2015/3/31

今年の桜  

今年の花見はまずこちら
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三島市の楽寿園の桜です。

楽寿園とはこんな所
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ここは明治維新で活躍された小松宮彰仁親王が明治23年に別邸として造営されたもので、昭和27年より市立公園として三島市が管理運営しています。昭和29年には、世界文化遺産である富士山の雪解け水が湧き出す園内の景観と、自然林からなる庭園が、国の天然記念物および名勝に指定されました。
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菜の花も。
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これは伊豆の江間いちご狩りセンターのそば。
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2015/3/26

つくし  季節

横浜アリーナそばの歩道に土筆が生えていた。
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春だなぁ。

今、港北警察署がある場所は、以前、空地で、学校菜園や運動場に使われていた。道沿いの草地には沢山土筆が出た。

もはや空地はない。土筆の出る場所も段々少なくなる。

そういえば、昔は近所に、小さな小さな小川、というより水たまり程度のもの、があり、そこで子供たちがザリガニ釣りをしていた。

釣り堀もあったし、ハス池もあった。ウシガエルや亀、時には蛇も出たが、もうそういう風景はなくなってしまった。
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2015/3/25

ロゴスキー  生活

3月22日に渋谷の東急プラザが閉館した。オリンピックの年1964年オープンだったそうなので、49年間の幕を下ろしたことになる。

閉館の日は様々な方が思い出をTwitter上で語っていた。とりわけ、ロゴスキーと地下の食品売り場を惜しむ人が多かった。

東急プラザの閉館を知って、2月8日にロゴスキーに行ってきた。

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前菜

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お馴染みボルシチ

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お馴染みつぼ焼き

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ロシアンティー

どれも美味しかった。

我が家で「ロゴスキー」と言うと、まず横浜駅相鉄ジョイナスにあった「ロゴスキー」だ。近いこともあり、こちらの方がよく行った。いつの間にか閉店してしまった。

ボルシチやつぼ焼きの他、ニシンの酢漬けやロシア餃子がお気に入りだった。

高校のPTAの会合の後、委員さんたちと寒いから暖まっていこう、と「ロゴスキー」に入った。私がロシアンティーを勧めたのだ。

初めて「ロシアンティー」を飲むという人がいた。

一口飲んで「わぁ」。「こんな飲み物があったの!」と喜んでくれた。

他のロシア料理店というと、「スンガリ―」がある。私は「ロゴスキー」よりこちらが先だった。

西武新宿駅そばの本店には1回だけ、新宿駅西口の支店には何回か行った。スンガリ―は加藤登紀子さんのお母様が経営されていた。

40年くらい前、西口店、ランチでお店に入ると加藤登紀子さんがお嬢さんと一緒に食事をしていた。満席になったので、私に席を譲ってくれた。

他で入ったことがあるのは恵比寿駅アトレ内のマトリョーシカ。ランチタイムに3回ほど入ったかな。

寒くなると、ロシア料理やロシアンティーを味わいたくなる。

ロゴスキーはいったん店を閉めて、他の場所を探して営業を再開するという。その日を待っている。
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2015/3/17

彦根城へ  旅・散歩

一泊した後、このまま帰るのではもったいない、どこか見物して行こうということになった。京都はちょっと無理。でも滋賀県なら行けるかな、ということで彦根城に行くことにした。

国宝彦根城。

国宝の城は4つあって、あと3つは姫路城、松本城、犬山城だ。姫路城、松本城には行った。今回彦根城に行くと、残りは犬山城だけになる。これも今年来年のうちには行けるだろう。

東海道線でゆっくり彦根まで。途中、関ヶ原を通過する。竹中半兵衛の生地やら石田三成の佐和山城やら戦国時代お馴染みの場所だ。

パスモで改札を入って、彦根で出ようとするとキンコン(警告音)と止められた。駅員さんがJR東海とJR西日本をまたぐ時は、スイカ、パスモ、イコカなどは使えないと言う。現金で精算した。なんかよくわからないが不便。

(彦根からパスモで乗って、米原から新幹線に乗る時はスムーズに改札を通過)

彦根駅前には井伊直政の青銅像。

岐阜駅前の黄金の信長像より、ブロンズの方が落ち着きと渋さがあっていいな。井伊家は30万石で、譜代大名では別格だったそうだ。東海道・北陸道の要の地を任されたという重みだ。

「井伊の赤揃え」で知られるように、戦国時代、井伊家はその強さが称えられた。そういえば、ゆるキャラの元祖というのはここの「彦にゃん」だったっけ。

彦根城は彦根駅から近い。近いのだが、天守までは坂道だ。それを登っていく。

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彦根城のお堀。白鳥、黒鳥、マガモ、カルガモがいた。

石段の坂道は緩く湾曲していて、真っ直ぐな道はない。城防御のためだという。

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天秤櫓

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ずっと天守閣は見えなかったが最後の櫓の所でようやく姿が見えた。

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彦根城天守閣

お城の中を見学したいが、城内部の階段はどこも急なんだよなぁ。私に登れるだろうか。

係りの人に聞くと手すりはついている、ただし一番きつい階段は62度の傾斜です、という。

せっかく来たのだからと行くことにする。手すりがあったので、ふうふう言いながらも上がることができた。

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天守閣から見た伊吹山

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琵琶湖、比良山系

下りの階段はお尻をついて、滑り台のようにして下りてきた。これだと急傾斜も怖くなかったし、安全だった。

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玄宮園。庭園は修理中というか工事中。

「埋木舎」は行かなかった。「埋木舎」と言えば、NHK大河ドラマ第一作「花の生涯」だ。

この話を夫としていて、「村山たかは淡島千景だったね」「佐田啓二が長野主膳だった」とスラスラ出てくる。どうしてこういう人名は覚えているのだろう。

もちろん、井伊直弼は尾上松緑。あの頃の大河は重々しかった。次の「赤穂浪士」でNHKというか、テレビのまさに看板番組となった。今は、タイトルさえ知らない。

※埋木舎;
井伊家の十四男として生まれた井伊直弼が13代彦根藩主となるまでの不遇の時期、天保2年(1831年)以後15年を過ごした屋敷として有名。

彦根城は平日なのに来場する人が絶えず、また、中国人観光客もいて人気スポットなのだなぁと思った。

彦根から米原に出て、米原から新幹線。乗り換えなしがいいなと思ったので、「ひかり」にした。停車駅は岐阜羽島、名古屋、豊橋、そして新横浜。

米原で「ひかり」を待っていると「のぞみ」がギュンギュン通過していく。停車中の「こだま」や「ひかり」を押し潰す、「弱肉強食」の怪獣のようだった。

彦根ではぽかぽか良い天気だったのに、名古屋を過ぎるといつの間か雨になっていた。新横浜駅はかなりの降りだった。

今回は思いがけず彦根まで足を延ばせてラッキーだった。機会があったら、琵琶湖周辺のお寺や遺跡を見て回りたいなあ。

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2015/3/16

東名を走った  旅・散歩

用事のため、東名を走った、と言っても私は後部座席に座っていただけ。夫と娘が交代で運転して、中部地方まで。

日本坂トンネルを通る時は、「大火災があったのはいつだっけ?」

「あれはたしか、長女の生まれる前、つわりがひどい時に、友人のAさんがヨーロッパ留学から帰って挨拶に来た日の事」

と言うと、夫は全く覚えていないという。場面記憶というか、AさんとAさんの弟がまだ引っ越して間もない我が家に遊びに来た、その時の情景を思い出せる。

早速検索してみると、1979年7月と出た。間違いない。

あの時は60日間も日本坂トンネル下り線は通行止めとなったそうだ。あの後しばらく真っ黒に焼け焦げた車が東名高速の脇に置いてあった(これは夫の記憶)

追記:
この時、多くの死傷者が出た。その後、トンネル安全のための設備が整った。「笹子トンネル」事故では天井のコンクリートが落ちてきて若者たちが犠牲になった。犠牲が出る前に、なんとか事故が防げないものだろうか。「ひやっ」とした事故は些細なものでもきちんと対策を取ってもらいたいと心から願う。

曇りで富士山は見えなかった。道路沿いで景色がいいのは静岡の茶畑かな。あとはどこもあまり変わり映えしない。

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浜名湖サービスエリア。

農産物を売っていた。みかん、甘夏、苺。

芽キャベツ、金柑、ムカゴを買った。ムカゴは珍しい。どれも袋いっぱい入っていて、安い。芽キャベツもムカゴも180円。

ムカゴは帰宅後、「ムカゴご飯」にして食べた。野草好き・アウトドア好きの夫が調理した。豆ごはんのような感じだ。

浜名湖SAに来るのはいつ以来?と夫がいうので、記憶をたどる。

確か、岐阜の親戚宅に行った時だから、え〜と、

そうだ、叔母さんと従妹のMちゃんがテレビニュースを見て泣いていた。高校生の中国への修学旅行で大きな鉄道事故(上海付近)が起きた。その悲劇を見て、叔母さんたちが泣いていた。

ネットで調べると、上海列車事故は1988年3月。このことも夫は全く記憶にないという。あの親せき宅の茶の間のテレビ前の光景、私ははっきり覚えている。

それ以来、つまり27年ぶりの浜名湖SAということになる。

3月半ばの東名はまだそれほど混んでいなくて、スムーズに目的地へ着いた。新幹線に比べると3人で1万円かからないから安い。運転手が二人だったので、疲れなかったそうだ。

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2015/3/15

こんなところでマリノスバス  サッカー(マリノス)

3月14日のFC東京戦は、朝から講座の手伝いで見ることができなかった。

その講座の行われる都内に出かけると、なんとマリノスバスが止まっていた。
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朝9時半頃だったので、選手たちはまだ出発前。

「頑張れ〜!」「絶対勝利!!」と心の中で叫びました。

結果はスコアレスドロー。モンバエルツ監督初勝利ならず。勝ち点1は獲得したものの、順位は降格圏の16位。

まだ始まったばかり、1勝すれば、順位も上がる。「怪物」という評判のアデミウソンもデビューした。これからはマリノスは上昇していくだろう。期待している。
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2015/3/10

シベリウス・ブラームス  音楽

7日のサッカーに引き続き、8日はクラッシックコンサートだ。

久しぶりのみなとみらいホール。日曜の午後はとても混んでいた。当日券売り場があったので、チケットは完売ではなかったようだが、それでもほぼ満席といっていい。

今日のプログラムはエサ・ペッカ・サロネン指揮フィルファーモニア管弦楽団・シベリウス「フィンランディア」、ヒラリー・ハーンさん「ブラームスのヴァイオリン協奏曲」、シベリウス交響曲2番だ。

「フィンランディア」とブラームス「ヴァイオリン協奏曲」は好きな曲だし、ヒラリー・ハーンさんも一度バッハを聴いてとても感銘を受けていたので、ぜひ聴きたいと思った。
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「フィンランディア」。最初の金管楽器、ティンパニーから、「うぁ」と思った。大迫力だ。異常に力を感じる演奏。木管、弦楽器になると、これがまた繊細な音で、あの(歌詞もついている)メロディーがより美しく、もう、感極まる感じだった。

涙がぽろぽろ出てきて慌ててハンカチを出した。前の方の人たちで何人か目のあたりをぬぐっていた。
(夫は音楽で泣いたことは一度もないというのだけど、美しい音楽は泣けるよねぇ)

メリハリの効いた、スケールの大きな演奏。今まで何度も聴いた「フィンランディア」とは違うと思った。指揮者のサロネンはフィランド出身だ。

「フィンランディア」はロシアの圧政への抵抗の音楽と言われている。プログラムを読むとサロネンの言葉として「シベリウスは『やらねばならない勉強』で常に圧迫感があった」とあった。が、イタリアに留学して、異国で改めてシベリウスに接し、その個性や独創性、「楽しさ」がわかるようになったそうだ。

そういう思い入れが感じられた。

それと、民族・民衆の歌、抵抗の歌があるって羨ましいなぁと思った。民主化の後、チェコ・スロバキアでは亡命していた音楽家が「モルダウ」を演奏したし、ドイツには「第九」がある。イタリアは「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」がある。

日本では立川闘争の時は「赤とんぼ」が歌われたとか、郷土愛として「ふるさと」が歌われる。でもなんか、哀しいな。西欧音楽の伝統がないといえば、それまでの話なのだが。

大いに盛り上がって、曲が終了。みなとみらいホールのお客さんは控えめで、すぐに「ブラボー」と声がかかることはないのだが、この時は「ブラボー」とすぐに声が上がり、拍手も熱烈だった。この曲が聞けただけでも来てよかった。

次いでヒラリー・ハーンさんの登場。前の時は黒のドレスだったような気がするが、この日はホワイトに近いシルバーのドレス、耳のイヤリングがキラキラ。すっと立った姿はギリシャの女神像のようだった。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲は五嶋みどりさんズービン・メータ指揮ミュンヘンフィルの録画があったので、それで予習してきた。

第一楽章は、ブラームスの音楽がいつもの感じと違って、すごく現代的、20世紀の音楽に通じるように聞こえた。つまり、モーツァルトやベートーベンは音のつながり方が私でも音階で追える感じ、ブラームスはそれより自由だけれど、現代音楽のようなとりとめのなさではない。

だけど、今回のブラームスは音楽がうまくつかめないような気がした。ブラームスは現代音楽の先取りをしていたんだなぁと思った。

(だけど、家に帰ってもう一度五嶋みどりさんの演奏を聴いたら、やはりブラームスはロマンチック、「とりとめがない」ことはなくかっちりしていて、決して現代音楽ではないのだ。)

追記:いくつか批評を読んだら、「新解釈」「現代音楽のような」と書いてあった。意識してサロネンさんはそういう演奏をしたようだ。

2楽章、3楽章はそれほどの違和感もなく、特に3楽章はノリがいいので、ワクワクして聴いた。曲が終わると「わぁっ」と盛り上がる大拍手、歓声だった。

わたしの素人感覚で言うので、誤りかもしれないけど、管楽器がなんか不鮮明、クリアでなくくぐもって聴こえた。それが普通なのだろうか、フルートやオーボエはとてもきれいだったのだけれど。

ヒラリーさんは何度も拍手で呼び戻された。アンコールはバッハ無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番。鋭い音ではなく、艶やかな豊かな音だった。また何度も拍手、舞台裏の聴衆へ、ヒラリーさんがつま先を後ろにツンと立てて挨拶したのが可愛らしかった。

交響曲2番はあまりよく知らなかった。でも聴いているうちに、「あ、聴いたことがある」と思った。途中、すぐ前の女性、左手やや前の老婦人は寝ているようだった。目を瞑って聴いているのではなく、明らかに居眠りだなぁという感じ。つまり心地よかったんだろう。

最後の方は、音も大きくて、大迫力。ティンパニーの人が(身体も大きくて)目立っていた。

サロネンさんも身振りも大きく、派手な指揮ぶりだった。(オーケストラがイマイチなので、もっともっと歌え〜と振っていたのかなとすら思えるくらい精力的だった)

終わった時、圧倒されて「なんか、わかんないけど、凄かったなぁ」と思った。と、隣の若者が
「ブラボー!!」と叫んだ。びっくりだったが、「そうか、素晴らしかったのだ」と納得だった。

スタンディング・オベーションの人たちもいた。熱狂的な拍手といってもいい。

アンコールは、あの、大好き、すてきな「悲しきワルツ」だった。しーんと心に染み入るような演奏だった。興奮が少し収まる気がした。

サロネンさんに花束を渡した人がいた。珍しいことに若い男性だった。ファンなんだね。サロネンさんはその花束をバイオリンの女性に渡した。

ロビーへ出ると、聴衆たちはまだ興奮冷めやらぬという雰囲気。「いい指揮者ねぇ」と熟年カップルの女性が言う。「良い演奏だったね」とうなづく男性。

1階へ下りるとヒラリーさんのサイン会の行列ができていた。前のコンサートの時も行列はホール入口までつながっていたが、今日も入口から折り返して更に続いていた。

若い人が多い。男性も多い。ヒラリーさんの人気を再認識した。

8日は日比谷野音や国会周辺で、原発反対の活動があった。チケットを買ってしまっていたので、集会やデモには行けなかった。ごめんなさい。でも、コンサートに来て良かった。満足満足だった。

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