以前、「産業廃棄物中間処理施設問題」について書きました。
http://blue.ap.teacup.com/conservation/49.html
その後、市民団体が「産廃問題の基礎知識」と題し、月1回のペースで6回、勉強会を開催してきています。
今日、11月22日(土)は、第6回目の最終日、「運動をしてきた方々と今後の展開を一緒に考える」(講師:フリージャーナリスト、川島憲治さん)をテーマに勉強会を開きました。です。その最後を飾る、瑞穂町産業廃棄物処理施設の設置等の紛争予防に関する条例は、驚きました。よくぞここまで条例を作り上げたものだとつくづく感心しました。
「ごみ処理をめぐる西多摩の紛争」と題した講演は、素晴らしかった。
人口わずか3万3千人の瑞穂町。瑞穂町は、横田基地と共存してきた。
本国からの大量の物資輸送が輸送機で送られてくる、その大量廃棄物を瑞穂町は、受け入れた。物の流れは一方通行であり、ゴミは現地で処分せざるを得ない。そして、廃棄物処理は金になった。専門業者が次々と誕生した。基地の食べ残された生ゴミは、養豚場に回され、使えないものは埋められた。再利用可能なものは、払い下げやであるジャンク屋が商売した。その他のゴミや屎尿は、埋められ、地中に吸収されていった。
オリンピックの時代、建設ラッシュがつづき、砂利採取も盛んに行われた。羽村町や瑞穂町に、砂利採集穴が至る所に沢山作られた。そして砂利穴への不法投棄をめぐる紛争が勃発した。悪臭が漂い、網戸が真っ暗になるほどに、ゴキブリが発生したと言う。
一般廃棄物は自治体の責任、産廃業者の責任で処理することが決められた。多摩地域の市や町が業者を使って不法投棄を推奨していた。業者は、責任を逃れ社会問題となった。その結果、行政が行政を裁判に訴えると言う異質な裁判が起こった。19市と56の業者が廃棄禁止を求める仮処分判決を受けた。
そして、羽村市に管理された処分場が建設された。多摩地域にはじめて管理型処分場が作られたのである。中間処理した廃棄物は、町が監視することになった。三多摩地域廃棄物広域処分組合が設立され、谷戸沢処分場や二つ塚に処分場が作られた。自治体の処分場は、管理が行き届いているが、他の地域は、業者の違法投棄が横行した。そんな中、地元玉の内自治会の監視活動が始まった。そして、管理が出来る施設を受け入れる活動に変わっていった。孫の代まで責任があると監視活動は、毎日行われた。廃棄物の迷惑料を監視活動に使っている。
現在では、産廃の焼却処理による焼却灰は、セメントの材料、つまり「エコセメント」として、埋め立て克服の切り札となった。97年7月9日朝日新聞夕刊には「ごみ製セメント」と題し記事が掲載された。
産廃処理やゴミ問題の歴史的な背景から、地域住民の反対運動の盛りあがり、業者の土地購入も困難になった。また、通報取締りが予測されるようになり、路上での車両待機が困難になった、その結果、建設断念が相次いだ。
運動が盛りあがったか理由、それは、操業していた同社施設の悪評判(悪臭、待機車両の道路占拠)、学校などの施設、通学路が至る所にあったことによる住民の危機感。住民運動の経験者が活発に動いた。また、政党色を出さなかった。PTAや町内会が動いた、いや、動かした。環境問題への一般的な関心も高まった。
一方、隣町の瑞穂町では、産廃業者の不法行為に頭を悩ませてきた。横田基地の騒音問題等で地価が安い瑞穂町では、産廃用地確保のターゲットにされてきた。産廃の許認可権が町にない、都(多摩環)が頭越しに認可をしてきた。
羽村町の産廃を断念した業者が瑞穂町に産廃を持ってくる。その危惧感とこれまでの運動が実を結び、紛争防止条例がわずか数ヶ月で作られた。条例は、高いハードルが設けられ、とことん住民合意の努力をしないと産廃の許可が降りないようになっている。条例の履行に時間がかかり、早くて半年、長引けば1年以上の時間を要するため、殆どの業者があきらめる。
年間10数件の産廃申請が上がってくるが、現在1件のみ手続きに入っている状況となっている。この条例は、住民との努力による成果である。
条例の内容は、次のサイトを確認して頂きたい。
瑞穂町産業廃棄物処理施設の設置等の紛争予防に関する条例
http://www.town.mizuho.tokyo.jp/reiki_int/reiki_honbun/g1520377001.html
瑞穂町産業廃棄物処理施設の設置等の紛争予防に関する条例施行規則
http://www.town.mizuho.tokyo.jp/reiki_int/reiki_honbun/ag15203751.html
また、ネットには公開されていませんが、条例手続きのフロー図も頂きました。

このような条例が全国に、出来たら素晴らしいことになるでしょう!!

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