2009/10/4


結構攻めていたシーンもあったけど、終われば2−0の完敗。

前半0−0で、これは、後半川崎は疲れで足が止まるから、マリノス有利と思っていたのだが・・・。

逆だったね。残念。上に行けなかったね。

久しぶりに録画もしていたが、速攻消去した。

応援の声は、マリノスの方が大きいくらいだった。応援の皆様、ありがとうございました。

(追記:あっさりした感想なのは、あんまり書く気が起きなかったから。来年、木村監督だったら、いちおう年チケは買うけれど、観戦回数は減ると思う。)
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2009/10/4

ドラマ再放送を見た  テレビ番組

昨日「少女たちの日記帳 ヒロシマ昭和20年4月6日〜8月6日」の再放送を見た。

最初はチラチラ見、最後は引き込まれて座って見た。

昭和20年8月6日午前8時15分、広島県立広島第一高等女学校の1年生223人は、爆心地から600メートルの場所で建物疎開の作業中に被爆、全員が亡くなった。わずか13歳。

その少女たちの日記を元に、当時の生活を描く。

すでに日本の敗色は濃く、父や兄が出征している者がいる、家族が疎開した者もいる。物資は乏しくなっている。B29もたびたび姿を現す。空襲警報が鳴り、防空壕に逃れる。

それでも、学校へ行き、授業を受け、友人と喧嘩をしたり仲直りをしたり、家の手伝いをしたり、普通の少女の生活がある。その日常を淡々と描いている。

そうして8月6日に向かって時を刻んでいく。なんという残酷さ。

うろ覚えだけど、

生物の授業はミミズの観察。「観察する時は愛情を持って」「ミミズを手に持ったものは良・・・頬ずりできたものは優をつける」というユーモアたっぷりの先生。

その中年の先生が生徒に語りかける。「人間の一番大切な感情は『悲しい』という感情だ」「大人になると、ねたましいとか、憎いとかよくない感情を持つようになる。君達は、そんな感情を知らない、一番美しい年代だ」

その美しい年代が断ち切られてしまうのは、すぐその後だ。

この県立高女の悲劇は、当時の上級生が日記帳や遺族の話を集めて「8月の少女たち」として出版、またアニメ「夏服の少女たち」も製作されているという。

このドラマでは「石堂郁江」さんが主人公役となっている。石堂さんの死後、50年経って、石堂さんを描いた絵が「男性」から送られてきたという。石堂さんの弟さんが「一目見た途端、姉とわかる絵」と言っていた。

50年間、ずっと石堂さんのことを想っていた人がいたということだろうか。その強い想い!

8月6日に断ち切られただけに、余計にその想いが強かったのだろう。胸が痛くなる。石堂さんは結局遺体は発見されなかった。

ドラマでは、互いを意識するものの、すれ違うだけの中学生をその男性として描いていた。

当時は、男女交際などもってのほかで、ドラマの中でも幼馴染と通学途上一緒に歩いていただけで、教師から叱責されている。

田舎町では、昭和40年代までそんな状態だったよ〜。中高生が街中を肩を並べて歩こうものなら、近隣のうわさになってしまった。大人たちはうるさかった。

そうそう、思い出す。中学で臨時学年集会があった。

何事か?と校庭へ出て並ぶと、学年主任の先生が重々しい口調で「わが校の生徒男女数名が、小学校校舎裏に集まっていたと通報があった」、「中学生としてあるまじきことである」とお説教をした。

私は「???」だった。何があったのか?

クラスに戻ると、運動部の元気な女の子達が「あれ、私たちのこと」と舌を出していたけど。

友人の話。家に男子高校生が訪ねてきたことがあった。門のところで対応して、そのまま帰ってもらうと、お祖母さんが「玄関の中に入れずにえらかった」と褒めたという。

石坂洋次郎「青い山脈」ですら、近代的に思えたくらい旧弊固陋だった。

話がずれた。

石堂さんの、そのエピソードに、生き残った級友は「短い生涯でしたけれど、もし、そういう方がいらっしゃったのなら、とてもよかったと思います」と語っていた。

こういうドラマをアメリカの人達にも見てもらいたいと思う。普通の人の普通の生活があった。原爆・核兵器は人類に落としてはならないものだと痛切に思う。

とはいえ、日本軍が侵略した地域にも同じように、普通の人の普通の生活があったんだ。

改めて、戦争の無惨さを思う。
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