2009/10/24

1968年のこと(3)からの連想  本・文学

前原国交相の「羽田ハブ空港化」宣言で、「成田」が改めて注目されている。

「1968年に日本と世界で起こったこと」(毎日新聞社)にも「三里塚闘争」の項目がある。

この本(=新聞での連載)はテーマごとに、識者の寄稿と記者による当事者へのインタビューを載せるという構成になっている。

どれも短くて、表層を撫でただけという印象だ。また、何故この人に寄稿してもらったりインタビューしたりしているのか疑問に思うのもある。曽野綾子とか曽野綾子とか。

三里塚闘争は割に納得。寄稿しているのは道場親信日大講師「反権力の『焦点』に」、インタビューは宇沢弘文東大名誉教授。

最初の空港案は富里・八街地区だったが、突然三里塚地区に変更され、後は有無を言わせぬ強制収用へ国は突っ走る。強く反発したのは「営農基盤の安定した専業農家が圧倒的に多かった」。「この農家層には二つの異なる基盤があった。」旧村と開拓農民だ。

「営農基盤の安定しない開拓農民に補償金を積めば空港建設は容易であるという政府の思惑」「その屈辱が不退転の決意で闘う農民を生んだ」

「黒澤明の『七人の侍』のように、農民は『侍、雇うだ」とばかりに国家の物理力に対抗する実力部隊を呼び込んだ」それが新左翼の学生達だった。

宇沢さんは成田闘争の歴史的意味を「あの時代に社会正義の理念を掲げたこと」「地域の歴史・伝統や、人と人とのつながりの大切さを身をもって示した反対同盟の農民の生きざまは、高度成長下の日本で弛緩した倫理観や社会的連帯の重要性を示したと思います。」

道場さんも「支援者のネットワークは全国に張り巡らされ、党派無党派を問わず、また新左翼の政治組織にとどまらず多様な市民運動に注目され支援される『焦点』となった」と書いている。

三里塚は今なお、大きな問いかけをしていると思う。

それとは別の連想というか、宇沢教授の名前で思い出したこと。

宇沢弘文教授は、その経歴を見ると、東大、スタンフォード大学、シカゴ大学で教鞭を取っている。日本を代表する知性。

私は90年代半ば、シンポジウムで宇沢先生の話を聞いたことがある。何がテーマのシンポジウムか忘れたが、消費者団体が開いたものなので、そんなに難しいテーマではなかったと思う。

バチカンのヨハネ・パウロ2世にも進講したと話していた。

そのシンポジウムで今でも覚えているのは、住宅地を作る時は居酒屋が集まるようなごみごみした地区が必要だということ、住宅地の道は真っ直ぐに作らず、蛇行させ、起伏を作った方がいい、ということ。

そんな話しか覚えていないのは情けないが、開発・建設にも人間らしさが大切ということかな。

この時のパネリストの一人は主婦連の高田ユリさんだった。高田さんは消費者の権利が守られる体制つくりを提言していたと思う。その一つが「消費者庁」だった。

高田ユリさんは、「消費者運動に科学を取り入れた人」「消費者運動の良心」と言われた方だ。

「薬学専門学校で化学実験も行っていた助教授としての経験を買われ、主婦連に入った。商品テストを行う日用品試験室で活躍。科学的なデータを踏まえ、市販食品の不当表示などの問題を行政に提起した。」とプロフィールの紹介にある。

私の先輩Kさんは、「消費者問題・女性問題・社会福祉」の北欧視察旅行に参加した時、高田ユリさんと同室だったという。高田さんは毎晩毎晩、遅くまで資料を調べ、整理し、片時も勉強を怠らなかった。その姿勢に強い感銘を受けた、と語っていた。

80歳近くになってから法律を学ぶために早大大学院に入学され、なお一層の研鑽をかかさなかった。惜しくも03年87歳で亡くなられた。

参考記事⇒「高田ユリさんの思い出

時の権力に物を申す場合、しっかりした根拠がなければ、微力な個人や団体は木っ端微塵にされてしまう。自分達の権利を守り、権力・金力あるものの不正を正すには、冷静に、事実をもとに主張を展開しなければならない。

婦人参政権のリーダーだった市川房江さんは、女性史学者のもろさわようこさんに「データや資料をしっかりそろえること」と、まず助言したそうだ。声高に意見を主張するだけではなく、その根拠をしっかり示すこと。

シンポジウムの後のパーティでお見かけした高田さんは物静かで、控えめな方のように見えた。

世の中を変えよう、弱いものの立場を守ろうとする人々は、このように気骨があり努力を怠らない人たちなんだと、その時強く感じた。その思いは今も変わらない。
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