2005/8/14

雷雨の話2  季節

最近で一番ひどい雷雨は1998年夏。あまりの猛烈さで多摩川花火が中止になった。横浜の1時間雨量92ミリ(最大雨量記録)。
私たちは第三京浜港北インター近くの家電量販店に出かけていた。帰る頃、空が真っ暗になった。まぁ車だから大丈夫と思ったのだが、雷がどんどん近づいてくる。雨はワイパーが全く役立たない激しさ。辺りがパッと明るくなると同時にドカンっと大音響。そんなことが数回あって、一番大きな音と光。と交通信号がパッと消えてしまった。雷も雨も怖かったけれど、信号のない道路を走るのは怖かった。

無事マンション前に着いた。が、雨が強すぎて車から出られない。建物までわずか5m位なのに出られない。20分くらい立ち往生していた。
でもあの大雷雨の中、娘の友人は学校から家まで自転車で2.5kmの道を走りぬいたという。大したものだ。

思い出に残る雷雨は1972年夏。熊谷で秩父鉄道の電車に乗った。乗ってしばらくすると群馬県の方から雷雲襲来。たちまち電車は稲妻・雷鳴に見舞われ激しく雨に打たれた。初めは水滴だった窓もまるで水族館状態。流れ落ちる雨で外は全く見えなかった。関東平野から扇状地を抜け山間部に入るまで雨に降り込められた。やがて雷鳴が遠ざかり、雨脚も弱くなる。電車は狭い山間部を抜け秩父盆地に入ってくる。雨がやんで、日差しが入ってくる。山の緑は雨に濡れて一層鮮やかだ。ふと空を見上げると、電車をまたぐような大きな大きな虹。山から山へ大きなアーチが架かっていた。

約一時間の気象ドラマ。駅に降り立った時の爽やかな風とともに忘れられない。

雷の恐ろしさを知ったのは西穂高独標で起きた松本深志高校生の遭難事故だ。あれは1967年夏。その前年、上高地キャンプに参加し、西穂高独標に登った。その同じ地で同じ歳の高校生たちが落雷事故にあった。他人事に思えなかった。山の雷と言うとあの悲劇を思い出す。

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