2018/2/20

スルービルボートを見て来た  映画

話題の「スリービルボード」を見て来た。

英国アカデミー賞で作品賞、主演女優賞、助演男優賞、脚本賞を受賞した。アカデミー賞でも最有力候補だ。

娘がレイプ焼殺されて7か月、一向にはかどらない捜査に怒った母親が広告看板に警察を非難する大ポスターを貼る。

そこから引き起こされる南部の町の人間模様。怒り、絶望、対立、暴力、許し合いが描かれる。

見終わっての状態。 茫然、強烈、アメリカってああいう国なの?

俳優陣はみな素晴らしい。母親のフランシス・マクドーマンドはこの人以外にこの役を演じられる人はいないと思う。サム・ロックウェルも白人クソ警官ぶりが強烈。

話の展開が読めず、ぐいぐい物語に引き込んでいく脚本と演出は見ものだと思う。

しかし、違和感もありまくり。

そもそも時代がよくわからない。ググるという言葉が出てくるから、そう昔じゃない。でも黒人差別、ゲイ差別、障碍者差別の言葉は半世紀前と言う感じ。

そして、南部はこんな無法地帯なのか?法や警察はどうなってるの?西部開拓時代か?

これはリアル映画ではなくて、ファンタジーなのだろうか?どの人も何かの象徴?寓意?

よくわからないのだ。

人物造形も、これが現代、21世紀だとしたら、変だと思う。

男たちの連れ合いは金髪美人の若い女性で、純真、無知、無垢。黒人や障碍者は主人公を救う妖精的役割。

それでよいのか?

主人公が強い女性というだけで、古い。男が主人公だったら陳腐。母の怒りはどこか被害者の娘を置き去りにしてしまう感もある。

(鹿の出てくる場面は美しい。こういう場面がもっとあればいいのに)

わかり合うためにあれだけの暴力がないとだめなのか?

『怒りは怒りを来す』それは不毛である、を描くための映画なのだとは思う。

でも、なんか変だ、という気持ちがぬぐえない。

好きか嫌いかと聞かれれば、好きじゃない。とにかく私には理解不能。神話とか寓話として見るべきなのかもしれない。

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2018/2/20

フィギュアスケート  スポーツ一般

フィギュアスケート男子、羽生くん金メダル、二連覇、宇野君銀メダル、おめでとう!

スゴイね。ケガ明けで、あの演技、精神力、ただただ感服。そしてしっかりした受け答え、立派だ。宇野君の素直な言葉もいいね。ほっとする。

醜悪なのは我が国の総理。なんだよあの便乗、厚顔ぶり。ハタ坊は特にみっともない。

フィギュアスケートがますます高度化し、技術偏重となると、プルシェンコやキャンデロロが懐かしくなる。技術面では今より低いかもしれないが、「芸術性」は上だと思う。

特に2004年のプル様「ニジンスキーに捧ぐ」。


芸術点オール6点。

ニジンスキーは不世出のダンサー。バレエに「ニジンスキー」という作品がある。

長野五輪のキャンデロロ。この剣さばきステップ! 新しかった。



今のスケーターは少年の美しさだけど、この頃のスケーターは大人の男の色気だな。←実はよくわかっていない。



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