『キルトフェスティバルOSAKA2009』という催しに行って来た。タダ券が手に入ったので。いつも、色んなキルト展のチケットをもらうのに、行きそびれてしまう。誰かが背中を押してくれないと、なかなか重たいお尻が上がらないのだ。
今回のは、野原チャックさんのスクール主催だったのだが、アンティークのコレクションもたくさん出展される、と聞いて出かける気になった。(ほんとは日曜日、だらだらごろごろですごしたい私)場所は心斎橋の大丸、ちょうど卒業式の服を見たかったので、帰りに梅田で寄り道だ。
イベントはこんな感じ。
http://www.daimaru.co.jp/museum/shinsaibashi/kiruto_fes.html
しょっぱなから大迫力のアンティークキルト。ほんとにすりきれそうなトップ、アップリケが取れてしまってる部分があったり、色が褪せて元が何色か判らなくなっていたり。ひとつひとつ、説明をじっくり読みながら、できたばかりのそのキルトがかかっている当時の部屋を想像してみた。
私のキルトも、もう色は剥げてるし、端はほつれている。洗濯機でがんがん洗うので仕方ないのだけど、100年以上も大切に大切に使って、残しておいてくれたら、こんな風になるだろうか、と思った。いや、それはないな、絶対に。
アンティークも色々あって、ペーパーライナーの型紙が残ったままのイギリスのキルトや、丁寧なピーシング、キルティングのアーリーアメリカンなのや、ゴージャスなシルクやウールに華やかな刺繍がちょっと大阪のおばちゃんを思わせる(失礼)ヴィクトリアンや、それぞれにそれぞれの味があってすばらしかった。
なんとなく気持ちが、いにしえ人に寄り添ったような思いでいたら、急に現代の作品コーナーになった。そこでまたしんどくなっちゃった。どれも素晴らしい作品なのだけど、いや、すばらしい作品だから、かもしれない、しんどい。私にとって、たぶん私のキルトだけが(へたくそだけど)ちゃんと向き合えるものなんだと思う。
技術やセンス、感覚はすばらしい。上手だ、って思うんだけど、頭をがつんとやられるような衝撃は受けない。何だか、歌と似てるな、と感じた。うまい人は山ほどいて、好きなタイプ、とかずっと聴いていたい、っていう人もたくさんいる。好きじゃないけど上手よね、という人もいるよな。でも、やっぱり身体に電流が走るような思いをさせてくれる歌い手さんってめったにいるもんじゃない。めったにいないから憧れるんだけどね。

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