2009/10/30

疲れかな  生活

めまいがひどくて、一日中横になっていた。お疲れ気味。

先日、電車に乗ると、前で本を読みふけっていた男性がふと顔をあげた。私の顔を見るといきなり「座りますか?」と言った。

私はびっくりしてしまって、「いいえ、いいえ、大丈夫です」と殊更元気な声で言った。ロマンスグレーの紳士だった。

またある時、混んだ電車で前にいた男性が空いた席に座ろうとした。そして座りながら私と目があうと「あっ」と言うような顔をして「どうぞどうぞ」と座らせてくれた。中年のサラリーマンだった。

一駅くらいだから、別に座らなくてもよかったのだけど、この時は素直に座った。

サラリーマンが空いた席へ手招きしてくれたこともある。

あまり年の違わない方に席を譲ってもらうと、複雑な気持ち。

そんなに疲れた顔をしているのかなぁ。

またある時。自転車前カゴに大荷物を入れて、スタンドをあげた途端、バランスを崩して倒れそうになった。「おっとっと」と必死で支えると、そばにいた中学生が「大丈夫ですか」と手を貸そうとしてくれた。

ひ弱のろまに見えるのかなぁ。

でも、皆さん、親切にしてくれて、労わってくれてありがとう。

落とした財布を交番まで届けてくれた方もいたっけ。こんな世の中でも人の善意を感じる。ありがとう。

姿勢が悪いから老けて見えるんだよというのが、家族の辛らつな意見。「通販生活」で買った「シセイスト」(姿勢矯正キャミソール)を来て、背筋を伸ばして、シャッキっとしなくちゃね。
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2009/10/28

残念でした  サッカー(その他)

名古屋は残念だった。アウェイで大敗したから難しいとは思っていたけど、せめて勝ってほしかった。強行日程の中、闘った選手の皆さん、お疲れ様でした。

マリノスももう一度、ACLに挑戦したいね。前の時は、今ほど注目されていなかった。Jリーグからの支援も少なかった。

もう一度挑戦するためには天皇杯で優勝するしかないのか。優勝したいね。せめて昨年並みに勝ち進みたいと思うよ。

U17も負けてしまった。昨晩(今朝)テレビで見ていた時は、開始20分くらいで2点取ったので、楽勝か、と思って寝てしまった。スイスの選手との体格の差が気にはなったけど。

朝起きて結果を見たら、3−4で負けていた。

徐々に体格差、体力差が出たのかなぁ。ちょっと情けない負け方だね。見ている時もGKが不安定だったりしてたけど。

今日は残念2試合だった。
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2009/10/27

祖母の思い出  生活

先日友人達と食事(ランチ)をした。よもやま話に話が咲く。

昔は子どもの教育や進路の話だったが、更年期の話になり、子供達の就職や結婚、孫の話になり、今は介護問題が中心になる。

もっと介護サービスを受けてくれればいいのに、というのが共通の悩み。

「デイサービスに行けば、お風呂にも入れてくれるよ」と言うと、「オレはそんな男じゃない」と拒否するとか。「どんな男よ!」と言いたくなる、と友人は苦笑。

重い話を打ち切るようにテレビの話題。「大阪人は口癖で『しまったしまった島倉千代子』と言うんですって。では『困った困った』の後は何でしょう?」

私たち世代はすぐわかる。「困った困ったこまどり姉妹でしょう」(笑)

こまどり姉妹は今も現役で、テレビで紹介されたり、ドキュメンタリー映画になったりしているらしい。壮絶な人生だとか。

こまどり姉妹は、祖母が大好きだった。

(私たち孫は、古臭いし、音程はずれるし、二人なのにハモらないし、野暮ったいし、どこがいいんだろうと思っていた。)

当時、双子の歌手と言うと、ザ・ピーナッツとこまどり姉妹だった。祖母はザ・ピーナッツが嫌いだった。

私たちが「シャボン玉ホリデー」を見ていると、いつも不機嫌な顔をしていた。特にラストの「スターダスト」は「嫌な歌だ」と言っていた。聴き慣れないメロディラインと歌い方が好きじゃなかったのかな。

こまどり姉妹は着物姿だったから、それも良かったのだろう。祖母は生涯ほとんどを着物で過ごした人だったし。

肩をむき出しにしたドレスとか、ダンスで足を上げるとか、そういうことを、はしたないと思っていたようだ。

バレエなんていうとお尻が見えそうで「まっさか(本当に)恐ろしいよぉ」と眉をひそめた。

女の子にとって、バレエは憧れだったのに。

私たちが子どもの頃、「りぼん」「少女ブック」とか「少女クラブ」で少女スター、松島トモ子ちゃんとか小鳩くるみちゃんたちがバレエのチュチュを着て登場していた。遠い夢の世界のようだった。

「白鳥の湖」の「4羽の白鳥の踊り」なんか、小学校で友達と手を組んで真似して踊ったりした。(文明堂カステラのCMから?)

だから、テレビでバレエの放送があると、一生懸命見た。マーゴット・フォンテンとかドジンスカヤとか。

「ドジンスカヤ」なんて名前を覚えているくらい熱心に見た。

マーゴット・フォンテンは超有名プリマだから、知っていても不思議ではないが、「ドジンスカヤ」は名前が印象的だったからか、今も覚えている。

今ネットで調べると、1960年に国立レニングラードバレエ団のプリマとして来日している。その時に紹介されたのだと思う。

バレエですら、はしたない恥ずかしいものと思っていた祖母。

オリンピックで「シンクロ」の演技を見るたびに、祖母が生きていたら、またあの顔で「まっさか(本当に)恐ろしいよぉ」と言ったろうなぁと微苦笑してしまう。

こまどり姉妹は着物姿だし、三味線を持って伝統的なわかりやすい歌を歌っていたので、祖母のお気に入りだったのだろう。

バレエやザ・ピーナッツでは相容れなかったが、祖母と一緒にテレビ放送の歌舞伎や女剣劇を見た。昔はテレビのコンテンツが不足していたから、芝居中継などをよくやっていたのだ。

歌舞伎では、勧進帳や助六などを見た。助六は先代団十郎の襲名公演だったと思う。華やかだった。

天守閣に化け物みたいな人達が集まる、何だかコメディタッチの歌舞伎も見たことがあると思うが、何の演目かわからない。歌舞伎のことはわからない。

女剣劇は、今も活躍している浅香光代さんではなく、大江美智子さんが祖母の贔屓だった。浅香さんは安っぽいと評していた。大江さんはすっきり、凛々しかった(と思う)。何の劇を見たのかは全く覚えてなくて、立ち回りだけをなんとなく覚えている。

昔(昭和30年代)はドサ回りの大衆演劇も普通に見た。「一本刀土俵入り」だの、「阿波の巡礼(傾城阿波の鳴門)」とか。

この「傾城阿波の鳴門」は「ととさまの名は、、、かかさまの名は、、、」と子どもの巡礼が言う場面があって、真似をした。うん、幼稚園児だったよ、私。園児がその真似をするので、幼稚園の先生が大笑いしていた。で、お茶目な友達アキエちゃんが一番うまかった。

こまどり姉妹の話から、亡くなって35年たつ祖母のことをいろいろ思い出してしまった。

明治生まれの祖母がいたことで、ずいぶんごっちゃな文化の中にいたものだと思う。
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2009/10/26

松橋力蔵監督の記事  サッカー(マリノス)

東京新聞10月24日(土)「球は転々・・・」に松橋力蔵監督のことが載っている。筆者は財徳健治さん。東京新聞編集員。

タイトルは「経験は考えるヒント 横浜Mユース」

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写真には「全日本ユースサッカー選手権で初優勝へ導いた横浜Mユースの松橋力蔵監督=横浜市で」と説明がある。

Jユースならではの難しさについて、
「一人でも多く優秀な選手を育てトップチームに送り込むのが使命だが、そうそう理想どおりにはいかない」

『ユースから即プロになれなくても、大学に入って成長することもあります。ユースの3年間だけでなく、その後にも気を配り、目を配っていますよ』

小さい時からプロを目指す若者に対峙するには
「『まず指導者の自分がこうと決めたら、けっして折れないこと。そしてやり続けること、やり切ることをいつも言っています。』と話す。選手達にはピッチでの厳しい練習に立ち向かい、耐えて乗り越えていくことを要求する。」

「その中で一人一人の変化、進化するする姿を見逃さない。『小さな動き一つ、あいさつの言葉一つに心身の状態が表れることがありますから』」

「『ああしろ、こうしろ、と言うのではなく、ああだった、こうだったと経験を伝えてやるんです。』(略)」

「経験を押し付けるのではなく、考えるヒントとして与える。」

そして、「木村和司さんの『サッカーを追い求めるんだ」の言葉をかみしめている」

「日進月歩のサッカーだけに研究は欠かせない」

「『今世界のサッカーはどう動いているのか、変化しているとして本質はどこにあるのか。それを探し出し、若い人に提供するのが自分の役目だと思っています』」

オシム監督と同じように、「一日中あらゆるカテゴリーのサッカー試合のビデオを見て過ごすこともある」そうだ。

私は、高円杯優勝後、松橋監督は今のユースは走りこみを徹底的に行ったという風な話を聞いたので、スパルタ式なのかな?と思っていたが、全然違った。

ある意味、教員以上に教育者なんだと思う。研究熱心で、厳しくかつ選手に寄り添える人なんだと感じた。

いい記事と思った。こういう記事が出るのも優勝したからこそ。

トップでも優勝したいね。
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2009/10/25

スポーツいろいろ  スポーツ一般

昨日のガンバ戦は全く見られなかった。携帯メール頼り。スターティングメンバーのお知らせが来て以降、沈黙。

ようやく来たと思ったら「本日の試合結果」。つまり0−0。

守備は堅かったが、攻撃がイマイチということなんだろう。優勝の可能性もACLの可能性もなくなったらしいね。

今年は最初からずっと低空飛行のまま、このまま指定席の中位なんだろうか。昨年より一つでも上に行こうよ。

それはともかく、応援に行かれた皆様ありがとうございました。

川崎は7−0の劇勝で首位か。川崎市民は楽しかろうなぁ。でも天皇杯では絶対マリノスが勝つ!

フィギュアスケートGPロシア大会。

浅田真央ちゃんは、ラフマニノフ「鐘」にした時からちょっと不安だった。短い曲で盛り上がりにも欠ける。今年の初披露の時、愕然とした。こんなつまんないプログラムで五輪に勝負を賭けるの?

めったにつぶやかないTwitterでつぶやいてしまったよ。これじゃダメだと。

パリ大会ではキム・ヨナに大差をつけられ、もはやライバルですらないと言われちゃった。トリプルアクセルに固執しすぎ。プログラムを変えた方がいいんじゃない?ついでにコーチも。

安藤美姫ちゃんは優勝おめでとう。キュービックプラザ新横浜「ブラッスリーラクラス」の壁面にサインがあるね。

フリーの音楽が「ローマ」と聞いてびっくり。あのWOWOWのえぐいドラマ「ローマ」を見ていた人はどれくらいいるかなぁ。娘が口真似をしていた悪女アッティアを思い出してしまった。

プルシェンコが4シーズンぶりに復帰即優勝。力量が違いすぎる。余裕のゆうちゃんだったね。

ランピエールも復帰。これで男子フィギュアも面白くなった。昨シーズンはつまんなかったよ。

欧州サッカーは全く見ず。CLもスカパーと契約していないので、見られない。グループリーグの間は見なくていいやと思っていたのだが、「レアル対ミラン」なんて試合があるのなら、契約すべきだったかな。

ミランはパト君が大活躍。クラブW杯で来日した時はまだまだだったけど、その才能は皆が注目していた。もうミランの中心選手なのか。

この試合はパト君よりも監督レオ様に注目。コート姿もかっこよく、相変わらずハンサムハートx2。ミランがあんまり調子よくないので、批判もされていたらしいけど、勝ってよかった。

レオ様(レオナルド・ディカプリオがレオ様と呼ばれるより前からレオ様)はJリーグにいた頃は、見る機会がなかった。見たくてチケットを買ったが、試合の前にフランスに移籍してしまった。

でも、ロベルト・バッジョと一緒に国立での試合に来た時は見に行った。あれは何の試合だったのだろう?Jリーグ所属・日本人選手対外国人選手の試合だったかなぁ?

暑い日で、バッジョは水(スポーツ飲料)を良く飲んでいた記憶が・・・。レオ様がセンターラインぐらいからドリブルで持ち込んだような・・・スルーパスがあったような・・・ダメだ、記憶あいまい。

試合後、シューズを鹿島サポグループに投げ込んだことはハッキリ覚えている。

あ、あと03年のJリーグアウォーズにプレゼンターで来ていた。蝶ネクタイが似合って素敵だった。

W杯の時、みなとみらいパシフィコ・メディアセンターにも来て、ボランティアの学生さんが「今、レオナルドが来たんですよ。めちゃかっこいい」と言っていたので、慌てて見に行ったけど、もういなかった(ミーハー丸出し)。

つまんない話になってきたので、おしまい。
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2009/10/24

1968年のこと(3)からの連想  本・文学

前原国交相の「羽田ハブ空港化」宣言で、「成田」が改めて注目されている。

「1968年に日本と世界で起こったこと」(毎日新聞社)にも「三里塚闘争」の項目がある。

この本(=新聞での連載)はテーマごとに、識者の寄稿と記者による当事者へのインタビューを載せるという構成になっている。

どれも短くて、表層を撫でただけという印象だ。また、何故この人に寄稿してもらったりインタビューしたりしているのか疑問に思うのもある。曽野綾子とか曽野綾子とか。

三里塚闘争は割に納得。寄稿しているのは道場親信日大講師「反権力の『焦点』に」、インタビューは宇沢弘文東大名誉教授。

最初の空港案は富里・八街地区だったが、突然三里塚地区に変更され、後は有無を言わせぬ強制収用へ国は突っ走る。強く反発したのは「営農基盤の安定した専業農家が圧倒的に多かった」。「この農家層には二つの異なる基盤があった。」旧村と開拓農民だ。

「営農基盤の安定しない開拓農民に補償金を積めば空港建設は容易であるという政府の思惑」「その屈辱が不退転の決意で闘う農民を生んだ」

「黒澤明の『七人の侍』のように、農民は『侍、雇うだ」とばかりに国家の物理力に対抗する実力部隊を呼び込んだ」それが新左翼の学生達だった。

宇沢さんは成田闘争の歴史的意味を「あの時代に社会正義の理念を掲げたこと」「地域の歴史・伝統や、人と人とのつながりの大切さを身をもって示した反対同盟の農民の生きざまは、高度成長下の日本で弛緩した倫理観や社会的連帯の重要性を示したと思います。」

道場さんも「支援者のネットワークは全国に張り巡らされ、党派無党派を問わず、また新左翼の政治組織にとどまらず多様な市民運動に注目され支援される『焦点』となった」と書いている。

三里塚は今なお、大きな問いかけをしていると思う。

それとは別の連想というか、宇沢教授の名前で思い出したこと。

宇沢弘文教授は、その経歴を見ると、東大、スタンフォード大学、シカゴ大学で教鞭を取っている。日本を代表する知性。

私は90年代半ば、シンポジウムで宇沢先生の話を聞いたことがある。何がテーマのシンポジウムか忘れたが、消費者団体が開いたものなので、そんなに難しいテーマではなかったと思う。

バチカンのヨハネ・パウロ2世にも進講したと話していた。

そのシンポジウムで今でも覚えているのは、住宅地を作る時は居酒屋が集まるようなごみごみした地区が必要だということ、住宅地の道は真っ直ぐに作らず、蛇行させ、起伏を作った方がいい、ということ。

そんな話しか覚えていないのは情けないが、開発・建設にも人間らしさが大切ということかな。

この時のパネリストの一人は主婦連の高田ユリさんだった。高田さんは消費者の権利が守られる体制つくりを提言していたと思う。その一つが「消費者庁」だった。

高田ユリさんは、「消費者運動に科学を取り入れた人」「消費者運動の良心」と言われた方だ。

「薬学専門学校で化学実験も行っていた助教授としての経験を買われ、主婦連に入った。商品テストを行う日用品試験室で活躍。科学的なデータを踏まえ、市販食品の不当表示などの問題を行政に提起した。」とプロフィールの紹介にある。

私の先輩Kさんは、「消費者問題・女性問題・社会福祉」の北欧視察旅行に参加した時、高田ユリさんと同室だったという。高田さんは毎晩毎晩、遅くまで資料を調べ、整理し、片時も勉強を怠らなかった。その姿勢に強い感銘を受けた、と語っていた。

80歳近くになってから法律を学ぶために早大大学院に入学され、なお一層の研鑽をかかさなかった。惜しくも03年87歳で亡くなられた。

参考記事⇒「高田ユリさんの思い出

時の権力に物を申す場合、しっかりした根拠がなければ、微力な個人や団体は木っ端微塵にされてしまう。自分達の権利を守り、権力・金力あるものの不正を正すには、冷静に、事実をもとに主張を展開しなければならない。

婦人参政権のリーダーだった市川房江さんは、女性史学者のもろさわようこさんに「データや資料をしっかりそろえること」と、まず助言したそうだ。声高に意見を主張するだけではなく、その根拠をしっかり示すこと。

シンポジウムの後のパーティでお見かけした高田さんは物静かで、控えめな方のように見えた。

世の中を変えよう、弱いものの立場を守ろうとする人々は、このように気骨があり努力を怠らない人たちなんだと、その時強く感じた。その思いは今も変わらない。
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2009/10/23

まだピクシーの話題  サッカー(その他)

昨晩、ピクシースーパーゴール映像があることを知って、you tube を見たとき、再生回数は315回くらいだった。

今みたら14万回を超えていた。

コメントも最初は日本語だけだったが、今はほとんど横文字。国籍もいろいろだ。

あっという間にこの映像が知られて、「すごい」「すげぇ」と広がっていった。

驚いちゃうね。ピクシーのすごさ。

それと、you tubeを考え出した人も、エライなぁ。

今日は短くて終わり。
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