2010/11/16(神無月壱拾壱日) 医療保険  社会

先日の日経に「来年3月で35年務めた会社を定年退職します。子供は独立し、一定の蓄えもあります。老いてからの入院や手術に備えるためにも、民間の医療保険に加入すべきでしょうか?(59歳男性)」というのがあった。医療保険を取り扱っている保険会社はCM効果があったと喜ぶべきだろうが、すこし確率計算をすればこの手の回答は出てくるのだ。

「宝くじは、算数ができない人に課せられる税金である。」と言われる。確率計算すると、飛行機事故で死亡する以上の絶望的な成功確率だからだ。保険もその起源を辿れば、宝くじを応用したものだと分かる。そして、確率が当って保険金を支払いすぎ無い様にすることが保険料率計算のイロハだ。

保険、特に入院保険もまた、算数ができない人に課せられる税金である。でも高齢になれば、入院する確率も高く、費用も増えるんじゃないかと思う人も多いだろう。入院する確率は年を重ねる毎に増していく。60才からの20年間の入院確率は、それまでの40年間の2倍になる。60才からの20年の間に入院する確率は53.6%と2人に1人が入院する事になり、平均入院日数も14日と長くなる。一方で保険料も加齢に沿ってぐんと高くなる。保険会社も抜かりは無い。60才からの20年間の平均給付金受給額は、7.4万円(入院確率53.6%X平均入院日数14日)。これに対する保険料の支払は212万円。(月額保険料8820円X12月X20年=212万円)

212万円の保険料を支払って、平均7.4万円の受取ということは保険料に対する受取額は3.5%でしかない。一番当る確率の低いロト6の最低当選確率よりも低い受給率ということに気づいただろうか。高齢だから入院確率が高くなり、不安も増すのは事実だが、計算すると入院保険は一番当らない宝くじよりもっと確率の低い宝くじと同じことなのだ。200万円の予備資金を貯めて持っているのなら、入院保険に加入する意味は無いのである。

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(神無月弐日 立冬) 大仏様の出張  社会

平城京1300年もあと二ヶ月で終了だが、その奈良の東大寺の大仏建立にかかわる文化財を中心とした寺宝が10月8日から東京国立博物館平成館にやってきている。もちろん大仏様が動くわけにはいかないが、高さ4.5メートルを超える大仏殿前の八角灯籠(国宝)が寺外で初めて公開されるほか、国宝や重文に指定された寺宝が一同に並ぶし、11月2日から21日までは正倉院宝物が特別に出品されている。

東京方面の方々、一度行かれたらどうでしょうか。
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(長月廿八日) 教育免許更新制度  社会

民主党が廃止を含む見直しを表明していた教員免許更新制を巡り、教育現場が揺れている。ねじれ国会の影響で一転して存続の可能性が強まったが、廃止を見込んで更新に必要な講座を早々に中止した大学が多く、教員は受講先探しに奔走している。

教員免許更新制度が2009年から実施されているが、その目的をご存知だろうか?文部科学省に拠れば「教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けること」とある。致命的に問題なのが「教員として必要な資質能力」が一体何を指すかが全く不明なのである。教員の中には能力に劣る人、意欲の無い人、モラルの低い人が少なからずいる。これは一般社会でも同じことだ。

これらに該当する教員の何を改善したいのか、それともこれらに該当しない教員の何を改善したいのか、さっぱり分からないのだからどうしようもない。つまり、どういう状況になれば教員として必要な資質能力があるといえるのかという物差しが無い。物差しが無ければ、この制度や結果が良いのか悪いのかの判別も付かないのは当たり前である。

肝心の講座の内容については大学に丸投げだから、文部科学省の指針すらないことを物語っている。しかも大学で講座を作る人間に共通するのは現場経験が無いことがほとんどだろう。今、教育の現場で何が問題かを知らない人が作った講座に何が期待できるのだろうか。例えば、教室で私語をしたり好き勝手な振舞いをする子供にどう振舞えば、子供の能力を高められるかは講座には無い。十人十色の子供にそれぞれどう対応すれば全員の能力を高められるのかという問題にも白紙の回答である。

更に、現場で悩む教員に手助けをすべき校長等の管理者には、講座の受講義務は無いのだから、学校内でもすれ違いが起きているはずである。教員の時間とお金を奪って、多大なコストがかかるが、効果の測定すら出来ないこの制度をどうするつもりだろうか。
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(長月廿壱日) 老後の不安  社会

ある生保の調査によると、長生きを“不安”と捉える人が回答者の約9割、長生きを“リスク”と捉える人も約7割だという。長生きを不安に感じる理由は「お金」、「病気・入院」、「介護」である。45歳以上の人で「20代−30代の頃に長生きに向けて備えていなかったが、準備(節約・貯金)しておくべきだった」と思う人が5割もいる。

まあ、多くの人が歳をとって真面目に老後のことを考えなきゃいけなくなると、その長さ(60歳の女性の2割は96歳まで生き、5割は89歳まで生きる。男性の2割は91歳まで生きる)に驚くだろう。若いうちは「定年は人生の終わり、あと少しの余生」と思っているが、実は人生の3分の1もの期間がある。その間の収入の柱は公的年金で、ガタがきだした身体には病気や介護の心配が強まっている。

長生きを「不安」「リスク」と思うのも当然だ。「貧乏人は医者にかかるな! 医師不足が招く医療崩壊」「高齢者医療難民」「介護崩壊」「定年夫は、なぜこんなにじゃまなのか?」等々の本を読めば、老後の切実な生活が思い知らされる。大企業の「定年接近者向け講習」など、講師が若くて現状と将来見通しに不案内なため、現実離れした楽観話ばかりなのですよ。
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(長月壱拾九日) CD不況  社会

日本レコード協会によると年次の音楽パッケージソフトの総生産金額のピークは1998年で6,075億円だったが、10年後の2008年には約半減の3,618億円にまで減少している。

理由としては、2つが直ぐ思いつく。
1)主ユーザーの10代の人口の減少
2)利用形態がCD視聴から、PCダウンロード経由の携帯音楽機器利用や着うたにシフトしたこと

だが、最も大きいのは若者の意識の変化ではないか。今「CD」が若者になんと呼ばれているかご存知だろうか。「マスター」だ。要はコピーの元という意味である。

誰かが新しいCDを得たら、クラス内外の知人友人に回覧される。回覧されたマスターは、iTunes等でPCに取り込まれると直ぐに次の人に直ぐに回される。一通り回覧されたらマスターは不要なので、BOOKOFFへ。昔は歌詞カードや写真が保有する理由だったが、今ではiPodに歌詞も入るし、写真はWEBにもっといいのが沢山ある。

CDは、たまれば部屋に巣食うゴミなので、無い方が良いのだ。音楽が好きな人なら沢山のCDを保有することになるが、「あれ聴きたい」という時にCDを探すのが大変だから、ほとんどの人がiTunes等で検索しているはずである。

着うたが割高なのに人気なのも理由がある。多くの10代の携帯料金は、家族分まとめられて親が一括して支払っている。子供の携帯料金明細に着うたダウンロード代とは書かれず、まとめて請求される。(当方経験済み)つまり、着うた料金は実質タダ。タダだからCD買うより安いのだ。

逆に若者の音楽視聴量は、街を歩けば半数以上の人がイヤホンしている(かくいう私のその一人)ことから、かつてなく大量の音楽が聴かれている。CD不況なのではなく、音楽産業のビジネスモデルが若者の行動変化に対応できずに陳腐化しているに過ぎないというわけである。
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(長月壱拾八日) 鳶に油揚げ  社会

トビは本来警戒心が強いので、人間には近寄らないことが多いのがトビの本来の生態である。しかし、古来から「鳶に油揚げをさらわれる」のことわざがある通り、人間に慣れた場合、隙を狙って人間が手に持っている食べ物まで飛びかかって奪うことがあり、最近このような事例が増えて問題となっている。

特に神奈川県にある江ノ島では、トビの大群が見られ、弁当や肉まん、ハンバーガー、ハムカツサンド等を狙われる事が多い。また、京都市の鴨川でもトビが群生しており、子供がトビに菓子を盗られて怪我をするなど、被害が増えている。

同じ京都の宇治川の宇治橋では毎日ではないが、週に二回程度、橋から油揚げを投げて餌付けをしているおっさんを見かけることが出来る。元々警戒心が強い鳶だが、ここのは慣れているようでほぼ毎日この油揚げを期待してJRの鉄橋の上でたたずんでいるのである。しかし宇治は南に山で宇治川の流れは北へと流れる。長年阪神地区に住んでいる私には、なかなか馴染めない朝の一コマでもある。
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(長月五日)現代人の時間  社会

1日24時間を振り返ったことはありますか?

例えば睡眠7時間、歯磨きや化粧を含めてオフィスの定位置につくまでと帰宅するまでと通勤2時間、お風呂や着替えに1時間、食事やお喋りや飲み会や電話やメールに合計(平均)3時間、パートナー(同居人)がいれば平均なんやらかんやらで1時間半(お喋りやら、床上エクササイズ他)、肝心の仕事は残業なしで短く見積もって8時間――としましょうか。実際には、多少の変動はあるでしょう。毎日8時間で仕事が終わる会社員というのも珍しいはずです。

以上で何と合計22時間半!

残りは、たったの1時間半です。この1時間半には、上記の「平均的ビジネスマン」にとっての子育てや、家事や、テレビや、新聞閲読や、読書や、映画や、趣味などなどは入っていません。驚くべきことではありませんか。

少子化も、テレビ局や新聞の不振も、すべてこの「時間の細切れ化と多彩化」に起因しているのはまちがいない。

簡単に言えば、この「1時間半」をめぐって、各種メディアや日常の雑事その他が大争奪戦を繰りひろげているというわけ。それも細ぎれでしかないのに。

フリーだった先月までの生活はある意味、稀有だったわけです。
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