2009/10/27

祖母の思い出  生活

先日友人達と食事(ランチ)をした。よもやま話に話が咲く。

昔は子どもの教育や進路の話だったが、更年期の話になり、子供達の就職や結婚、孫の話になり、今は介護問題が中心になる。

もっと介護サービスを受けてくれればいいのに、というのが共通の悩み。

「デイサービスに行けば、お風呂にも入れてくれるよ」と言うと、「オレはそんな男じゃない」と拒否するとか。「どんな男よ!」と言いたくなる、と友人は苦笑。

重い話を打ち切るようにテレビの話題。「大阪人は口癖で『しまったしまった島倉千代子』と言うんですって。では『困った困った』の後は何でしょう?」

私たち世代はすぐわかる。「困った困ったこまどり姉妹でしょう」(笑)

こまどり姉妹は今も現役で、テレビで紹介されたり、ドキュメンタリー映画になったりしているらしい。壮絶な人生だとか。

こまどり姉妹は、祖母が大好きだった。

(私たち孫は、古臭いし、音程はずれるし、二人なのにハモらないし、野暮ったいし、どこがいいんだろうと思っていた。)

当時、双子の歌手と言うと、ザ・ピーナッツとこまどり姉妹だった。祖母はザ・ピーナッツが嫌いだった。

私たちが「シャボン玉ホリデー」を見ていると、いつも不機嫌な顔をしていた。特にラストの「スターダスト」は「嫌な歌だ」と言っていた。聴き慣れないメロディラインと歌い方が好きじゃなかったのかな。

こまどり姉妹は着物姿だったから、それも良かったのだろう。祖母は生涯ほとんどを着物で過ごした人だったし。

肩をむき出しにしたドレスとか、ダンスで足を上げるとか、そういうことを、はしたないと思っていたようだ。

バレエなんていうとお尻が見えそうで「まっさか(本当に)恐ろしいよぉ」と眉をひそめた。

女の子にとって、バレエは憧れだったのに。

私たちが子どもの頃、「りぼん」「少女ブック」とか「少女クラブ」で少女スター、松島トモ子ちゃんとか小鳩くるみちゃんたちがバレエのチュチュを着て登場していた。遠い夢の世界のようだった。

「白鳥の湖」の「4羽の白鳥の踊り」なんか、小学校で友達と手を組んで真似して踊ったりした。(文明堂カステラのCMから?)

だから、テレビでバレエの放送があると、一生懸命見た。マーゴット・フォンテンとかドジンスカヤとか。

「ドジンスカヤ」なんて名前を覚えているくらい熱心に見た。

マーゴット・フォンテンは超有名プリマだから、知っていても不思議ではないが、「ドジンスカヤ」は名前が印象的だったからか、今も覚えている。

今ネットで調べると、1960年に国立レニングラードバレエ団のプリマとして来日している。その時に紹介されたのだと思う。

バレエですら、はしたない恥ずかしいものと思っていた祖母。

オリンピックで「シンクロ」の演技を見るたびに、祖母が生きていたら、またあの顔で「まっさか(本当に)恐ろしいよぉ」と言ったろうなぁと微苦笑してしまう。

こまどり姉妹は着物姿だし、三味線を持って伝統的なわかりやすい歌を歌っていたので、祖母のお気に入りだったのだろう。

バレエやザ・ピーナッツでは相容れなかったが、祖母と一緒にテレビ放送の歌舞伎や女剣劇を見た。昔はテレビのコンテンツが不足していたから、芝居中継などをよくやっていたのだ。

歌舞伎では、勧進帳や助六などを見た。助六は先代団十郎の襲名公演だったと思う。華やかだった。

天守閣に化け物みたいな人達が集まる、何だかコメディタッチの歌舞伎も見たことがあると思うが、何の演目かわからない。歌舞伎のことはわからない。

女剣劇は、今も活躍している浅香光代さんではなく、大江美智子さんが祖母の贔屓だった。浅香さんは安っぽいと評していた。大江さんはすっきり、凛々しかった(と思う)。何の劇を見たのかは全く覚えてなくて、立ち回りだけをなんとなく覚えている。

昔(昭和30年代)はドサ回りの大衆演劇も普通に見た。「一本刀土俵入り」だの、「阿波の巡礼(傾城阿波の鳴門)」とか。

この「傾城阿波の鳴門」は「ととさまの名は、、、かかさまの名は、、、」と子どもの巡礼が言う場面があって、真似をした。うん、幼稚園児だったよ、私。園児がその真似をするので、幼稚園の先生が大笑いしていた。で、お茶目な友達アキエちゃんが一番うまかった。

こまどり姉妹の話から、亡くなって35年たつ祖母のことをいろいろ思い出してしまった。

明治生まれの祖母がいたことで、ずいぶんごっちゃな文化の中にいたものだと思う。
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