2019/10/31
これは萩生田文科相の「身の丈」発言(共通テスト・英語民間試験導入)についての抗議のtweetだ。
祖母がリアルおしんで、小学校に上がる年に奉公に出されて、たかだか6歳の女の子がよその家で働くお金を実家があてにしてた時代が本当にあったんだよね。近所の子は全員小学校に行って読み書き算盤を習うのに自分は「実家を助ける」という名目で働かされたという現実を何度も聞かされた俺。
— コタロヲ (@cotarou1) 2019年10月26日
「そうならない為にはどうしたいいのか」という発想が無くて、「じっと耐えてその時間をやり過ごす」方向しか見つけられなかった事に『学習を奪われた子供がその先過ごす人生』の辛さを嫌というほど見てきた。こんな地獄があるか。想像力の無い大臣よ。人から「学び」を奪わないで。
— コタロヲ (@cotarou1) 2019年10月26日
(「そうならないためには」というのは「人に見下げられるないためには」という意味です)
私にも明治生まれの祖母がいたので、この人の言うことはわかる。祖母は高等教育は受けなかった。近所の明治生まれの女性たちには字の読めない人もいた。週刊誌を愛読していた祖母は「学がある」なんて言われていた。
だが、祖母の書いた字を初めて見た小学生の私が「あ、おばあちゃんの字?」というと、祖母はひったくるようにしてその紙を持ち去った。字を見せたくなかったのだと思った。
祖母の編んだビーズ編みの手提げ袋は今も持っている。だが、祖母の書いた字の入ったものは一つもない。
学校に行ってねから賃金をちょろまかされても分からない、足し算も掛け算もろくに出来ないからいい仕事に就けない、字が読めないと困るから竈門や風呂の焚き付けにされる新聞を火の番しながらコッソリ読んで必死で覚えた。書けるようになったのは随分先だ。
— コタロヲ (@cotarou1) 2019年10月26日
祖母が私の名を書くお年玉袋は捨てられない
そうなんだよね。
夫の祖母が、ウチの子ども達にお年玉をくれた。そのお年玉袋は私も捨てられない。今も取ってある。(夫の祖母は教育を受けた人だ)
そう、女性たちが教育を受けられるようになったのはそう古いことではない。母は女学校に通えたが、良妻賢母教育だった。それでも、母の同級生たちには俳句や短歌、書道をたしなむ人たちが沢山いる。母も晩年万葉集や源氏物語の講座には通っていた。向学心は人一倍あった。
話は逸れるけれど、「女学校」で思い出した。
昔の女学校出身の女性たちは、書道、和裁洋裁編み物、料理などが得意だった。その話をした時に、戦時中女学校に在籍していた女性は「私たちはダメ、勤労動員ばかりで学校で学ばなかった。何もできないわよ」と言った。
そうなのか、と驚いたことがある。
戦後、男女平等と表向きにはなったが、まだまだ根強い差別がある。70年代のウーマンリブから1999年男女共同参画社会基本法が制定され、差別解消に向かうかなと思ったのに、その後バックラッシュ(揺り戻し)が始まった。女性議員は少なく、女性の管理職も少なく、セクハラパワハラ、医学部入試の女性差別、性暴力などひどい差別がは残ったままだ。
ともかく、安倍政権の本音「身の丈」発言は許せない。金持ちと貧乏、都会と地方、男性と女性、障害のあるなし、国籍等で差別があってはいけない。教育の機会均等、公平性は守られなければならない。「国」、「公」はそのためにある、と思う。

2019/10/27

新横浜駅はこんな感じ。
イングランド🏴の人が多かった。

日本じゃないみたい。
(顔が写っているけれど、イングランドの人はこのブログを見ないからいいよね)

こちらはニュージーランドかな。オールブラックス。

鉢巻をした人も多かった。
スタジアムに向かう歩道橋はもう人でいっぱい。

数年前なら、この人波に付いて、スタジアムまで野次馬に行っただろうが、今はそんな元気なし。
試合は、予想に反して、イングランドの快勝。試合開始1分少々で決めた得点が大きかった。
アイルランド相手にあんなに強かったオールブラックスが、最後の方はチームバラバラになってしまっていた。
沢山いたイングランドサポーターたち、おいしいビール🍺を飲んだろうね!
明日準決勝のもう一試合。決勝は11月2日。イングランドサポーター、宿泊費がかかるね。
日本が敗退したので、ラグビーの話題を書く「へそ曲がり」なのであった。

2019/10/25
ところがたまたまアマゾンプライムをつけたところ、なんと見られるではないか。
で、第1話から第5話まで、見ました。
第1話から、もう怖くて胸が痛くて、見るのが辛かった。どうしても福島第一原発のことが思われた。それとJOC事故で亡くなった作業員のお二人のこと=NHKで被爆治療のドキュメンタリーを見たことがある。
第1話、冒頭の男性の行動、それが解き明かされるのは第5話だ。
平和な日常生活のある日、爆発音とともに原発から黒煙が上がり、青い光がまっすぐ上に放たれる。消防団員が呼び出される。
慌ただしく動き回る原発作業員、恐怖にひきつる顔、無能な幹部、何も知らず現場に行く消防隊員。
twitterで感想を的確にまとめてtweetした方がいる。こういう文章、どうしたらかけるのだろう。引用させてもらいます。
スターチャンネル『#チェルノブイリ』第1話鑑賞。そうか…「世界」が終わる瞬間の始まりというのは、こんなにも静かに淡々と、目の前の光を覆う「闇」となって押し寄せてくるのか。希望の欠片もない光景と醜悪の極みの様な権力者の愚行の数々。妥協の余地もない「地獄絵図」の序章を見た。絶望。 pic.twitter.com/nllISKxmz4
— takeman75 (@takeman75) 2019年9月25日
『#チェルノブイリ』第2話鑑賞。時間が経過するに連れていよいよ世界に「拡散」されていく事故の惨状と、新たな「壊滅」のカウントダウンに、胃袋の奥を掴まれる1時間の地獄。ラスト10分、聴覚に染み入ってくるノイズ音と画面から徐々に消えていく「光」に、本気で吐き気を催しそうに。恐ろし過ぎる。 pic.twitter.com/V3oF543Aqn
— takeman75 (@takeman75) 2019年10月2日
事の重大さが次第に分かって行く。次々襲い掛かる危機。主要人物(核物理学者レガノフ、ソ連閣僚会議副議長シチェルビナ(この二人は実在人物)、核物理学者ホミュック)がこの事故から人々をどう守ればよいのか、覚悟を決めていく。
『#チェルノブイリ』第3話鑑賞。日本に生まれた者として、絶対に目を背けてはいけないと肝に銘じながらも、中盤のあまりに惨過ぎる光景には、さすがに精神的な負担がきつ過ぎた…。そして深い土の下に隠されていく、名もなき人間の尊厳と真実の証。どれだけの「叫び」が、あの地に残されたままなのか。 pic.twitter.com/7qahDFJKLa
— takeman75 (@takeman75) 2019年10月9日
ここに映る炭鉱夫たちの心意気と勇気。また、水蒸気爆発を防ぐために決死隊としてプールのバルブを開けに行く原発作業員の献身。こういう人たちによって更なる大事故が防がれた。
被曝した作業員、消防夫たちの描写がリアルで恐ろしい。目には見えない放射線によって人の細胞が破壊され、人体が破壊される。遺体は鉛の棺に入れられ、棺が置かれた穴はコンクリートが流し込まれる。残酷、無残で、目を背けたくなる。
第4話は、途中で見るのが怖くなってしまった。
『#チェルノブイリ』第4話鑑賞。事故発生から数ヶ月が経ち、名も無き末端の兵士達によって粛々と行われる「敗戦処理」の現場。無感情にならなければ、とても正気を保てない「作業」の数々を耐えた先には、またあの地獄の底からの「ノイズ音」が、耳の奥に突き刺さり…もう神経が限界。あと残りは1話。 pic.twitter.com/0vC8enso8H
— takeman75 (@takeman75) 2019年10月16日
チェルノブイリの事故にはそもそもこの原子炉の欠陥があったのではないか、それを科学者たちが追及する。
第5話。事故の裁判が中心になる。何故事故は起きたのか。
『#チェルノブイリ』第5話。惨劇を引き起こした「悪役」は、誰なのか。誰かがその報いを受けるべきと願う「懲罰願望」に、冷や水をぶっか掛ける苦い真実。主要キャスト3人の感傷を一切排した「プロフェッショナル」な佇まいに、全身の毛が逆立つ。この絶望的な事実に「感動」が入り込む余地は、ない。 pic.twitter.com/X2JWbNV5FB
— takeman75 (@takeman75) 2019年10月23日
事故の原因について、レガノフ博士の説明は分かりやすかった。
チェルノブイリ最終話も安定のクオリティ。 pic.twitter.com/EmQiHoEDwd
— HyperParadise (@pregnant_boy) 2019年10月24日
チェルノブイリ第5話みた。最終話は保身と隠蔽とその結果の話。「嘘をつくたび真実へのツケがたまる。ツケは必ず支払わされる」レガソフの証言とラストのモノローグが刺さって痛い。私たちも同様であって、311からずっと目にしてきたことだ。#チェルノブイリ pic.twitter.com/8S5pfXJs2E
— taka.pea (@oceanchildhigh) 2019年10月25日
第5話の、余命1年と言われたシチェルビナが、手の上を這う小さな青虫を見て「美しいな」とつぶやく場面は印象的だった。
恐ろしいドラマで、人間の醜さも描いていたが、それを超える無名の人々の勇気、献身、人間の良心を描いていたと思う。
エミー賞リミテッドドラマで10部門受賞した。
脚本も、撮影も、俳優たちも素晴らしい。
みんな英語をしゃべっているのに、髪型、服装、佇まいがソ連人に見える。
官僚はいかにも官僚らしく冷たく、狡猾だ。原子力発電所の幹部や、市、州の幹部、KGB、ソ連幹部だ。功名心に走り、事故後は事実を理解せず、あるいは理解した上で隠蔽する。それは個人の問題ではなかった。第5話ではそのことが語られる。
原発作業員は作業員ではあるがインテリ風味、消防隊員は普通の家庭人で無防備、炭鉱夫は炭塵にまみれた男くささ、兵士は戦争のせいかどこか人生への割り切りがある。炭鉱夫も消防隊員、兵士も仲間意識は強い。
科学者は人としての良心、科学者としての真実への忠誠心と、一方、国への恐れで葛藤する。
脚本・演出と、それに応える俳優陣、どれだけ層が厚いのか、どれだけ才能ある人々なのか。
美術、衣装も見事だった。建物も、人々の服装も、いかにも旧ソ連らしい。重厚だが殺風景な部屋、調度類。
(旧ソ連の建物はよく知らないが、旧東欧「グッバイレーニン」や「善き人のためのソナタ」に出てくる建物、内部によく似ていた)
被曝して日に日に崩れていく肉体の描写、特殊メイクもすごい仕事だと思う。
不気味な音楽や効果音、その音だけで恐怖を感じる。
これ、全日本人に見てもらいたいと思う。私ももう一度、第1回目を見ようと思う。
「原発は人の手には負えない」。声を大にして言いたい。
ソ連崩壊はチェルノブイリがきっかけだったとゴルバチョフは言ったそうだ。(日本は3.11後、アベのショックドクトリンで滅茶苦茶にされている、と思う)。
それにしても、こういうドラマを作るアメリカの底力には改めて尊敬の念を覚える。

2019/10/23
「蜜蜂と遠雷」。

原作は直木賞受賞の時に読んだ。その時の感想は「熱血スポコン音楽版」。でも詳細はすっかり忘れている。
この原作を映画化するとこういう風になるね、という感想だ。
良い場面は幾つもあって、例えば亜矢と塵が月光の連弾をする場面、それぞれのカデンツァの演奏場面、明石の田舎の家、とか、印象に残る。
今、公式HPを見たら、撮影監督はポーランド人だとのこと。画面は新鮮だった。
そう、音楽の場面はいいのよねぇ。
でも人物像が類型的。人間ドラマが弱かった。それと原作があると。どうしても説明的になる。
セリフで説明する場面も多かった。回想シーンもは効果的なことも、余分なこともあり(説明過多)、この扱いは難しいな。
(冒頭の雨のシーン、雨はわかるが、「馬」は何ですかね?原作にあったのかな?忘れてしまった)
人物で言うと、審査委員長、テレビディレクター、作曲家、指揮者はどうにかならなかったかな。
ブルゾンちえみはキャスティングの失敗だと思う。ちゃんと俳優を使うべし。
斉藤由貴の審査委員長も、これ原作通りなんだろうか。描き方が本当に陳腐だった。光石研も鹿賀丈志もありきたりだった。指揮も下手だったし。
主役4人の配役は良かったと思う。特に塵役の新人はイメージに合っていた。
松岡茉優は演技力に定評があるし、繊細な表情はさすがだと思った。でも、何か言う前に、フフと笑うでしょう、あれ多用しすぎだと思う。またかよ、という感じになった。
臼田あさみさんも福島リラさんも素敵でとても役に合っていたけれども、描き方が浅くて、それこそ「類型的」だった。
この映画、松阪桃李くんがいなかったら、主役4人、収まらなかったと思う。松阪桃李が重しになっていた。
俳優の評ばかりになるけれど、平田満、片桐はいりはアクセントになっていた。
結論としては、音楽は良かったし、映像もよかった。けれど人間ドラマはつまらなかった。
音楽映画としては「のだめカンタービレ」の方がずっと面白かった。題材が違うと言えば、その通りですけど。
ただ、ピアノコンチェルトは今まで、古典、ロマン派、国民楽派までしか聴かなかったけれど、プロコフィエフ、バルトークも、食わず嫌いでなく、聴こうかなぁという気になりました。

2019/10/22
幼稚園児から小中学生までの発表会だが、私の見たのは幼稚園児と小学校低学年だけ。
もうね、幼稚園年少さんが、並んで出てきただけでもう「かわいい

歌を歌ったり、ベルを鳴らしてメロディーを奏でたり、一生懸命演奏する姿はただただ尊い。
年中さんがヴァイオリンを演奏する姿にも驚嘆。5歳くらいで、もうきちんと音程を取り曲を演奏できるのか。練習も嫌がらず、曲を覚えて、演奏する、その集中力にも感心してしまう。音楽が好きなんだねぇ。
家族、兄妹で連弾したり、歌を歌ったりするのも楽しそう。
可愛いドレスを着て或いは、きちんとネクタイを締めて、どの子も晴れがましい。
ウチの孫も、ピアノの演奏がちゃんとできた



ピアノを習ったり、ヴァイオリンを習ったり、素敵なドレス、ネクタイ姿の子ども達は恵まれた境遇の子たちだと思う。7人に1人が貧困という日本の現状を思うと、いろいろと考えてしまう。
本当はもっと多くの子ども達がピアノ・バイオリンを弾いたり、音楽を鑑賞できたりするといいなと思う。
ともかく健気で無邪気な子どもたちを見て、どの子も健やかに育ってほしいと心から願った。

2019/10/20
2000年頃、作成したホームページ「新横浜界隈」は最初、新横浜の事を紹介していたのですが、段々更新を怠るようになり、内容が古くなったので、その中の「サッカー観戦記」と「映画寸評」だけ細々と続けている。
今回2か月半ぶりに「映画寸評」を更新した。お時間がありましたら、ぜひご覧ください。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shinyoko/movie.htm
これは家族の感想。私は最近、全然映画を見に行っていない。それほど見たい映画がない。
「ゲームオブスローンズ」や「チェルノブイリ」で満足してしまっているのかもしれない。
「チェルノブイリ」はまだ3話しか見ていないが、毎回、胸が痛くなり、そして怖くなる。日本でも同じような、あるいはもっとひどいことが起きたのだ。
こういう番組は日本では作れないのかな。悲しい。

2019/10/19
10月6日港北公会堂で、立憲民主党の大野トモイさん、市民連絡会主催の「カジノを止める、あなたと止める」講演会があった。

講演はことぶき共同診療所の越智祥太医師、静岡大学の鳥畑与一教授。
越智先生の話は2回目。
鳥畑先生のお話は初めてだった。このお二人、30分ずつだった。もっと話を聞きたかった。
質疑応答ももっと時間が取れたらよかったと思う。その点8月28日の講演会は十分な質疑応答ができたので、充実していた。
でも、初めて「カジノ」の問題点を知った方も多かったらしく、「へぇ」という声が各所から聞こえた。だから、意義は会ったと思う。
先日は、大倉山駅でリコール受任者募集の街宣があった。
今日は大倉山(綱島は雨のため5分で退散)
— 広こしゆみこ(林市長リコール) (@yumiko1054) 2019年10月17日
会いたかったお友だちがお手伝いに。
会いたかったカラフルでお会いした方と再会☆
まだお会いしたことない人がたくさん集まってワイワイ出来た港北ツアーでした☆
次は19日地元戸塚西口地下で
1リコ(一人から始まるリコール運動)しまっせw pic.twitter.com/IC8izmMUG2
今日は港北区で初宣伝。あいにくの雨模様でしたが大倉山駅中心に32名の受任者獲得。フォームも今日は港北区からが多く、FAXなど合わせると49人増加。累計2435人。
— 一人から始めるリコール運動(林市長リコール) (@recall235) 2019年10月17日
受任者数 » 一人から始めるリコール運動 https://t.co/GiGF0XJd8Q
リコールのチラシをもらってきた。そして激励してきた。若い人たちの行動力とアイディアに尊敬の念を持った。
