2009/10/1

文科系  本・文学

今年は頑張って理科系の本を読んでいる。と言っても、理科系の話をわかりやすく書いたものだけれど。

岩波新書「宇宙論入門」
ファインマン「ご冗談でしょう、ファインマンさん」
サイモン・シンの「暗号解読」、「フェルマーの定理」

これらはどうにか、読み終えることができた。わからないなりに、イメージはつかめた(ような気がする)。頭の中がそれなり整理できた。

最近話題の福岡伸一「生物と無生物のあいだ」も読んでみた。

DNAの話。結局、生物の基本知識がないから、わかりやすいのに、基礎的なことがわからない。段々内容が茫洋としてくる。

なんたって、40年前の生物しかやっていないから、「細胞とは」から始めないとわからない。

それで、夫に図書館から「DNA」に関する本を借りてきてもらった。だが、これは福岡氏の著書をもっと詳しくしたような感じで、読めば読むほど迷路に入り込む感じだった。

結局「高校生物」の教科書を読めばいいのだ。書店で捜した。

1種類しかなくて、なんか思っているのと違った。もうひとつ「DNA二重らせん構造の写真」福岡伸一氏推奨というのがあって、面白そうだったんだけど、DVD2枚付きというと、求めているのとはちょっと違うような気がした。

で、今は休止状態。

福岡さんの本で「へぇ」と思ったのは、野口英世の業績と言われたものは今はほぼ否定されている、その病気の原因は細菌ではなくウィルスだから、野口英世が発見できるはずもなかったのだそうだ。

日本ではお札にまでなっているというのに

もう一つの「DNAの本」で印象に残ったのは、ロックフェラー財団のすごさだ。もちろん医科学研究所、そして奨学金、研究費、どれだけ科学技術の発展に寄与したのだろうか、と思うと、クラクラしてしまう。

ともかく、理科系の本は頭がこんがらかる、ちょっと疲れた、と本棚を眺めた。

ふと夏目漱石「三四郎」が目に入った。

そういえば、「三四郎」は中学の終わりか高校の始め頃読んで、何だかわけがわからなかった。何が描かれたのかすらわからなかった。「ストレイシープ」しか覚えていない。

で、読み始めたら、「何て読みやすいんだろう」「なんてわかりやすいんだろう」

ぐいぐい引き込まれた。面白かった。つくづく文科系頭だと思った。

そして、「三四郎」は、あぁこういう小説だったんだと初めてわかった。与次郎の人物造型など見事なもので、漱石とはこういう小説家であったかと思った。

昔読んだ時は「旧体漢字」「旧かなづかい」でよく読めなかったんだと思う。要するに文章が理解できなかったのだ。

それと、頻発される西欧の文学、美術、歴史等がちんぷんかんぷんだった。今はそれらが多少わかるので、会話の妙も理解できるのだと思う。

20代の頃、漱石をまとめて読んだ。私は漱石の女性の描き方が不満だった。

でも、今「美禰子」については不満はない。こういう描き方でいいんだと思える。

だから、今また漱石を読み直すと、20代とは違った感想を持つかもしれない。

「いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね。尤も建物を見ても、庭園を見ても顔相応の所だが―あなたは東京が始めてなら、まだ富士山を見た事がないでしょう。(略)あれが日本一の名物だ。あれより外に自慢するものは何もない」

「囚われちゃ駄目だ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引倒しになるばかりだ」

という広田先生の印象的な言葉は、今なお古びない。

しかし、漱石を読み直すより、まだ読んでいない名作を読む方が先かなぁ。ロマン・ロランとか、トーマス・マンとか全く読んでない。古典も読んでないし。そうか、「生物」の基礎も読まなくちゃ。時間がない
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