2015秋尾瀬13尾瀬沼南西道
三平下から沼尻(ぬしり)まで約3キロの区間
はっきり言えば道が悪くあまり好きでない。
通常であれば1時間を要する所
だがこの日の我輩は違っていた。
晴天に恵まれたのと紅葉が素晴らしかった。
体調も良かったし、気力、写力も充実していた。
おまけに荷物はショルダーバックとウェストポーチ。
こんなに条件が整った日はそうあるものではない。
思い起こせば今年は
1月の大人の休日倶楽部は気力が充実せず企画を断念した。
2月代わりにと言っちゃなんだが只見の“ステーキ祭り”に参加
3月大人の休日倶楽部リベンジ急遽河津桜を観に出掛けた。
1日目快晴も2日目は終日雨
5月尾瀬山開き参加
6月尾瀬水芭蕉ハイキング
1日目曇りから雨、2日目は朝から快晴、下山後雨
6月会社の旅行で金沢・能登
1日目と3日目が晴れ、2日目は雨
6月大人の休日倶楽部秋田〜青森〜八戸路
3日とも雨
7月尾瀬高山植物をたずねて1日目、2日目晴れ
下山後から午後にかけて土砂降り
9月北海道一番早い紅葉旅行
1、2日目雨、3、4日目くもり時々土砂降り
10月尾瀬、1日目曇り(予報では雨)2日目終日快晴
ということで行けば殆ど雨に当たらないときは無いくらいに雨が付きまとった。
ひょっとしたら自分は“雨男ではないか?”
自称“晴れ男”としてその名を永年に渡って欲しい侭にしてきたが
6月のエンピロ君と“雨の十二湖”を歩いたときは観念した。
水も滴るいい男と言っては見ても雨の中の1時間の散歩はさすがに堪えた。
しかもゴアテックスを用意しておきながら着なかったのは悔やまれた。
雨を甘く見た罰と言えるだろう。
しかしこの教訓は直ちに活かされた。
9月の北海道旅行はのっけから雨は予想された。
雨、それでも歩いて観光する。
出発前から、ゴアテックスを装備するよう“しかしさん”と申し合わせた。
雨の中の銀泉台登山も快適に済ます事が出来た。
これもゴアテックス様様と言わざるを得ないだろう。
登山だけでなくちょっとした旅行でもその力を発揮する事は
大いに証明できた訳である。
三平下から三平峠を越えて一之瀬休憩所、さらには大清水までは2時間
この行程が意外と会津人には近くて遠いルート
いろいろやろうと試みたがバスの便も悪く難しい。
それでもこのコースは何度歩いたろう?
なんだかんだ5回くらいは歩いているか?
単独行
埼玉県大宮市に単身赴任を決め、帰りに尾瀬越えで会津へ帰省。
このとき大清水から一之瀬休憩所へ行く砂利道の車道を私は歩いていた。
前の日あまり寝ていないので目にはクマが“私は車道(アイシャドウ)”
最近つまらないと言われるが言い続けなければ死ぬのだ。
冗談はさておき、その車道に蛇のおもちゃみたいなものを発見!
その招待を探るべく観察を暫く続けた。
体長は10センチほど、色は黒、頭は三角で白い模様が入っていた。
声をかけても動くでもない?
さてどうしよう?
ビニール袋に捕獲して持って帰ろうか?
そのあとどうする?
もしこれがマムシだったとしてどう扱う?
飼う?えさは?
色々考えて結局その場に置く事にした。
30年近く経つのに蛇がらみの思い出はいつまでも忘れない。
40年位前の12月、三平下から三平峠を降りる際
命を失った若者が居た。
平野長靖さんその人である。
平野 長靖(ひらの ちょうせい、1935年8月24日 - 1971年12月1日)は、
日本の自然保護運動家。群馬県利根郡片品村出身。
高度経済成長の中、尾瀬を自然破壊から守った人物として有名である。
群馬県立沼田高等学校から1954年に京都大学文学部に進学。
大学卒業後は北海道新聞社に入社したが、家業を継承する予定であった弟が死んだため、
1963年に退職し、長蔵小屋経営者となった。
1966年に着工された大清水から尾瀬へ乗り入れ沼山峠と結ぶ自動車用道路建設に対し、
1971年7月、大石武一環境庁長官に建設中止を直訴。建設中止に持ち込んだ。
同年12月、尾瀬からの下山中に三平峠で遭難、凍死した。享年36。
遺骨は、尾瀬沼の近くの大江湿原の一角にある平野家の墓(ヤナギランの丘)に埋葬された。
平野長蔵は祖父。
平野長英(1903年 - 1988年)は実父。
平野靖子は実母。
平野紀子は妻。
平野太郎は実子。
彼との面識は無いが奥様の紀子さんとは何度か話した事がある。
今回の長蔵小屋のコンサートの招待も彼女から受けた。
私の長女が小学校6年生の頃、“尾瀬を守る人々”が
国語の教科書に載り、夏休みに行ってみるかと娘と二人で訪ねて行った。
幸い、紀子さんにもお話が伺えた。
その後長蔵小屋としては不名誉な事件を起こす事になったのだが、
その影響は少なからずあると思った。
ただ“尾瀬を守る”精神は忘れず地道に営んでいけば
必ずや以前のような賑わいが取り戻せるのではないか
そんな風に思っている。
写真は小沼湿原あたりに出てきた所
尾瀬沼周辺にはこんな小さな湿原が点在する。
尾瀬沼に面しておらず、林の中を歩いて
こんな湿原に出ててくると気持ちも何故かほっとする。
その最たる処は白砂湿原ではなかろうか?
個人的な意見だから何もここが一番とまでは言ってない。
尾瀬ヶ原からだらだら登りを1時間そろそろ限界だと始めた頃、
いきなり坂を下りたかと思うと、開けた湿原に出くわす。
オコジョの出現地としても大変名高い。
ミツガシワのシルエットもメルヘンチックに映え、
いつまでも休んでいたい処
小沼湿原にタンドリーチキン失礼辿り着いたと言う事は
沼尻に近いということ。
遅かれ早かれあと5〜10分もあるけば沼尻休憩所に着くと言う事。
その証拠に燧ケ岳があんなに近く見えてきたではないか。
沼尻から通称ナデックボという登山道を正味2時間半で燧ケ岳山頂に着く
私はこのルートは手がけていないが単独行が好んで登るようだ。
理由は、健脚向きで自己責任、なので体力に自信の無い人々はダメ。
必然的に健康そうな人が登る事になるか
燧ヶ岳(ひうちがたけ)は福島県にある火山。
山頂は南会津郡檜枝岐村に属する。尾瀬国立公園内にあり、
至仏山とともに尾瀬を代表する山でもある。
東北地方最高峰(2,356m)であり日本百名山に選定されている。
火口付近には柴安押覆靴个笋垢阿蕁

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