2016/11/30

大丈夫なんでしょうか  音楽

本日未明にこんなtweetがあった。

ノーベル賞授賞式コンサートもキャンセル、と。



長引いているが、大丈夫なのだろうか。心配だ。早く元気になられることを祈っています。

忙しすぎるのだと思う。引っ張りだこだし、サービス精神旺盛だし。

キャンセルして、それが中止でなく延期だと、その分またスケジュールがきつくなるわけだから、ずっと追われている感じだろう。

自分勝手とわかっていても、他のコンサートをキャンセルしても日本公演だけは実施してほしい、と思っている。気楽に外国に行けないので。
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2016/11/29

「この世界の片隅に」を見た  映画

話題の「この世界の片隅に」を見に行ってきた。

シネマポイントの期限が迫っているとのメールが来たことと、予定の「追っかけ」が中止になった(←まだ言っている)ので、行くことにした。

秀作でした。私はこうの史代さんの原作は読んでいないので、アニメだけの感想です。

私の嫌いなアニメ絵(萌えというのかな)、少女アニメ声もなかった。ホッとした。

実家近くの海の風景、広島の街、呉の街・山、草花(特にたんぽぽ)、鳥や昆虫、家の中の様子、みな優れた描写でした。軍艦、航空機もきっとマニアの方も満足だったのではないかな。

空襲、原爆の描き方も秀逸だった。夢、空想、自分が受けた衝撃、渦巻く感情など、その具象化も見事だった。

また、登場人物一人一人の個性もくっきりと描かれていた。声の「のん(本名能年玲奈)」さんも主人公の個性に合っていたし、喜怒哀楽をくっきりと演じていた。上手でした。能年さんは「天然、ボォーとしている」人じゃないと思う。

歌がねぇ。あの歌をとてもいい、という方は、多分主人公への評価が私と違うんだと思う。あの時代をあんな息の抜けるような声で歌っていいのか?「ちゃんとしろよ」とか言いたくなっちゃう(個人の感想です)。

(追記:クレジットの最後にクラウドファンディングに協力した方々の名前が出てくる。この時のピアノ音楽はとてもよかった)

広島の街は原爆で消え去ってしまった街並みを忠実に復元したものだそうだ。どれだけの手間がかかったのだろうか。

それにしても、戦前の街の風景は、私が子どもだった頃みた田舎の街風景とあまり変わらないね。「そうそう、こんなだった」と思いながら見ていた。故郷の街は空襲を受けなかったので、昭和30〜40年代までは戦前のままだったと思う。

家事もそうだ。煮炊きする「へっつい」、たらい、箒、風呂、裁縫仕事。家電製品が家庭に入ってくるまではあんなだった。

和裁のくけ台が出てきたのは懐かしかった。祖母が使っていた。)

ただ違うのは水汲み。主人公が坂の下の共同井戸から天秤棒で水を運び上げるのは過酷な労働だったと思う。

実家は水道が通っていたし、家の裏に共同井戸もあった。ただ食糧難で畑をしていた時水汲みが必要だったそうで、母が天秤棒でバケツを担ぐのはとても難しかったと言っていた。

とにかく戦前の女性の家事労働は苛酷だった。これ以外にもちろん子育て、そして農家、商家、それぞれ家業もあった。

町中から村にお嫁に行った母の知り合いは、桑や薪などを背負うのが婚家先の人の半分しかできず、ひどく苦労したという。

話がずれた。

戦前の日常生活を詳細に淡々と描いていくことで、逆にあの時代の異常さが浮き彫りになってくる。

評価が高いのは頷ける。この映画が最初上映館が少なかったのに、口コミで拡大し、ヒットしているのはとても良いことだと思う。

でも、私はちょっとダメでしたね。←あくまで個人の感想です。何層にも但書きをしてでの感想です。

「大絶賛」内容に違和感をぬぐえない。いや、見終わった直後は、もっとプンプンだった。この映画がヒットして、しかも非常に高評価だということ、つまり、「世の中はあーいう女が好きなのね!」

泣かなかったし。

帰宅して、いくつかの批評を読んで、もっと主人公を注意深く見ないといけないのかと思ったので、もう少し考えてみた。それでもやっぱり嫌だな。








主人公。このような生き方は戦前は普通だったろう。

無垢で、従順で、受け身で、慎ましやか。彼女には自分の意志がないかのように見える。人の指示のままに生きていく。

もちろん、それほど単純ではない。(←この辺が批評で教えてもらったこと)
彼女の生き方が「揺さぶられるのが「リン」さんと戦争、その中で彼女は現実を見つめている。彼女が見つめるものを見逃してはいけないのだ。

(原作では、それはきっちりと描かれているそうだが、映画では弱い)

また、彼女の生き方に対する批判的視点はきちんと映画の中で、義姉の描き方や言葉に表れている(これは私が感じたこと)。

しかし、この映画の「大絶賛」「拍手」は以上のようなことを考慮してはいない。

主人公が無垢で従順なので、すんなり受け入れている人たち。無垢で従順で受け身な女性が受け入れられ、愛され結果、幸せになるのだと無邪気に受け入れる人たち。

(←この映画に出てくる男性たち《夫・舅・幼馴染等)は基本良識ある人たちです、念のため)。

この映画に満点をつける人たち、5000億点とか大絶賛している人たち、は、もし「主人公の義姉」を主人公とした映画があれば、絶対に「大絶賛」しないだろう。

「アナ雪」にブー垂れていたオヤジ達、「男の居場所がないじゃないか、氷屋だぜ、ヒロインの相手は」「『ありのまま』なんて、向上心がないじゃないか(←日本語訳の歌しか聞いていない)」なんて座談会で放言していた人たち。

彼らはこの映画は大絶賛しているのだろうと思うよ。

そしてもう一つは、声高に反戦平和を訴えないからよい、とか、メッセージ性がないから良いとか、他の反戦映画と違って生活が描かれているから良いとか、と言って拍手する人たち。

描かれているのはかなり漂白された戦時中なのにな。

時々このブログでも紹介する「パプリカ」さんが「そういう風に絶賛し拍手する人たちがいるから、私はこの映画を好きとは言えない」とtweetしていた。まさに「それな」。

勘違いされないようにもう一度言っておくけど、秀作です。素晴らしい作品です。見に行くべき作品だと思います。

だけど、やっぱり何かが変だ。

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追記:
そもそも反戦平和と声高に言って何が悪いと私は思う。過去の作品を描いたのは悲惨・残酷さを身を持って経験していた人たちだ。むしろ「控え目に描かないのは悪い」みたいな風潮に危惧を覚える。

自然災害のように戦争が来て、ある日突然悲劇と共に終止符、という庶民じゃいけないのよ。そこで気が付く人間じゃだめだよ。当時の女性で、世のしきたりに従って生きていた人だって、もっと衝突していたことがあるはず。なんかきれいごとなんだよなぁ。

婚家での苦労を妹が気づいても、戦地の兄のことも、この人たちにはやはり自然現象みたいなもので、やり過ごしてしまうのか。それが「ほのぼの」なのか。とても怖い。

こうやってご時勢に疑問を持たず、日々の生活を過ごしているうちに取り返しのつかないことになり、それを自然現象のように受け止めている限り、また同じ悲劇を繰り返すだろう。映画の肝である、主人公の慟哭場面の描写がとても弱い。だから、勘違いする人たちが多く出てしまう。

(同じ、こうの史代さん「夕凪の街 桜の国」は漫画も映画も見た。感銘を受けたのに、今回の映画にダメだと思ったのは、この9年間の時代の変化によるものかもしれない)

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2016/11/28

ラ・ボエーム見に行ってきた  音楽

28日から一週間の「おっかけ」はなくなっちゃたし、夫はJR東日本の4日間乗り放題15,000円の切符で山形方面に旅行に行ってしまったし、あ〜あ、という週末。

ヨナス・カウフマンのコンサートがあるから、とあきらめていた新国立劇場の「ラ・ボエーム」に行こう!と思い立った。

観に行った方々の評判もいい。有名歌手は出ていないが、とてもよくまとまって感動的な舞台だとのこと。

土曜日の昼間なので、行きやすい。初台でどっと下りた人たちはみんな新国立劇場に向かう。

ネットでチケットを取った時、1階の一番後ろの席はもう売り切れだったのに、行ってみたら、誰も座っていない。これはどこかの会社とか団体が押さえていたのだろうか。

さて、「ラ・ボエーム」。今まで見たのは、

パヴァロッティが亡くなった直後(2007年)、追悼放送として「ラ・ボエーム」をNHKBSで放映した。見始めたが、あまり入り込めなかった。つまり、その頃は有名アリアも全く知らなかったし、太ったむさくるしいおじさんたちが「青春」を歌うこと自体に違和感を感じてしまったのだ。

ネトレプコ、ビリャゾンの映画「ラ・ボエーム」を途中まで見た。これも最後まで行きつかなかった。どうも苦手だった。

その後、「レント」(2006年日本公開)が「ラ・ボエーム」を下敷きにしていると知って、もう一度見ようかなと思うようになった。

で、ちゃんと見たのはWOWOW「METライブビューイング」だ。これはミミ役の方が急病で下りてしまい、オポライズさんが前日夜「蝶々夫人」を演じたばかりなのに、翌日マチネ公演に急遽代役に立った、時のもの。

この録画をもう一度見て、勉強してから新国立劇場に行った。

以下、初心者の感想です。

よかったですね!癒しのオペラでした。

第一幕目のアリア「冷たい手を」「私の名前はミミ」「ああ優美なおとめよ」。

この曲はカウフマンの「プッチーニアルバム」やコンサートで何度も聴いて、知っているので、「待ってました!」という感じ。

この歌を聴いて、もうウットリ。優しくて、柔らかな音楽。包み込むようなオーケストラの音。これだけでα波出まくりだ。

遠い席だったので、良く見えなかったが、ミミ役のフローリアンさんはほっそりして、可憐な感じだった。

ロドルフォ役のテッラノーヴァさんは一番拍手とブラボーをもらっていた。声量があって歌いあげるアリアはどれも素晴らしかった。

打って変わって第2幕は賑やか。沢山の人たちが舞台上にいる。合唱団、少年少女合唱団もいる。物売り、演芸、軍隊も。

パリの街、道が広くなったり狭くなったり、ビルが近づいたり遠ざかったり、舞台装置も興味深かった。

ムゼッタ役は石橋栄実さん。堂々たるものだった。だけど、日本人はどうしても優等生に見えてしまって奔放さが足りないような気が…。

第三幕目は雪景色。雪が沢山降ってきてきれいだった。
第四幕目の最初は芸術家たちの楽しそうな悪ふざけ、一幕目もそうだけど、青春ドラマなのよね。

けど暗転。

やはり、他の人がミミの死に気づいているのに、ロドルフォは「今は休んでいる」。と、言った後、「なぜそんな目で僕を見る?!」からの「ミミー!」は音楽がウァ〜っと高まって、これは泣くでしょ。

前の席の方もハンカチで目をぬぐっていた。

沢山、オペラを見ている方々が、この「ラ・ボエーム」で今までにないくらい泣いたと書いている。指揮者の力量なのか、東京フィルの演奏なのか、とにかく感動したとのこと。

私はそれほど涙は出なかった。でも、良いオペラだなぁと思った。青春、夢、芸術、友情、愛情、そして貧乏と死。

ワーグナーのような壮大なドラマではなく、戦争を舞台にしたものでもなく、多くの人を巻き込む愛憎の劇的ドラマでもない。日常生活の感じられる身近な人間ドラマだ。だから人気オペラで多くの人に愛されているんだなと思った。

ボヘミアンたちの生活を見て、私にはもう過ぎ去った時代だなぁと、追憶の時代だとしみじみ思ってしまった。

そうそうプログラムを読んでいたら、永井荷風や金子光晴に触れている文章(〈ラ・ボエーム〉オ・ジャポン―ボヘミアニズムと日本)があった。どこかでこんな文章を読んだことがあるな、と思っていたら、筆者は今橋映子さんだった。この方の「異都憧憬 日本人のパリ」は熱心に読んだ。今でも本棚の大切な本の場所に置いてある。

新国立劇場のプログラムはいつも内容豊富で楽しみだ。

今年4回目の新国立劇場だった。こんな風になるとは全く1年半前には思いもよらなかったな。ま、あと何年、「行きたい!行く!行った」の行動ができるかわからない。できるうちはやりたいようにやるのだ。
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2016/11/27

松本竣介展  展覧会

勤労感謝の日、祝日、最初は映画に行こうと思っていた。が、映画館のHP・チケット購入ページにアクセスするとほぼ完売。行きたい時間にチケットはなかった。

それで、「祝日の鎌倉は混んでいるから、避けようね」と言っていた鎌倉に行くことにした。

「ま、展覧会はそんなに混んでいないでしょう」と夫が言う。

鎌倉行の電車は混んでいた。鎌倉駅前も混んでいた。きっと小町通りは人でいっぱいだろう。若宮大路の方が広い分、歩きやすいはず。

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歩道の植え込み。石蕗の季節だね。

八幡様前の交差点を左に曲がる。神奈川県立近代美術館を右手に見て北鎌倉方面へ。県立近代美術館はは現在工事中。保存することは決まっているが、どのように利用していくかは未定だそうだ。

北鎌倉方面へ15分くらい歩く。巨福呂坂の北鎌倉へ向かって左手の山際に県立近代美術館鎌倉別館がある。

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入口。

何回かあった松本竣介展はことごとく見逃し、常設展示も見てなかった。ようやく来ることができた。

さすがに訪れる人は多くはなく、ゆっくり静かに見ることができた。

2階に上がるとまず目に飛び込んでくるのが、「立てる像」だ。やはりこの絵に一番強い印象を受けた。

天童荒太さんの小説の表紙にも使われている。

そうそう、こんなtweetがあった。



聞きに行きたかった。

松本竣介は子どもの頃の病気で聴覚を失ったという。そして、1948年戦後の混乱が残るなか、妻子を残して36歳の若さで亡くなっている。

展示の最終章には、「亡くなった時から友人たちの手によって展覧会などその画業を紹介する活動が始まり、新たな松本竣介の歴史が始まった」とあった。

モジリアニ、ルオー、更には藤田嗣治の影響を受けたこと、工場風景、都市風景を描きつづけたこと、そして肖像画。この展覧会のポスターに使われたように、子どもの絵はとてもいい。コップやリンゴを持つ手の愛らしいこと。

パンフの解説には
「時代の不安な様相を独自の静謐さで包んだ都会風景や温かな視線の注がれた人物像、複雑に交錯するモンタージュと呼ばれる技法を応用した情景など、時代を超えて人々を魅了し続ける」とあります。

戦時中にあっても戦争協力画は一切描かなかった。

松本竣介の作品は近代美術館鎌倉館にとって貴重なコレクションだとのこと。彼の作品や書簡、日記、スケッチブックも展示してあった。

ご遺族が大切に保管されていたのだろう。奥さまが亡くなったのは夫の死後60年以上経っている(展示の年表による)。

それと、彼に縁にある作家の作品も展示していた。その中に靉光の「花と蝶」があった。靉光の作品は「藤田嗣治の戦争画」を見に行った時に「眼」と「自画像」を見た。この方も戦後上海にて戦病死している。

みんなもっともっと絵を描きたかったろうなぁ。

今年はずっと見たかった香月泰男と松本竣介の絵が見られて、嬉しかった。
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2016/11/26

コンサートの予習5  音楽

コンサート予習第5回目

ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」より
「ある日、青空を眺めて」Un dì all'azzurro spazio

とても難しい歌だと思う。動画はコンサートだが、圧巻の歌唱だ。



(2015年6月以前、こういうオペラがあること自体全く知らなかった)

この歌をコンサートでも本当に歌ってくれるだろうか。「プログラムは予告なく変更されることがあります」だから。・・・・・そもそも来日してくれるか、という大問題があるが。

ロイヤル・オペラ「アンドレア・シェニエ」の予告編


アンドレア・シェニエは他にも「5月の美しい日のように」や「僕の悩める時も」など有名アリアがある。ユーロニュースから


アンドレア・シェニエは来年ミュンヘンで上演予定。見に行きたい(無理)

歌詞
********
あなたは、私の心を奥深くに秘められた
私の最も純な感情を傷つけてくださいましたね。
それではこのお嬢さま、ここで嘲りの因となった「恋」という言葉が、
どんなに詩情のあるものかお目にかけましょう!

ある日、深く澄み渡った青い空に
私はみとれていました。
スミレのかおる牧場の頂に
太陽は黄金の雨を降らし、世界がすべて黄金に光輝いているのを:
いうなれば、大地は巨大な宝であり、
天空はそれを眺める宝庫であるかのように思えるのです。

大地から私の額にまで
ひとつの愛らしい生命が、口づけが訪れていました。
私は愛の勝利に、叫びました。
君を愛する、私に口づけを与える君は
神のように美しく、私のふるさとです!と

そこで私はみなぎる愛をもって
祈りを捧げずにはいられませんでした。
こうして、私は教会のしきいをまたいだことがありました。
そこの聖女をまつった一隅でひとりの僧侶が供物を蓄えていました……
なのにみすぼらしく震えている
ひとりの老人が
パンを求めて空しく手を差し出しているのには
耳を籍そうともしませんでした。

私は貧しいあばら家のしきいを
いくつかまたいだことがありました。
そこで、ひとりの男は神をののしり、
国のふところが罰として食いつぶしている
彼らの土地を誹謗し
そして、神に向かって人々に向かって
子どもたちの涙を投げつけていました。

このようなみじめな姿の中で貴族たちはいったい
何をしているのでしょうか?

あなたの眼にだけは
人間的なもの憐みの眼差しが
現れているかのように、
そして私には、あなたが今
ひとりの天使であるかのように思えたのです
そこで私は申しました:ここに生きる美しさがあるのです!
でもここで、あなたのおことばによって
ある新しい苦しみが私の胸をいっぱいに捕えました。

ああ、美しいお嬢さん、一人の詩人が申し上げることを
軽蔑なされないでください!
お聞きください!あなたは愛をごぞんじないのですね!
愛とは、神さまがお与えくださるもので、それを軽んじてはなりません。
世の中の魂も生命もすべて愛なのです!
*********

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2016/11/25

で、眺める動画  サッカー(マリノス)

こういうガックリしている時に、眺めると心休まるというか、惚れ惚れする動画を見るのだ。



10分以上ある動画、何度見てもいいなぁ。素晴らしいなぁ

ところで、このtweetをコールリーダーの「ひろあき」さんがリツィートしていた。私も同感です。



その価値とは「マリノス第一」の選手がいること。しかも一流の。

また、「トニーのおっさん」さんは以下のようなこともおっしゃっています。
*************
クラブが利益を生み、その利益をピッチ上の成績に反映させ、さらなる利益を生む」が正しいサイクルであって、利益を生まずに強くなろうとするのは、いずれ何処かで破綻する。フットボール・ビジネスというのは、まず成績とは関係ない部分で利益をどう出すか?という所が出発点になる。

重要なのは、ファンというのは質ではなく価値に対価を払ってるという事。もしファンが質のみをフットボールクラブに求めているのなら、降格争いをしてるクラブにファンが押し寄せる事の説明がつかない。強くて美しいフットボールだけをファンは求めている訳ではない。
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2016/11/25

やはり気落ちしている。  音楽

10月にオペラやコンサートをキャンセルした段階で、覚悟していたとはいえ、やはり気落ちしている。

だって、この歳になって初めての「おっかけ」だよ!

ホテルを取って、新幹線予約して、予定されている歌の予習もして、荷造りも始めて、「寒いかな、服はどんなの着ていけばいいのかな、重くなるのは嫌だな」とか考えをめぐらせたり、もう、いろいろやっていたのだ。楽しんでいたのだ。

でも、ま、ヨーロッパ遠征までしている方々からすれば、「よくあること」なんですね。

がっかりする方が間違っているのよ、きっと。

療養に入って長いけど、歌手生命に影響するような状態じゃないよね?

とにかく、ヨナス・カウフマンさん、元気になって、またあのすばらしい歌声を聴かせてください。

それにしても、全く知らない世界だったが、歌手のキャンセルってよくあるんですね。

で、オペラの場合は、代役システム?があるのか、と思ったり。同じレベルの歌手がすぐに代役に立つ(らしい)。オペラ界は相互扶助組織なんだなと思った。

初めて新国立劇場に行ったのは「ウェルテル」だったが、主演のコルチャックさんは代役の代役だった。代役の代役でも、こういう人気歌手が来るのだなぁと感心した。

いろいろ知らないことを勉強しますね。

来年8月には来てくれるかなぁ。またヤキモキするわけね。

1週間まるまるスケジュールが空いてしまった。11月は風邪をひかないように、と行動自重月間だったが、もうその必要もない。映画でも展覧会でも集会でもデモでも言ってしまうよー。

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