に激励の意味で用いたことで、マスコミに取り上げられ早々と重刷されているようだ。渡辺先生も印税でウハウハでしょう。現にここに流行病のごとく購入した中年男が居るわけですから。ははは。

さて、鈍感力といわれると何か新鮮な感じがするが、要は「慌てる乞食は貰いが少ない」っていうと実も蓋もない。しかし、最近の過敏症ともいえる社会現象の裏返しということであれば、納得する人も多いだろう。医学博士である渡辺氏ならではの話が多いが、健康のためには血液さらさらで、いつでも寝られることといわれると、簡単なようで難しい。血液がさらさらになるには、あまりくよくよせず、他人にいやなことを言われてもすぐ忘れる、この良い意味での鈍さが血の流れをスムースに保つコツらしい。そういえば、だいたい年とって元気な人は、ほとんど他人の話は聞かないものです。(職業柄実感します。)

この本の中盤は先生得意の男と女の話。よく結婚の幸せを口にしたり、老後しみじみ「あなたと一緒でよかった」などというが、それは長い長い忍耐を経てきた結果のつぶやきである、といわれるとこれまた実感してしまう。私事で恐縮だが、2008年つまり来年には(このまま行けばですが)結婚25年目、つまり銀婚式なのである。よくここまでやってこられたというのが本音だし、お互い鈍感であったのが長く続いた秘訣といわれると、その通りで頷いてしまう。そんな当たり前のことが繰り返されるが、それを実際に作家が書くと売れるというのはエエですなあ。
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(睦月六日) 障害者の経済学  読書

中島隆信著 東洋経済新報社

2006年度第49回日経・経済図書文化賞を受賞した本である。著書の中島氏は慶応大学商学部の教授であり、脳性麻痺の息子を持つ親でもある。障害者の当事者であれば本書のいくつかの部分は障害者に対して厳しいのではないかと思える記述も多い。しかし障害者問題ほど当事者意識が優先されると、ただの被害者意識だけが先行し、障害者の自立という極めて重要な問題がないがしろにされるのである。

中島氏は冷静に第三者の目で障害者問題を捉えている。そもそも障害者問題が身近でないのは障害者の存在が目の前にないからである。障害者は養護学校という一般から隔離された学校に通い、卒業すれば作業所というこれまた人里から離れた場所で一般の目の触れないので、一般の理解度は低い。もともと障害者はかわいそうという気持ちから福祉の中心になっているが、そろそろ制度疲労となっている。カネと施設だけつくれば事足りるとなれば、人間としてどう生きるかという本質を失ってしまう。

障害者特に親には痛い問いかけも多い。障害者の手当が結局親の生活の足しになっているという事実である。私の場合も今年から娘の障害者基礎年金が支給される。年間でおよそ100万円である。たがが100万円されど100万円である。かといって娘が一人で生活することは現状では困難であり、この資金で問題が解決するわけもない。読むにしたがって頭が痛くなってきた。この問題は再度取り上げたい。
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(師走廿四日 建国記念の日) ダナエ  読書

藤原伊織著 文藝春秋刊

久しぶりのハードカバー本を買った。本の帯に惹かれたからである。それには「黙って泣いた。」とあった。食道癌の告白で久しく新刊がなかったように思うが、「青い謎」からの「ダナエ」とオール讀物からの「まぼろしの虹」「水母(くらげ)」の中篇三篇である。淀みなく流れるストーリーの語り口はいつものように巧みだが、措辞のひとつひとつ、レトリックや描写、その裏に透けて見える作者の心が何か違うような気がした。繊細に組み立てられた「謎解き」の裏には彼自身の別れがあるように思う。

唐突に現れる萩原朔太郎の詩句やガーシュインの「サマータイム」とともにあふれてくる涙の描写はあまりにも切ないものがある。病魔のせいだろうか。気になる朔太郎の詩句の一部にはこうあった。

我れは何物をも喪失せず  また一切を失ひ尽せり。

ただ帯のごとく、黙って泣いて読み終えた。
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