今日の夜の9時からは
『ローマの休日』(映画 日本語吹替版)
当初変換したら『老間の休日』と出た。
お袋を思い出してしまった。
『老婆の休日』
『老婆は一日にしてならず』
昨日は『小さな恋のメロディ』
これは尻切れトンボに終わった。
今日は完全に録れた。
白黒だが。
ローマの休日は映画館で観た。
恐らく高校生の頃。
大宮で1回、その週に会津若松で1回
週に2度も観たことがあった。
ローマも訪れて見たかった。映画みたいにローマ中をバイクで回りたい。真実の口、トレビの泉など
髪型を自由に(思いっきり短く、例えば坊主頭に)、カフェでお茶(映画ではシャンパンだった)、ジェラートを食べる。やりたいことをやる、若さの権利。
とにかくオードリーの魅力が満載。だから、何度も観てしまうんだろうな。
『ローマの休日』(ローマのきゅうじつ、原題:Roman Holiday)は、1953年製作のアメリカ映画。主演はグレゴリー・ペックとオードリー・ヘプバーン。ウィリアム・ワイラーが製作・監督した。
イタリアのローマを表敬訪問した某国の王女と、彼女が滞在先から飛び出して一人でローマ市内に出たときに知り合った新聞記者との1日の恋を描いている。トレヴィの泉や真実の口などローマの名だたる観光スポットが登場する。
新聞記者をグレゴリー・ペック、王女をオードリー・ヘプバーンが演じている。当時新人だったヘプバーンは、本作により1953年のアカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した。このほかイーディス・ヘッドが「最優秀衣裳デザイン賞」を、イアン・マクレラン・ハンターが「最優秀原案賞」をそれぞれ受賞している。
ただし、本作の原案(ストーリー)は実際にはダルトン・トランボが執筆したものだった。当時のマッカーシー旋風による赤狩りでトランボはハリウッドを追われていたため、名義を借用したのである。アカデミー賞選考委員会は、1993年にトランボへ改めて「1953年最優秀原案賞」を贈呈している[3]。
ヨーロッパきっての古い歴史と伝統を持つ某国の王位継承者であるアン王女は、ヨーロッパ各国を表敬訪問中であった。最後の滞在国であるイタリアのローマで、過密なスケジュール、疲労感と自由のない生活への不満により、ついに王女はヒステリーを起こしてしまう。
その夜、密かに城を抜けだした王女は、直前に打たれていた鎮静剤のせいで、無防備にも路傍のベンチでうとうとし始める。そこに通りかかったのが、アメリカ人新聞記者のジョー・ブラッドレーだった。見かねて介抱するうち、いつの間にか王女はジョーのアパートまでついて来てしまう[4]。眠くて仕方のない王女は、詩を朗読して寝てしまう[5]。
翌日の昼になって、王女の素性に気づいたジョーは、王女の秘密のローマ体験という大スクープをものにしようと、職業を偽り、友人のカメラマンであるアーヴィングの助けを得て、どうにか王女を連れ歩くことに成功する。
王女は、市場での散策を楽しむ。まずサンダルを買い、美容院で髪の毛を短くし、スペイン広場でジェラートを食べる。その後ジョーとベスパに2人乗りしてローマ市内を廻り、真実の口を訪れ、サンタンジェロ城前のテヴェレ川でのダンスパーティーに参加する。その様子をアーヴィングが次々とスクープ写真を撮っていくうち、永遠の都ローマで、自由を満喫するアン王女と新聞記者のジョーの気持ちは、次第に近づいていくのであった。
キャスト
ジョー・ブラッドレー - グレゴリー・ペック
アン王女(アーニャ・スミス) - オードリー・ヘプバーン

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