2006/11/30

戦力外通告  サッカー(マリノス)

また、このシーズンだ。

奥、中西、平野、下川が戦力外通告を受けた。あとの3人はまぁ納得。でも奥はショック。今年は出番は少なかったけれど、出るとやっぱり違うんだよ。抜け目ないプレーっていうの?まだ、奥のレベルになる選手はいない。

年棒と怪我の多さがネックだったのだろうか。悲しい。佐伯日菜子さんの日記でマリノスの選手のエピソードを読むのも楽しみだったのに、それも叶わぬことになる。久保選手の面白さは日菜子さんの日記で知ったようなものだった。かわいい二人のお嬢さんの成長する様子を見るのも楽しかった。

う〜ん残念。03年の劇的優勝の時。奥が顔を空に向けてこみ上げる涙を振り払うようにしていたのを思い出す。久保が「ゴールを決めた瞬間はどうだったか?」という質問に「大さんが泣いていたので、よかったなぁと思って」と答えていた。

久保ー奥の絶妙コンビがもう見られないのか。〜なんて言っていたら、久保が移籍を希望して、違うチームでこのコンビが見られちゃったりして・・・(悪夢)。

話は違うが、11月28日付朝日新聞スポーツ欄に「中村俊輔」の記事があった。「俊輔風格」という見出しからして格好いい。

ついで小見出し「最高峰・欧州CL語る」俊輔に言わせるとマンUのFKは難度で言うとイタリアで決めたシュートより下だそうだ。イタリアでは壁が近かったり、ゴールが正規の高さより低かったりしたそうだ。そういう中で決めるのは大変なこと。

「布陣と戦術で違った試合に。奥深さ体験した」。
CLの戦い方についての分析や選手評価も面白い。俊輔のサッカー話は本当に具体的で面白いよ。

最後に俊輔が「一番いいプレーが出来るうちに日本に帰って欧州の経験を若い選手に伝えたい」と言っている。嬉しい。マリノスに帰ってくるんだよね。あと何年待てばいいのかな。楽しみだ。
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2006/11/29

昨日TVで見た映画  映画

今日もまたこちらから。保守政治家でさえ危ない。この暴力に対して、マスコミや一般の感度は鈍すぎる。

昨日はNHKBS2で「ベニスに死す」を放送した。今年はルキノ・ヴィスコンティ生誕100年なので、NHKBSで代表作を続けて放映している。「ベニスに死す」は絶対見ようと思い、カレンダーに放送時間も記入して放送日を待っていた。

「ベニスに死す」は淀川長治さんが秀作映画のベストテンに入れていたので、関心があった。それにベニスには今年行ったから、映画にはどんな所が映るのか楽しみでもあった。

で、いよいよ始まった。美少年が登場して、いよいよ物語が進んでいくかなぁと思った頃、「美」についての討論が始まった。字幕の字が小さくてよく読めない。議論も難しい。ふと気が付くと眠っていた。

はっと思って起きて、見ると老作曲家が美少年を見つめるシーン。またフッと寝てしまい、次に目を開いた時は後を追うシーン。

で、次は海岸で海に入る美少年の方へ手を伸ばしつつ崩れ落ちる作曲家。化粧ははげ、染めた髪から黒い染料が流れてくる。ラストシーンだった。

だから、見たのは美少年を見つめるシーンと、ラストシーンだけ。何が何だかわからなかった。

マーラーの曲にも酔わされてしまったのだろう。

それと「のだめカンタービレ」の出てきた「こたつ」に匹敵するホットカーペットのぬくもり。

大傑作を情けない形でしか見られなかった。ちゃんと見た娘は面白かったと言っていた。残念。

で、「そうだ!」と気が付いてWOWOWへ。「旅するジーンズと16歳の夏」をやっていた。もう始まっていた。しばらくするとギリシャの風景。鮮やかだった。青い海と白い建物、赤い花。その前の「ベニス」が落ち着いた地味な映像だったので、目にまぶしかった。

お話はとてもいい。昔はこういう女の子達の友情を描く作品は少なかったなぁ。

4人ともそれぞれエピソードは考えさせるものがある。

一番印象に残ったのは離婚した父親に会いに行ったプエルトリコ系の少女の話。新しい家族優先で彼女を後回しにする父親に腹をたてて、さっさと家に帰ってきてしまう。友人に不満をぶちまける彼女に、友人は「それは私でなく、父親に言うべき」ときっぱり。

彼女は逡巡した挙句父に電話する。「傷つけてすまない」と謝る父に「そういうことではない、私は怒っている」と不当な扱いに抗議する。ここがりっぱ。「どうせ私なんか」といじけず、自分の思いを堂々と主張する言語力と精神的強さ。自己主張とはこういうことだなぁと思った。自分へ誇りを持っている。そこが爽やかだった。

それにしてもアメリカの16歳の早熟なこと。そして10歳の女の子も。

とても爽やかで、ちょっと悲しくて、でも温かい映画なので、若くない方々にもお奨めします。



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2006/11/28

城選手のこと  サッカー(その他)

今日もこちらから。まだ続ける。「言論の自由」が一番大切だ
その1。こんなにも暴力に脅かされている。気まぐれな日々から。

城選手が引退する。まだまだ若い。でももう膝が駄目なのだそうだ。

城選手を初めて知ったのは高校選手権。すごいミドルシュートを決めたと思う。あの年川口能活のいた清水商にPK戦で負けたんじゃなかったっけ?
(あの試合、清水商の監督が「ウチには能活がいるから」と自慢そうに語っていた記憶がある。本当にそういう選手だよね)

ジェフに入るとすぐレギュラー。デビュー何試合か連続ゴールを決めたと思う。その頃週刊誌に「高卒新人に連続ゴール許すJリーグのレベルの低さ」と揶揄された。でも城の能力を評価すべきだよ。

城についてはマリサポのマスター氏がいい文章(11/26)を書いている。

「マイアミの奇跡」だって、伊東が押し込んだけれど、城のゴールと言っていいくらいだ。(11/29訂正)

そして、「ジョホールバール」!。
中山とカズを城とロベスに代えたところから日本の勝機が生まれた。

同点弾!!あのヘディングは難しいと思う。よく決めたよねぇ。金子達仁の本によると、この予選時、カズが不動の先発、怪我で動けなくても使われ続けた。城はキレキレなのに使われず、不満を抱えていたという(あくまでも金子氏説)。だから待ちに待った瞬間でもあったと思う。

あの後、イランのGKアベドサデと城が交差して二人が倒れたことがあった。城も軽い脳震盪みたいだった。立ち上がった城に中田が何事かをささやくシーンがあった。

週刊文春の「ぐんぐん調査(か、ずんずん調査?)」で、ホリイ氏が「妖しい少年愛の世界のようでドキドキした」と書いていた(笑)

フランスW杯では戦犯扱いになった。成田空港で水をかけられた。かわいそうだった。
スペインにも移籍した。マリノスに戻って、数試合はさすがスペイン帰りと思ったけれど・・・。

01年の降格危機の時、城は冴えなかった。ただボールを押し込むだけでよいのにはずした。娘は「城のせいで負けた」とプンプンして帰ってきたことがある。

この年のファン感謝デーが小机であった。間近でみる城はカッコよかった。写真やテレビよりずっと素敵だったよ。

隼麿もいたけど、今でこそ「カッコイイJリーガー」の代表のように言われているが、10代の彼はそこらのお兄ちゃんと変わらなかった。
能活は「TUNAMI」を歌ってすっかり3枚目だったしね。

城が横浜FCに移って何だか都落ちのような気がしないでもなかった。でも、彼はここから輝いた。

つのだまさんのblogだったか誰かのblogで読んだけど、ふがいない試合で怒ってバスまで押しかけたサポーターにキレる若手選手達。その中、城がサポーターに謝り、若手選手にも「こんな試合でもわざわざ見に来てくれているんじゃないか。挨拶しなさい」と叱ったという話。

城も苦労したんだなぁと思う。その中でこういう選手になったのは本当に偉い。チームをJ1に引き上げ、そして引退なんて「美しすぎる」(マスター氏)。

城、ジョホールバールのあの美しいゴールを絶対に忘れないよ!
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2006/11/27

横浜FC優勝・昇格  サッカー(その他)

まず、こちらから。老社会学者作田啓一氏も憤っている。激高老人のblog。

さて、横浜FCが優勝してJ1昇格を決めた。昇格についてはマリノス側では複雑な反響がある。
「2007年秋には横浜ダービーで降格争いをしている」という笑えない冗談もあった。

横浜FCは言うまでもなく99年元旦をもって消滅した(マリノスに合併した?)横浜フリューゲルスのサポーターが立ち上げたチームだ。

私はフリューゲルスとマリノスの合併を認めたJリーグには疑問を持っていたし、フリューゲルスサポーターに同情していた。だから、自分達でチームを作ろうとしたサポーター達の心意気を応援したくて初年度のソシオ会員になった。

自分達で何かをやろうという人たちや、反骨心のある人にはつい応援したくなる。チームに対してというより、サポーターの応援をしたかった。

横浜FCの最初の試合は横国に見に行った。三ッ沢にも行ったことがある。一年目のの最終戦(なのかな?クーィンの「♪We are the champion」が流れていたから)も横国に行った。川崎フロンターレにあのエメルソン(浦和で大活躍)がいて、7−0か7−1でコテンパンにされる試合も見た。

2年目もソシオ会費を払ったし、ビッグフラッグの資金もカンパした。

でも内紛が起こった。

経営はかなりいい加減だったらしい。まぁいろいろあったが、私が疑問に思ったのは、ソシオ会員の名簿が会社側にあり、会社側からはその名簿を使って自分達の言い分だけを載せた一方的な内容の書類が来たことだ。一方サポーターには名簿がなくて、ネットとかビラ配り位でしか、自分達の言い分を主張できなかった。会社は卑怯だなと思った。

その後サポーターは名簿を巡って裁判を起こした。裁判の結果でソシオ会員を辞めようと思った。会社側の言い分が認められた。それで、私はソシオ会員を更新しなかった。サポーターを応援したかったが誰を応援していいのかわからなくなった。

Jリーグが始まった頃は、横浜だから、両方のチームを応援していた。

最初の頃、私はマリノスの守りの堅い試合があんまり好きじゃなかった。(井原も川口も好きだったけれど。)
でも中村俊輔がレギュラーになり、そのプレーに魅力を感じるようになっていった。横浜FCのソシオ会員を辞めてから、きっぱりマリノス応援に切り替えた。

今FCには城やカズや山口や小村がいる。みんなサッカーが好きなんだね(というのは一方であの有名旅人氏のことを考えるから)。カズも城も、山口もみんな本当にサッカー選手の手本だよ。

高木監督がこんな有能とは思っていなかった。ごめんなさい。

最初の頃の選手はみんなどうしているかなぁ。後藤さんは引退、遠藤選手、渡辺一平選手も引退、増田功作、高木成太、小野信義選手とかどうしているのだろう。薮田選手が頑張っているのは知っているけど。

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2006/11/26

今年を象徴・大分戦  サッカー(マリノス)

0−1の負けは必然の結果。大分の方がボールへの寄せが速かった。パスも正確。守備も堅い。
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ホーム最終戦2万4千人入った。新横パフォーマンス(黒船祭り)の人出もあり、相手が大分の割にはよく入った。でもこんな試合じゃファンは増えないよ。

松田を止めるチームメートがいない。勝手にキレてゲームをぶち壊した松田(退場)。まだ時間はあった。負けてる方が10人になってどうする。キャプテンマークを放り投げ、ヘアバンドも捨て、ユニフォームも脱いで引き上げていったナオキ。

呆然として写真を撮ることも忘れたよ。

まぁナオキの気持もわかる。まったくボールを収められないFW、貯めをつくれない中盤。攻撃に耐えるしかない守備陣。終了間際パワープレイに出たナオキにしてみれば、気迫の感じられないチームメイトは歯がゆくて、許せない気持だったのだろう。空回りする気持。

坂田も大島も駄目だったねぇ。それでも大島は競っていたし自分の役目がわかっていた。坂田はDFを抜くことがもうできないのか?久保はもう駄目かもしれない。飛べない、打てない。怖くない。

隼麿は相変わらずクロスが駄目。上野も消えていた。中西はもう限界。ファウルでしか止められない。狩野は前より走るようになったけれど、まだまだ。途中出場の若い大分・梅崎にも上を行かれちゃったんだよ。自分の位置を自覚しなくちゃ。

那須、山瀬、哲也は一生懸命さが伝わった。でも那須はロングボールの意図がチームメイトに伝わってないのか、ミスになることが多かった。山瀬は気の毒だよ。本当にもう二人山瀬がほしい。

「まだ天皇杯があるので、引き続き頑張る」と中澤が挨拶。本当はキャプテン松田が挨拶すべきだったと思うよ。水沼さんや左伴社長の挨拶はなし。
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厳しい表情の中澤選手。天皇杯、意地をみせてくれ。

最後、ピッチを一周してサポーターに挨拶。情けないシーズンだったね。
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チームメイトの後をうなだれて歩く松田。もういい歳なんだから、自覚しなくちゃ。良くも悪くもマリノスは松田の影響力が強い。水沼さんの指導力も問われている。
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2006/11/25

黒船まつり  旅・散歩

今日もこちらから。いろいろな事実を知っていく必要がありますね。

25日、26日日産スタジアムで「新横浜パフォーマンス・黒船祭り」が行われる。散歩を兼ねて出かけてみた。
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東ゲート橋。黒船祭りの旗がたなびいている。イチョウも色づいた。

東ゲート橋ではよさこい踊りをやっていた。
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かなり激しい踊り。ゲート橋が地震が来たかのように揺れた。

ステージではバンド演奏。夜の部は中西圭三。
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東ゲートの大階段から写す。

東ゲート広場には食べ物屋や物産展、子供向けゲームなどで賑わっていた。

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「新横浜名物 鴨まん」お買い上げ。

犬の散歩が多いと思ったら、中央公園(北ゲートと西ゲートの間)でドッグランをやっていたのだった。

さて、明日も黒船祭りは行われる。そのメインイベントはマリノスの最終戦だ。勝って楽しく祭りを終えよう。
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2006/11/24

長寿な人々  

木喰上人が60歳から仏像を彫り始めて、92歳まで彫り続けたという話を先日書いた。当時としては稀な長寿だ。

葛飾北斎も90歳まで生きた。84〜5歳の頃、信州小布施に旅行、滞在している。84歳で江戸から小布施まで旅行とは、歩いて行ったのかどうかわからないが、もし、籠や馬で行ったとしてもすごい。しかも最晩年まで創作意欲は衰えなかった。

三浦雄一郎さんのお父様、故三浦敬三さんも99歳でモンブランをスキーで滑降している。確か101歳まで長生きされた。三浦一族は筋肉や内臓が丈夫な家系なのだろうと言う気がする。

バイト先の同僚はマラソンランナーだが、彼のマラソン仲間には、91歳で富士山登山、92歳で屋久島縄文杉登山された方がいる。93歳の今も毎日ジョギングを欠かさない。もともと身体が丈夫な方だろうが、それに毎日の精進が長寿につながっているのだろう。

友人のお父様は70歳を過ぎてから、自宅のある山里の段々畑を植物園に変えてきたそうだ。5年から長いものは10年計画で花の木を植えてきた。今では花の時期には地方新聞で「花の見頃」と報じると言う。臨時駐車場も出来るそうだ。85歳くらいの時に次の木はこれに、というので、花が咲くまで生きているかな?と家族は思ったそうだが、91歳の今も元気で木の手入れに余念がない。山道を車で走り回っているというからバリバリだ。

今日本で長寿の現役というと聖路加病院の日野原重明先生がいる。95歳で現役医師。高齢者の希望の星だ。こういう方が病院にいるだけで、心が安らげる気がする。
日野原さんは若い頃結核をわずらったということだから、体育会系の丈夫さではなかったとは思う。でもきっと「生き方上手」だったのだろう。

ご近所に国立大学の学長も勤められた碩学がいらっしゃる。先日ご一緒する機会があったので、「先生はいつもお元気でらっしゃいますが、お幾つになられたのですか?」と不躾とは思いつつ尋ねてみた。

「93歳です」と微笑みながらおっしゃった。耳も全然悪くない。以前に比べれば、背中が丸くなったとはいえ、細身の身体でシャキシャキと歩かれる。私より歩くのが速いくらいだ。だが、特に身体を鍛えた方ではない。

大学者の先生が下駄履きでコンビニから出てくる姿を見ると、本当に立派な方は全然偉ぶらないんだなぁと思う。ご家族がお近くにいるとはいえ、奥様をなくされてからは一人暮らしだ。強い精神力と深い教養に支えられてのご長寿だ。

たぶん、私達はそんなに長生きは出来ないと思う。いろんな意味でヤワだ。でも、ご長寿の方にはきっと共通する生き方や気持の持ち方があると思う。少しでもまねできたら、毎日毎日が健やかなものとなるだろう。

そういえば私の母も86歳だ。今でも編み物をしている。黒い細い糸で編んだセーターや紺色のベストをプレゼントしてくれる。暗色の毛糸は綴じたりするのが大変だ。今の私でも、編むなら明度の高いものにしたい。だから、母はよくやるなぁと思う。その上、一昨年から「永井荷風全集」を読み続け、読了したと言う。大したものだ。
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