幼稚園の頃の記憶
銀の燭台
一房の葡萄
オズの魔法使い
小鹿物語
とりわけ
銀の燭台
レミゼラブル
ああ無情
ジャン・バルジャン
NHKで全8話で放送中‼️
原題 Les Misérables は、「悲惨な人々」「哀れな人々」を意味する。
1本のパンを盗んだたことをきっかけに、結果として19年間もの監獄生活を送ることになったジャン・ヴァルジャンの生涯を描く作品である。作品中ではナポレオン1世没落直後の1815年から、ルイ18世・シャルル10世の復古王政時代を経て、七月革命後のルイ・フィリップ王の七月王政時代の最中の1833年までの18年間を描いており、さらに随所でフランス革命、ナポレオンの第一帝政時代と百日天下、七月革命とその後勃発した六月暴動の回想・記憶が挿入される。当時のフランスを取り巻く社会情勢や民衆の生活も、物語の背景として詳しく記載されている。
日本では始め、森田思軒が一部を「哀史」の題名で訳したが完訳には至らず、黒岩涙香による翻案が『噫無情』(ああむじょう)の題で1902年(明治35年)10月8日から1903年(明治36年)8月22日まで『萬朝報』に連載され、これによってユーゴーの名が広く知れわたることになった。
また「銀の燭台」のエピソードのみに編集され、小学生向けに道徳の教科書に掲載されたり、児童向けの書籍がある。
あらすじ
この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。あらすじの書き方を参考にして、物語全体の流れが理解できるように(ネタバレも含めて)、著作権を侵害しないようご自身の言葉で加筆を行なってください。
1815年10月のある日、76歳のディーニュのミリエル司教の司教館を、46歳のひとりの男が訪れる。男の名はジャン・ヴァルジャン。姉の子ども達のために、たった1本のパンを盗んだ罪でトゥーロンの徒刑場で19年も服役していた。行く先々で冷遇された彼を、司教は温かく迎え入れる。しかし、その夜、司教が大切にしていた銀食器をヴァルジャンに盗まれてしまう。翌朝、彼を捕らえた憲兵に対して司教は「食器は私が与えた」と彼を放免させた上に、残りの唯一の財産である2本の銀の燭台も彼に差し出す。それまで人間不信と憎悪の塊であったヴァルジャンの魂は司教の信念に打ち砕かれる。迷いあぐねているうちに、サヴォワの少年プティ・ジェルヴェ(Petit-Gervais)の持っていた銀貨40スー[1]を結果的に奪ってしまったことを司教に懺悔し、正直な人間として生きていくことを誓う。
1819年、ヴァルジャンはモントルイユ=シュル=メールで『マドレーヌ』と名乗り、黒いガラス玉および模造宝石の産業を興して成功をおさめていた。さらに、その善良な人柄と言動が人々に高く評価され、彼自身は望んではいなかったがこの街の市長になっていた。彼の営む工場では、1年ほど前からひとりの女性が働いていた。彼女の名前はファンティーヌ。パリから故郷のこの街に戻った彼女は、3歳になる娘をモンフェルメイユのテナルディエ夫妻に預け、女工として働いていた。
それから4年後の1823年1月、ジャン・ヴァルジャンの経営する工場から解雇され貧困のため髪の毛・前歯までも売り尽くし、ついには売春婦として働いていたファンティーヌは、あるいざこざがきっかけでヴァルジャンに救われる。病に倒れた彼女の窮状を知った彼は、彼女の娘コゼットを連れて帰ることを約束する。実は、コゼットを預かるテナルディエ夫妻は「養育費」と称し、様々な理由をつけてはファンティーヌから金をせびっていた。それが今では100フラン[2]の借金となって、彼女の肩に重くのしかかっていた。
だが、コゼットを迎えにモンフェルメイユへ行こうとした矢先、ヴァルジャンは、自分と間違えられて逮捕された男シャンマティユーのことを私服警官ジャヴェールから聞かされる。葛藤の末、シャンマティユーを救うことを優先し、自身の正体を裁判所で公表する。結果、プティ・ジェルヴェから銀40スーを盗んだ罪により、ファンティーヌの病室でジャヴェールに逮捕され、その場にいたファンティーヌはショック死する。ヴァルジャンはその夜に牢屋から抜け出すが、数日後に再び捕らえられた。
ヴァルジャンは裁判で終身徒刑(=終身刑)の判決を受け、ツーロンの徒刑場へ送られた。ツーロンでは、入港した軍艦オリオン号で水夫が落ちる事故が起きた。綱につかまっていた水夫を助けたのが船で働いていた囚人だが、戻る途中に海に転落して消えた。それが通算5度目となる脱獄を図ったヴァルジャンだった。
そして、1823年のクリスマス・イヴの夜。今は亡きファンティーヌとの約束を果たすためモンフェルメイユにやって来たヴァルジャンは、村はずれの泉でコゼットに出会う。当時、コゼットは8歳であったにも拘らず、テナルディエ夫妻の営む宿屋で女中としてただ働きさせられている上に夫妻から虐待され、娘たちからも軽蔑されていた。ヴァルジャンは静かな怒りをおぼえ、テナルディエの要求どおり1500フラン[3]を払い、クリスマスの日にコゼットを奪還する。
道中、後を追ってきたテナルディエを牽制したヴァルジャンは、コゼットを連れてそのままパリへ逃亡し、ゴルボー屋敷に落ち着く。しかし、そこにもパリに赴任していたジャヴェールの手が迫る。逃走して逃げ込んだ先が、ヴァルジャンが馬車の下敷きから助けたフォーシュルヴァン爺さんが働くル・プティ・ピクピュス修道院だった。フォーシュルヴァンの協力で、ふたりは修道院で暮らし始める。母のことをあまり覚えていないコゼットは、ヴァルジャンを父として、また友達として心の底から慕い、愛し続ける。ヴァルジャン自身もコゼットを娘として、あらゆるたぐいの愛情を捧げる絶対的な存在として、彼女にまごころからの愛を注ぎ続ける。
フォーシュルヴァン爺さんの没後、パリのプリュメ通りにある邸宅に落ち着いたヴァルジャンとコゼットは、よくリュクサンブール公園に散歩に来ていた。そんなふたりの姿をひとりの若者が見ていた。彼の名はマリユス・ポンメルシー。共和派の秘密結社ABC(ア・ベ・セー)の友に所属する貧乏な学生である。ブルジョワ出身の彼は幼い頃に母を亡くし、母方の祖父に育てられたが、17歳のとき、ナポレオン1世のもとで働いていた父の死がきっかけでボナパルティズムに傾倒し、王政復古賛成派の祖父と対立。家出していた。マリユスは美しく成長したコゼットに一目惚れし、「ユルシュール」と勝手に名づけ、何も考えられないほど彼女に恋焦がれてしまう。
テナルディエ夫妻の長女エポニーヌの助けを得て、マリユスは「ユルシュール」の住まいを見つけ、同じころ彼に惚れていた「ユルシュール」ことコゼットに、ようやく出逢うことができた。この出逢い以降、ふたりは互いを深く愛し合うようになる。だが、1832年6月3日、コゼットはヴァルジャンから、1週間後にイギリスへ渡ることを聞かされ、それをマリユスに話してしまう。ふたりの恋路は突然の別れという最大の試練に塞がれてしまった。
コゼットと、彼女に絶対的な愛を捧げるジャン・ヴァルジャンとマリユス――この3人を中心とした運命の渦は、ジャヴェール、テナルディエ一家、マリユスの家族や親しい人々、犯罪者集団パトロン=ミネット、そしてABCの友のメンバーまで巻き込んで、『悲惨な人々』(レ・ミゼラブル)の織りなす物語をあちこちに残していく。大きくなった運命の渦は、七月革命の影響で混沌のなかにあるパリを駆けまわり、やがて1832年6月5日に勃発する六月暴動へと向かってゆくことになる。(以下の展開は、#登場人物を参照すること。)
これは、ひとりの徒刑囚が偉大なる聖人として生涯を終えるまでの物語であり、その底を流れているのは、永遠に変わることのない真実の『愛』である。

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