2012/2/2

君が代裁判・土肥校長裁判  政治

日の丸君が代裁判最高裁判決について、2回記事を書いた。この問題にこだわっていきたい。

大阪橋下市長のこともあるし、この判決後、twitterであまりに無知な意見を目にしたからだ。

この裁判での宮川判事の意見

原審(高裁判決)は,第1審原告らがそれぞれ所属校の各校長から受けた本件職務命令に従わなかったのは,「君が代」や「日の丸」が過去の我が国において果たした役割に関わる第1審原告らの歴史観ないし世界観及び教育上の信念に基づくものであるという事実を,適法に確定している。

そのように真摯なものである場合は,その行為は第1審原告らの思想及び良心の核心の表出であるか少なくともこれと密接に関連しているとみることができる。したがって,その行為は第1審原告らの精神的自由に関わるものとして,憲法上保護されなければならない。

第1審原告らとの関係では,本件職務命令はいわゆる厳格な基準による憲法審査の対象となり,その結果,憲法19条に違反する可能性がある。このことは,多数意見が引用する最高裁平成23年6月6日第一小法廷判決における私の反対意見で述べたとおりである。

なお,そこでは,国旗及び国歌に関する法律と学習指導要領が教職員に起立斉唱行為等を職務命令として強制することの根拠となるものではないこと,本件通達は,式典の円滑な進行を図るという価値中立的な意図で発せられたものではなく,その意図は,前記歴史観等を有する教職員を念頭に置き,その歴史観等に対する強い否定的評価を背景に,不利益処分をもってその歴史観等に反する行為を強制することにあるとみることができ,職務命令はこうした本件通達に基づいている旨を指摘した。

教員には,幅広い知識と教養,真理を求め,個人の価値を尊重する姿勢,創造性を希求する自律的精神の持ち主であること等が求められるのであり,上記のような教育の目標を考慮すると,教員における精神の自由は,取り分けて尊重されなければならないと考える。

個々の教員は,教科教育として生徒に対し国旗及び国歌について教育するという場合,教師としての専門的裁量の下で職務を適正に遂行しなければならない。したがって,「日の丸」や「君が代」の歴史や過去に果たした役割について,自由な創意と工夫により教授することができるが,その内容はできるだけ中立的に行うべきである。

そして,式典において,教育の一環として,国旗掲揚,国歌斉唱が準備され,遂行される場合に,これを妨害する行為を行うことは許されない。しかし,そこまでであって,それ以上に生徒に対し直接に教育するという場を離れた場面においては,自らの思想及び良心の核心に反する行為を求められることはないというべきである。音楽専科の教員についても,同様である。

このように,私は,第1審原告らは,地方公務員であっても,教育をつかさどる教員であるからこそ,一般行政に携わる者とは異なって,自由が保障されなければならない側面があると考えるのである。

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(読みやすいように改行し、また重要と思われる個所に下線をつけた)
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一昨日は三鷹高校の土肥校長への不当判決があった。どの新聞も判決には否定的だ。

東京新聞「筆洗」より

「千人近い生徒全員の名前を覚え、校門できさくに声をかける高校の校長はまずいないだろう。退職する時、卒業生全員から寄せ書きを送られた熱血教師は、あることがきっかけで教育現場から排除されてしまう。

東京都立三鷹高校の校長だった土肥信雄さんは2006年、職員会議で教師が挙手して採決することを禁じる都教育委員会の方針に異を唱えた。二度と戦争をしないために最も重要なことだ、と生徒に語っていた「言論の自由」が奪われることへの危機感からだった。

定年を迎えた09年、ほぼ全員が採用される非常勤職員の試験で不合格になった。すべての項目で最低のC評価。都教委に歯向かったことことへの報復であることは明らかだった。

(中略)東京や大阪では鋳型にはめ込むように「お上」に従順で物言わぬ教師をつくることに躍起になっている。そんな流れに歯止めをかけるどころか、助長する判決を連発する司法の責任は重い。(後略)」
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戦後、ようやく手にした「自由」を決して後戻りさせないために、この「自由」を次の世代にきちんと手渡すためにも、この問題を見つめていきたい。頑張りたい。
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