2012/11/30

明日は最終節  サッカー(マリノス)

最近固い記事ばかり書いていたので、本来のblogに戻る。

明日は最終節・鳥栖戦だ。まず勝利すること!

そうすれば、わずかな可能性かもしれないが、3位になれる。わくわくする。まして鳥栖は今年初め、悔しい負け方をした相手だ。なんとしても勝たなくては。

選手も、サポーターもそう思って燃えている。

私は「マリノスバナナ」を買ってきた。ふつう、相手チームにちなむものを食べて、ゲン担ぎをするのだが、マリノスバナナはどういう位置づけにすればいいんだろう?

うん、そうだ、食べて応援。食べて、力を蓄える。エネルギー補給。

今年のリーグは浮き沈みがあった。勝てない時は本当にどうなるかと思った。でもサポーターは耐えた。

サポーターも学んでいくんだなぁと思った。監督を替えるばかりがいいわけじゃない。時には我慢したり、長い目で見ることも必要と、わかった。

(まだ、監督に安心しているわけではないけれど・・・)

でも3位になれるかも?というのが不思議だ。そんなに強かった気もしないし。

私が見たホームでの試合の成績が良くないのか?

今、計算したら、私のホーム観戦成績は5勝3敗4引き分けだ。そんなに悪くない。

結局引き分けが、負けに等しい気持ちにさせているんだと思う。引き分けのうち、PKが決まっていたらG大阪と広島には勝てたんだよね。名古屋も川崎はギリギリで追いつかれたんだった。

それと、「ここで勝てば」という時に勝てなかったという印象も強い。

それでも、最終節3位になれるか、という所まで来た。3位になれたら、03年並みの強運だ。

結局、安定の中位という気がしなくもないが。

いやいや、そんな弱気ではいけないな。とにかく勝利あるのみ!

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2012/11/28

嘉田知事のこと  原発関係

滋賀県の嘉田知事が飯田哲也さんとともに新党を立ち上げた。最初聞いた時、比例区の統一名簿作りのつなぎ役になるのかな、と思った。

次々できる新党が「国家主義的、全体主義的、軍国主義的、右翼政党」ばかりなので、危機感を持っていた。バラバラなリベラル政党をまとめることができないだろうか、と祈るような気持でいた。

だから、初めてこのニュースを聞いた時は嬉しかった。

今日になって、「国民の生活が第一」と「減税、反TPP、脱原発(だっけ?)」も解党して嘉田さんの新党「日本未来の党」に合流すると聞いた。大丈夫かな?と率直に思った。

だが、嘉田さんは筋の通った政治家だ。そして、現実主義者でもある。新しい政治局面を拓いてくれると期待している。宇都宮けんじさんとともに日本の民主主義、平和主義、自由を守るために戦ってくれると信じている。

嘉田さんのことはこれまでも何回か書いた。blog内を検索すると6件あった。

06年6月12日滋賀県知事選に出馬と聞いて、最初は泡沫候補と思い心配した。
嘉田由紀子さん」このページの下の記事です。

06年7月3日滋賀県知事当選の報に
嘉田由紀子さん おめでとう」これもページ下の記事。中田ヒデが引退した日だった。

06年12月3日高校時代の恩師死去の時、師の思い出と、嘉田さんと一緒に活動した生徒会のことを少し書いた。
恩師
これも、同じ日にサッカー記事を書いてる。

08年5月17日同窓会総会があり、嘉田知事が講演者として参加した。
同窓会で嘉田知事に会う

同じく同窓会の記事続き08年5月19日の記事
同窓会と嘉田知事

彼女は「自分の根っこは高校時代にある」と語った。

10年7月22日嘉田知事再選の報を聞いて
嘉田知事再選
この記事の中ほどにある村野瀬玲奈さんの言葉に共感した。
「堂々と『県民党』を掲げられるほどに、広く県民の切実な声に耳を傾け、着実に実施する。」
「また、叩くためだけの『敵』を求めるポピュリズム(大衆迎合主義)に走らない。これこそが、言葉の真の意味での『住民至上主義』であり、政権にある者がひきうけるべき責務ではないでしょうか。」

そして昨年、11年11月15日同窓会にて
同窓会

その時の挨拶の一部
「女子高時代は、自分達で決めて、自分達で行動し目指すものを実現しようとした。が、社会に出ると意思決定の場に女性の視点が入ることはなかった。この30年間、もっと女性の視点が生かされ、子どもや弱者を大切にする政策が行われたら、今のようなひどい状況にはならなかった。これから、未来の子どもたちのためにも私達が頑張らなくてはならない」

今回の新党立ち上げもこの思いが強くにじんでいる。

同窓会の折、友人たちの間で、同級生の弟が議員になっている話が出て「昔を知ってたら、心配よね」と言いあった。演説も聞いたがお粗末様。今の安倍と同じだった。

その点、嘉田さんに対しては、誰もが信頼し、尊敬し、誇りに思っていた。

嘉田さん、ゆっこ、ゆきちゃん、わたなべゆきこ 同窓生みんなが応援している。信頼している。

マッチョな、乱暴な言説がもてはやされる現状を打破して、女性や子どもや弱者、マイノリティが大切にされ、原発で脅かされない、美しい国土・文化を守る政治が実現されるよう、頑張ってほしい。
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2012/11/27

名古屋へ  生活

連休最終日、名古屋方面へ出かけた。親戚の告別式に参列するためだ。

名古屋駅は人がいっぱい。名古屋高島屋のクリスマスは派手でびっくりした。横浜はあれほど飾りつけをしていない。

駅コンコースではクラブワールドカップの宣伝。
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次々人が通るので、写真撮るのも大変。慌てて撮ったらぼけ写真。いや、慌てなくてもいつもこんなもの、ですね。

まだチケットがある、というので、係りの人に聞いてみたら、トヨタスタジアムの分が残っているようだ。日産スタジアム分は完売よね。

この日はとても天気が良くて、もちろん富士山もきれいに見えた。南アルプスもちらりと見えた。

名古屋が近づくにつれて、雪を被った美しい山が見えてきた。独立峰で、周囲から一段と高く、空中に浮いているようにすら見えた。

木曽御嶽山だった。名古屋から見えるとは知らなかった。

優美で崇高な姿だ。古くから霊峰として信仰されるのがわかる気がした。


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2012/11/24

晩秋の鳥山川  季節

連休は鎌倉へ散歩と思っていたのだが、用事ができて行けなくなった。その代りというわけでもないが、いつもの散歩コースを歩いた。

もう紅葉した木々から、ハラハラと葉っぱが散っていた。

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浜鳥橋から三角橋方面。

桜の紅葉がきれい。ススキがすっかり呆けて、陽にきらきら輝いていた。この新横浜公園の桜も大きくなった。春は花、花吹雪、秋は紅葉、落葉、で楽しませてくれる。

浜鳥橋手前から日産スタジアム方面を見る。
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手前の植物はローズマリー。手でローズマリーを揺らしながら通るといい香りがする。
東ゲート橋手前の銀杏もすっかり黄色(ちょっとわかりにくいかな)。

もうじき、葉っぱも全部散ってしまうだろう。そしてJリーグも最終節。やがてクラブワールドカップがあって年の瀬が迫る。


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2012/11/23

クリスマスツリーの話  生活

クリスマスツリーを飾らなくなって、何年だろう。

子ども達が大きくなって、飾らない年があった。すると、娘から「クリスマスツリーはもう飾らないの?」と言われた。中学生だったかな。それで慌てて飾ったことがある。

それも昔。最近は布で作ったリースなどで済ませていた。

今年久しぶりに飾った。もちろん孫娘のため。昨年はまた幼すぎたし、危険だったので飾らなかった。

今年は大丈夫。きっと喜ぶだろうと思った。
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孫娘は目を輝かせていた。一緒にオーナメントを飾った。

これはカナダ製?プラスチックの樅の木。港北区新羽町にある「ヨネヤマプランテイション」で購入したもの。今はこんなのあるかしら?

昔は「雪」用の綿とか、金銀モール、点滅する電球を飾ったが、今は「ダサい」らしい。一旦飾ったけど、家族のブーイングでお蔵入り。

そうすると飾りが少なくて寂しい。娘一家がIKEAで追加の飾りを買ってきてくれた。

IKEAでは、樅の木を売っていて、しかもクリスマス後下取りしてくれるとか。お客さんが殺到していたそうだ。

このプラスチック製を買う前はウチも「樅」ではない「木」(名前がわからない。よく見かける木なのだが)をツリーに見立てて飾っていた。

シーズン以外は外に置きっぱなし。家に入れてクリスマスツリーにすると、細かい葉が落ちてチクチクしたものだった。いつの間にか枯れてしまった。その後継が、このプラスチック。

私が子どもの頃、父の同僚が、山から樅の木を切って持ってきてくれたことがある。私が小学生だから、昭和30年代かな。車(まだ台数は少なかった)で運んだのか、リヤカーで運んできたのか。

玄関先2畳の板の間が樅の木を置いたら、隙間がなくなってしまった。同僚は、山にあった時は小さいと思ったのですけどね、なんて言っていた。

父が同僚たちを招いて、パーティを開いていた。古いアルバムを見ると、金銀の三角帽子を被って楽しそうだった。宴会ではなくて、パーティだった。あの頃は家で同僚とパーティをやってたのか、と不思議な気がする。何を食べていたのだろう?やっぱり煮物や漬物だったのだろうか?記憶にない。

バブルの頃は、繁華街がにぎやかで、ホテルもカップルでいっぱいだった(らしい)。今は家庭回帰だ。バブル崩壊してから久しい。

バブルといえば、ボージョレヌーボー解禁騒ぎを思い出す。成田まで繰り出すというあれ。今年はスーパーもコンビニも地味。予約キャンペーンもなかった。今年は不作ということだ。

それでも、親戚が今年のボージョレを送ってくれた。ワインショップ経営者と知り合いらしい。ジュースのようなボージョレだった。あ、話がずれた。

孫の話はやめようと思うのだが、行事にまつわるいろいろなことを思い出したりするので、ついつい書いてしまう。

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2012/11/21

11.18東京新聞の社説から  

最近、政治家から発せられる言葉が粗野下品、或いは空っぽの美辞麗句のせいか、たまに目にする格調ある文章に心を動かされる。中村哲医師の文章がそうだった。脱原発の武藤類子さんの言葉も美しかった。

11月18日の東京新聞社説。いろいろなところで話題になっているが、久しぶりに志の高い社説を読んだ。

一部を書き留めておく。本当は全部記録しておきたいのだが。
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社説 2012.11.18 私たちを侮辱するな 週のはじめに考える

見出しの「侮辱」とはきわめて強い言葉です。ひどい扱いを受けた者の発する言葉です。政治にせよ、原発にせよ、私たち国民は侮辱されてはいないか。
・・・・・・・・・・・・・

手元に一通の手紙があります。学校で国語を担当をされていた元先生からです。この夏、東京であった脱原発の市民集会に出かけた時のことが記されていました。

こんな内容です。

…何人もの演説の中、一番心に響いたのは作家の大江健三郎さんが述べた「私たちは侮辱の中に生きている」という言葉でした。

大江さんのスピーチ

その言葉は大江さんも紹介していたそうですが、福井生まれの昭和の作家、中野重治の短編小説にある文句です。中野はプロレタリア文学で知られ、大戦前の思想統制では自身も激しい国家弾圧に遭っています。

その短編小説は昭和三(1928)年全日本無産者芸術連盟(通称ナップ)の機関誌に掲載された「春さきの風」検挙された同志家族をモデルにしています。

(中略)

母親は砂を巻く春風の音の中、死んだ赤ん坊はケシ粒のように小さいと思う。そしてこう書く。
「私たちは侮辱のなかに生きています」(「中野重治全集第一巻」筑摩書房より)

中野重治が実体験として記した侮辱と言う言葉、また大江さんが原発に反対する集会で引いた侮辱という言葉、その意味は、もうお分かりでしょう。

デモクラシーの軽視

権力が民衆を、国家が国民を、ほとんど人間扱いしていないのではないかという表現に違いありません。

つまり、倫理違反なのです。

(中略−原発事故時、東電のバッテリーをめぐるやりとりを述べている)

備えも何もなかったわけですから、社員らの苦労もわかります。
しかし、これを知った福島の被災者はどう思ったでしょう。

東電も国も、その程度の取り組みと真剣さしかなかったのか。住民の守り方とはそのぐらいのものだったのか。言い換えれば、それは侮辱に等しいでしょう。

侮辱は継続しています。しかもデモクラシー、民主主義の軽視という形で。

原発で言えば、大飯の再稼働はろくな検証もなく、電気が足りなそうだという理由だけで決まりました。国民の安全がかかわる問題なのに、これほど非民主的な決定は前例がないでしょう。

沖縄のオスプレイ配備も、米兵事件に対するその場しのぎの対応も侮辱にほかなりません。国家が人間を軽視しているのです。

原発から離れれば、一票の格差を放置してきた国会とはデモクラシーの不在も同然です。立法府だけでなく、最高裁が「違憲状態」と判示しつつ、違憲であると踏み込まなかったことは、憲法の番人としての責務を果たしえたか、疑問は残ります。

今の政治には、ほとほとあきれたと多くの人が口にします。それはおそらくはデモクラシーの軽視に起因していることで、国民は自分の権利の蹂躙を痛々しく感じているのです。政治に侮辱されていると言っていいでしょう。

その状況を変えるには、何より変えようという意思を各人がもつことです。デモや集会はその表れの一つであり、選挙こそはその重要な手段です。

戦うべき相手はだれ

(中略)

しかし、こう思ってその相手を見つけようではありませんか。一体だれが私を侮辱しているのか、と。私たち自身の中にそれは忍び込んでいないか、と。投票の前に見つけようではありませんか。

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中野重治が受けた激しい国家弾圧。そういう国を「美しい国」(安倍)と言い、戦後デモクラシーを守り続けてきた日本を「戦後はだめになった」(石原)言う。こういう輩は許せないと思う。

だが、彼らの望む戦前体制への回帰は現実性を帯びている。私は本当に危機感を持っている。まさか、まさかそんな馬鹿な、と言っている場合じゃない。

小泉で自民党が圧勝した時、「隠居したい」と思ったが、そういう消極的な気持ちが原発爆発を招いたと思っている。黙っていてはいけないのだ。


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2012/11/20

粟ぜんざい  生活

初めて、粟餅のおしるこを食べた。

最近はメニューを見ると、食べたことのないものを選ぶことが多い。この先いつまで普通に食べられるかわからないので、珍しいものは食べることにした。

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粟餅は熱かった。少しずつ、さましながら食べた。粟の風味なのか、ほのかな甘みがあった。粟のブツブツが少しあるから食感も面白味がある。そして、普通のお餅のようには伸びない。

粟餅は、粟を蒸してつぶすらしい。ちょっと調べたら、もち米を入れて粘りを出したりするとか。

ぜんざいなので、甘〜い。お汁粉のようにもう少し水分があって、塩分も感じられる方が私は好きかも。
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