2008/9/10

北京のパンダ  旅・散歩

観戦仲間のYさんから北京動物園のパンダの写真を頂いたので、掲載します。

かわいい。
クリックすると元のサイズで表示します

Yさん達はは上海で「なでしこ」の爆勝(ノルウェーに5-1)を見て、瀋陽でU23第3戦(対オランダ戦)を見て、北京で卓球・柔道・陸上、更にパンダを見た。

意欲的な北京オリンピック観戦だねぇ

「なでしこ」とパンダは羨ましいなぁ

0

2008/9/9

デザイン変更及びテニス他  スポーツ一般

秋になったので、デザインを変更してみた。

秋らしいデザインがあんまりなくて、仕方なく季節感のないものにした。大体デザインが若い人向けだよね。

ススキとか萩とか、お月見とか、紅葉とか、全くなかった。

渋いのは背景色が濃くて、字が白抜きみたいになる。それだと読みにくいからね。

本当は左右メニューでなく、左メニューのみにしたかった。残念。

さて、先月末から日曜日まで雷雨・ゲリラ豪雨の変な天気だったが、今日ようやく秋らしい爽やかな天候になった。

北海道の大雪山系からは紅葉の便りが届いた。ススキの穂も伸びている。日がいつの間にか短くなった。

この季節、サッカー観戦も気持ちいいね。夜は冷えるようになるから注意しなくちゃ。もう今週末は神戸戦だ。日産スタジアムには1ヶ月ぶりどころか2ヶ月ぶりくらいだ。

監督の腕には不安もあるが、御殿場キャンプでいい準備をしてきたと信じたい。代表に呼ばれなかった山瀬お兄ちゃんも、開幕当時の切れを取り戻してるかもしれないし。中澤の疲労が心配だけど、もし勇蔵が戻るなら大丈夫だよね。

全米オープンはフェデラーの五連覇で幕を閉じた。全仏やウィンブルドンの時はナダルは最強で、負けるなんてことは考えられなかった。お疲れかな。

ナダル−マレーの試合を見たけれど、ナダルは飄々としたマレーのプレーに勢いをそがれたような気がした。

フェデラーが全米、ウィンブルトンともに五連覇したわけだが、これは史上初めてだそうだ。すごいなぁ。優雅な雰囲気のある選手だね。

ウィンブルドンの時に、「ボルグ以来」とボルグの名前が何度も出てきて懐かしかった。彼はカッコよかったね。一世風靡した。今も素敵だけれど。

全米では観客席のクリス・エバートが何度も映った。彼女も素敵だった。クールビューティ。

1970〜80年代、ナブラチロワとかキング夫人とか、あの頃の選手は印象が強い。今はなかなか選手を覚えられない。

にしても、今「夫人」なんて呼び方はしない。あの頃は平気でそう呼んでいただね。キング夫人とかコート夫人とか。

キング夫人といえば、女性テニス選手の地位向上に努めたことで知られる。50代の男性テニス選手の挑戦を受けて、3−0で退けた。このニュースはスカッとしたね。

この男性選手は女子テニスをすごく馬鹿にしていた記憶があるけど、この試合がきっかけになって女子の地位向上が図られたのなら、彼にも功績があったということになる。

と、取りとめもない話で今日は終わり。
0

2008/9/8

blogの容量など  

blogの容量の残りが少なくなってきた。容量使用率87%を超えた。

それはまずいと思い、画像の整理をすることにした。04年の夏から、07年春くらいまで点検してみた。

blogに載せた写真を削除するのは結構勇気が入る。写真を見ると、「あ〜、ここ楽しかったな」「きれいな場所だった」とか、「この試合は快勝だったなぁ」「○○選手のシュートはすごかった」とか、思い出にふけってしまう。

結局10%くらいしか削除できなかった。機会を見て、古いものから少しずつ削除していこう。

でも、いつかは容量がいっぱいになってしまう。そういう場合はblogの引越しをするのだろうか?こういうことがわからない。詳しい方教えてください。自分でも調べなくちゃいけないな。

blogのデザインも、もう秋なのだから変更しなくてはいけない。なかなか手間がかかります。

blogに記事を書くだけなら、気楽なんだけどね。

0

2008/9/7

最後ひやひやバーレン戦  サッカー(代表)

2失点のバタバタ。ドイツW杯豪戦のトラウマ?みんな焦ってしまう。

いや、「みんな」と言ったらいけないな。「私が」だね。悪夢がよぎって落ち着いていられない。

4時過ぎに起きた時、既に1点入っていた。娘が「俊輔だよ」と教えてくれた。その後、遠藤のFKから俊輔がシュート、それがPKになって遠藤が決めた。

俊輔は大エースだね。よくここまで、とまたまた母の気持ちになってしまった。

松井のクレバーな守備と攻撃、達也の切れ、俊輔や遠藤の落ち着き(以下略)、と安心して見ていられた。

後半の松井→中村憲、玉田→佐藤は納得の交代。憲剛は頭のいい人だよね。何が必要かわかっている。3点目ありがとう。

がっ、0−3で、相手が10人で、後半40過ぎに2点取られるって考えられない。どうかしている。

長谷部→今野の交代は?だった。

まぁ、勝点3を取ったことを評価した方がいいのかな。

日本の選手のプレーは見慣れている範囲が多いのだけど、時々「Jリーグとは違うなぁ」と思わされるプレー、それは俊輔、松井、憲剛だった。その場面で、そう動くのか、そういうパスなのか、シュートなのか、と勉強(笑)になった。

しかし、最終予選は痺れるね。次のウズベキスタン戦がますます楽しみになった。
0

2008/9/6

北京ツアー20 まとめ  旅・散歩

いよいよ最後の記録。読んでくださった皆様、ありがとうございました。

(7)中国語
思っていたより役立った。まったく知らないより、少しでも知っていると便利だと実感。

マッサージでの会話は「ドキドキ体験2」で、食事の時の経験は「グルメ瀋陽」で触れた。

天津の試合帰りのタクシー、Sさん(急に頭文字)に「中国はどうだったか聞いて」と言われたので、聞いてみた。運転手さん「シューラ」(輸了=負けた)。

「ゲンウォーメンイーヤン(私たちと同じね」。というと、ぺらぺらしゃべって何だかよくわからない。「バーガレン(8ヶ人)」いう言葉が聞こえた。「え?8人になっちゃったの?退場者が出ちゃったの?」

テレビで見たら、2人退場になっていた。フィールドプレーヤーが8人だったということか。あら、聞き取れたじゃん、と嬉しくなった。

瀋陽でこれまたタクシーの運転手。ぶっきら棒に「ハングオ?」と言うので、とっさに「リーベン(日本)」と答えた。「あ、日本人か」みたいな感じで頷いていた。瀋陽は「韓国(ハングオ)人」が多いらしい。

中国の人に聞かれたので多かった(と言っても3回の)質問は「チケットは自分で買ったのか?」だった。新幹線のカップル、バレーボール会場の女性店員、夜行列車の中。チケット入手が難しかったのだろうと推測した。

とにかく、言葉が少しわかると楽しさが全然違う。次の五輪はロンドンだから、英語か。英語もラジオ講座聞こうかな

(8)中国
30年前、私は広州−上海−南昌−長沙ー広州と回った。皆人民服だった。自動車も走っていない。もちろん高層ビルも高速道路もなかった。中国は貧しかった。

町へ出れば、人垣に囲まれた。まるでスターになったかのようだった。外国人(服装でわかる)が珍しかったのだと思う。

日本人とわかっても、好奇心以外の感情をぶつけられることはなかった。統制されていたのだろう。

中国は豊かになり大国になった。でも、まだまだ内向きと感じる。スタジアムでの日本へのブーイングは、それが五輪の場でどうなのか、世界から見たらどうなのか、という考えはないようだった。うっぷん晴らしのような騒ぎ方は、国際試合の観戦としては未熟。

でも、このツアー記録を書いてきて、いろいろな場面で中国の人たちに親切にされたことを改めて感じた。

甘いことを言うようだけど、個人と個人のそういう経験を積み上げて、必要もない対立を避けることが出来たら、と思う。愚かな政治家に対立を煽られないように。

そのためには中国は、やっぱり「自由」が必要だよね。「内向き」思考を改めるにも世界を知ることが必要だ。中国には、言論、報道、思想もろもろの自由が必要。それがないと、結局は自分達が苦しむことになる。
(チャン・イーモウは御用文化人になってる場合じゃないよ)

それは私達日本人にも返って来ることだけど。

(9)ツアーメンバー
これがこの旅の「一番」です。こんな個性豊かな、エネルギーに満ち溢れ、小さな日常の枠を簡単に乗り越えて(突破して)しまうメンバーに会えたことが何よりの幸福でした。

皆様ありがとう!!!

家族や地域という小さな世界で暮らしてきた私にとっては驚きの連続。自分の世界が広がった。細かいことやぐだぐだしたことはどうでもいいや、という気分になった。

サッカー話に花を咲かせたことも楽しかった。すごいデーターベースを持っている人がいて、これもびっくり。

日産スタジアムの杮落としの試合は雪が降って、城がユ・サンチョルに歯を折られて、でも勝ったとか。あの試合は○○のアシストで、△△が、こういうキックで決めたとか。みんな頭に入っている。

00年レバノン・アジアカップ・イラク戦。俊輔の真横に蹴ったFKのボールを、名波がボレーで叩き込んだゴール。あれはすごかった、ベストゴールだね、ということになった。最強チームだったなぁ。

(10)若者達
代表サポーターの若者達のことを、私は視野の狭い・日本偏愛の人たちと思っていた。違っていた。ごめんなさいm(__)m。とても公平。冷静。度量が広い。

大人たちの勧めに従って、「9.18抗日記念館」も見学に行っていたね。日本が引き起こしたこともきちんと受け止めようとしていた。

スタジアムでの中国人のブーイングに反発しつつも、それ以外の場では中国人に親切にされたり助けてもらったことを素直に感謝している。

それに、おばさんの昔話を一生懸命聞いてくれた。そういうことってなかなか出来ないことだよ。彼らはコミュニケーション能力が高いと思う。

最近の若者の事件を見ると、独りよがりで他人への共感能力の乏しい人たちが多いでしょう。うまくコミュニケーションがとれない人たちが多くなっていると思っていた。

彼らを見て、若者への見方も変わった。日本の若者に希望を托せると思った。

期待してるよ、若者達!

0

2008/9/5

北京ツアー19雑感  旅・散歩

切りのいい数字まで北京ツアー記録を書くつもり。だから20回まで。

(4)飛行機
私は飛行機が苦手。だから飛行機を使う旅行にはあんまり行かない。日本国内では長野県への旅行がダントツに多い。

「飛行機に乗る」と考えると何日も前から夜眠れなくなる。飛行機に乗った後「ここは飛行機ではない」と必死で自己暗示をかける。でもずっと不安で、ちょっとでもガタガタすれば足を踏ん張り、肘掛けを握り締める。飛行機の中で眠れたためしがない。

だけど、今回は不思議。行きの飛行機から平気だった。旅行への期待がふくらんで恐怖は(少ししか)感じなかった。

青島で48人乗り小型飛行機に乗る時はちょっと不安を感じた、でも、乗ってしまえは全然大丈夫。ほとんど揺れなかったし、着陸もスムーズ。

中国では、着陸はどこでもスムーズ、ソフトランディングだったね。(離陸の時は目をつぶって何も見ない・聞かないようにしているからわからない)

それに中国は、広〜い場所に、広々した空港を造るから、その点でも安心だった。日本だと、例えば、福岡空港は過密だし、対馬空港は絶壁の上だったもんね。

成田ー青島間は行きも帰りもJAL。↓機内食。行きは朝おにぎりを食べてしまったので、ほとんど食べず。
クリックすると元のサイズで表示します
竹の包みはご飯。

帰りもおなかがへっていなかったので、あんまり食べなかった。カレーやそうめんもあった。コーヒーサービスがあるので、JALはいいなぁと思った。

中国国内ではほとんどなくて、帰りの瀋陽−青島間だけ。でも砂糖・ミルク入りの甘いコーヒーだった。

映画は「カンフーパンダ」を少し見たけどつまらないのでやめた。帰りは食事・機内販売が終わった後から「西の魔女が死んだ」を見始めたが、終わらないうちに成田についてしまった。青島−成田は近い。

帰りはずっと飛行機から外を見ていた。広がる雲の間から行く筋もの光が差し込んで、まるで宗教画のような神々しい光景も見た。

もう、飛行機に乗るのは怖くないと思う。

(5)ファッション
2年前夏イタリアに行った時、女性の露出の多さに目のやり場に困った。本当にすごいんだよね。そのうち慣れて、イタリア人だからいいのだと思うようになったけど。

それに比べると中国はおとなしいので、安心(笑)。ほとんどがポロシャツ、Tシャツ、ブラウスにスカート、パンツの組合せ、或いはワンピースというオーソドックスなもの。

日本の女の子のように、キャミソールやらタンクトップ、Tシャツ、チュニック(何だか分からないけど)の重ね着ルックや「レギンス」などはない。日本に帰って、日本のファッションは多彩でおしゃれだなぁと感心した。

ただ、日本の女性の重ね着はにぎやかなようでいて、色や模様は落ち着いている。中国の、特にワンピースは、派手な柄に布花(アップリケ)が付いて、更にビーズ刺繍があるようなコテコテ。でも不思議に、上手に着こなしている。中国の若い女性は、スラッとしている人が多い。

中国のおじさんたち、シャツの前すそを持ち上げて、メタボのおなかを出して歩いている。結構見かけた。こうすると涼しいのだろう。これも露出といえば露出。いただけないね。日本のおじさん達は、これはしないからグー。

(6)街で見かけたもの。
天津。家の外に出て、食事したり、おしゃべりしたり、将棋やらをしたりしている人が多い。夕食後、歩道に簡易イスを持ち出して、おばさんたちが4〜5人輪になってしゃべっていたり、おばあさんがちょこんと座っていたり。

まだ、地域の人のつながりが生きているなぁと思った。日本では、アパート・マンションの外の歩道にズラーッと人が出てくつろいでいる、という風景はまずない。(下町では今でもあるのかな)。

瀋陽でも同じような風景があったね。

瀋陽では、故宮に行く時タクシーが裏道を通った。そこは小さな露店が連なっていた。

その端の方、歩道に腰掛けて「力工(←カタカナでなく漢字)」、「水道修理」等々小さな看板を掲げている人達がいた。特に「力工」の人は痩せてみすぼらしい感じだった。仕事を求めているのだろうと思った。

北京、天津、瀋陽とも表通りでは全く見ることがなかったので、これも中国の一面だと思った。
0

2008/9/4

北京ツアー18雑感  旅・散歩

そろそろ終わりかな北京ツアー記。よくもこんなに書くことがありますね、自分で感心

(1)天候
北京に行く前は気候が心配だった。連日のテレビ中継で「夜でも35度」とか「40度」とか言っていたからね。2年前イタリア旅行の「炎暑」の辛い思い出が蘇る。

行く前には「冷えピタ」とか「サラッとシート」とか「ポカリスェット」とか熱中症対策グッズを沢山用意した。

でも全く問題はなかった。熱中症グッズは使わなかった。

天津では2日続けて雷雨だった。北京に行った11日は朝5時前から雷雨。北京でも降ったのかな。曇りがちで気温も30度を越えなかった。

瀋陽は日差しはきつかったが、風は涼しく爽やか。「軽井沢だぁ」と思った。

日本に帰ってきた翌日だったか(日にちは定かではない)、37〜38度のこの夏最高気温になった。テレビでインドネシアからの観光客が「インドネシアより暑いです」と言っていた。

日本で8月オリンピックは北京以上に暑いんじゃないだろうか。でなければゲリラ豪雨?

(2)警備
空港、駅、試合会場、どこも厳しかった。

空港は世界共通だろうけど、化粧品・薬類を透明ビニール袋に入れて別に見せなくてはならない。面倒だね。中国国内の乗り継ぎの場合、成田の免税店で買った化粧品類も透明ビニール袋に入れ、店の領収書を添えるっていうのもわずらわしい。

空港に、拳銃じゃない小銃?(武器に詳しくないから分からないけど)を胸の前で抱えている警備員(兵隊)がいた。あの姿を見るとビビるね。

天安門前では、行進する4人縦隊の兵士に次々遭った。数10m間隔でパトロールしていたということかな。あれも威圧感ある。ツアーの若者達は兵士の後を、真似して歩いたけど見つからなくて良かったね。

試合会場は空港と全く同じ。バッグの中は全部あけて調べる。金属探知機もゲートと身体検査の2種類。(親切なボランティアの人たちがいなかったら、かなり頭にきたと思う)

ペットボトルや紙パックは、日本のサッカー場のように紙コップに移し替えてOKにしてくれればいいのに。没収して、中でまた水やコーラを買わせるのはちょっとひどい。
(あ、日本の名古屋万博もそうだったらしいね。他国のことばかり言えないか)

だけど、一番困ると思ったのは地下鉄かな。東京でオリンピックをすることになって、地下鉄であれをやったら、パニックになると思うよ。オリンピック反対。

(3)交通
新幹線も、地下鉄もバスも、夜行列車も快適だった。

道路も整備されている。だけど、交通ルールは結構こわい。

北京はオリンピック施設、天安門・王府井と重要な場所に行ったので、信号もあるし、交通整理の人たちもいたから、きちんと交通ルールが守られていた。

天津のホテルの回りは信号はなかった。道路を横切るのはタイミング。車が来ていても周りが歩き始めたら一緒に突っ切る。最初はなかなか道路を渡れなかった。

(でもベトナムよりだいぶ良いそうだ)。

これは瀋陽も同じ。段々慣れてきたけどね。

でも交通量の多い道で、渡るタイミングが分からない。目の前にいる若い女性を見て「そうだ、このお姉さんについていこう」と思った。一緒に渡り始めたが、途中で車がスピードを落とさないまま突っ込んでくる。「キャッ」と思わずその女性の腕をつかんでしまった。向こうもびっくり、私もびっくりだった。

こういう状態で道を横切るから、自動車の警笛がうるさいうるさい。朝5時頃から「プップ〜」の音で起こされてしまう。

中国のタクシー運転手は運転が上手いね。割り込みや路線変更なんかスピードを落とさないままヒョイヒョイやってしまう。右側通行だから、何だか曲芸のように思えた。

瀋陽のタクシー運転手はシートベルトをせず、料金所の時だけシートベルトを腰のあたりまで引っ張って、してる振りだった。笑っちゃうね。

天津の道路で、歩道もないし信号もないので「自動車専用」と思っていたら、自転車でリヤカーを引いている人も同じ道路だ。びっくりだ。

飛行機から見た青島空港や天津空港のそばの新しい高速道路、天津―北京間で見た高速道路、どれもガラガラだった。利用されていないのだろうか。

(追記:北京市内は渋滞した。現在の天安門・長安路を見て、ツアー仲間は10数年前は自転車の洪水だったが・・・と感慨深けだった。)
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ