2021/4/30

読んだ本2  本・文学

図書館に久しぶりに行った時、原武史さんの本はないかと探した。

「レッドアローとスターハウス」という著作が面白かった。私好みなのである。西武線にまつわる様々なエピソード、団地の歴史、団地に住む文化人、政治家の話、西武と東急の対比、手堅い事実の積み重ねで、その時代の空気や社会を描いていくのが興味深く、「あーそうだったのか!」「へえ、知らなかった」ばかりなのだ。

いくつかあったけど、一番読みたいと思ったのが「皇后考」。ただ、本の厚さにためらった。

だって652ページもある。厚さ4.5センチ。

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読み始めてみると、これ、皇室のゴシップまとめみたいですね。だからスイスイ読み進められた。「レッドアロー・・」と同じて、へえ、おーそうだったの、ばかりで、最後まで面白く読んだ。4日くらいで読み終わった。

もちろん、実証研究なので、公文書、新聞記事、日記、証言集、随筆等々、膨大な資料に基づいている。

第一章が神功皇后。神功皇后は私など戦後生まれにとっては「誰?」程度の存在感だが、戦前はお札の顔にもなっていたし、重要な人物。「三韓征伐」は政権のイデオロギーとしても役立ったのだろう。

神功皇后は仲哀天皇の妻、応神天皇の母。

この章で驚いたのは大日本国憲法では「万世一系の天皇が統治する」と謳っているのに、発布の時に万世一系の天皇が決まっていなかったということだ。

会議が開かれて、南北朝時代は南朝を正当とする等が決まったとのこと。そして神功皇后は古事記や日本書紀には天皇だったと記述されているのに、「天皇」から外されてしまった。それにより次の応神天皇の在位期間が100年を超えてしまったのだそうだ。

神功皇后は応神天皇の摂政ということになってるらしい。つまり政治に深くかかわっている。

皇后の一つの姿だ。

もう一つは光明皇后。聖武天皇の妻、孝謙天皇の母。光明皇后はハンセン病患者治療の伝説で知られている。こちらが皇后が医療福祉に深くかかわるルーツになる。

皇后考の最初は明治天皇の妻、美子。昭憲皇太后。子はなく、大正天皇は側室の子。

明治天皇は乃木の自刃、漱石の言葉などからカリスマ性のある人物とずっと思ってきたが、この書によると、日清日露戦争は反対だったそうだし、軍艦に乗ると酔ってしまい、あまり好きではなかったとのこと。逆に皇后は軍艦に乗ることや軍隊の演習を見ることが大好きだったそうだ。

大正天皇は様々なエピソードがある。脳の病気だったのではないかと言われていて、昭和天皇が摂政になり、公務を代行した。

最初婚約していた女性は美しかったが、健康面でどうかということで、農家に預けられて育った九条節子が皇太子妃に選ばれた。器量はともかく頑健だったことが選ばれた理由。確かに男子を4人産んだ。

大正天皇は「女好き」だったというエピソードがある。日光御用邸で静養中、天皇がお気に入りの貴族の女性を呼んだので皇后が怒って帰京してしまった話などが載っている。

ある尼寺の庵主は天皇の落し子ではないかという噂はずっとある。

このように、ゴシップまがいの話があるのでスラスラ読み進められたのだ。

この「皇后考」の中心は大正天皇の皇后節子、貞明皇后の話だ。大正天皇は1926年に47歳で逝去。それから25年間、1951年まで皇太后として過ごすことになる。

皇后は秩父宮を偏愛していた、2.26事件の時の昭和天皇の反乱軍に対する激怒はこれも関係しているかもしれない。

また、政府も、皇族(息子たち)も皇后の意向をひどく気にしている。彼女の意思が無視できなかった。1945年6月にはは停戦(敗戦)をほぼ固めていた天皇が8月まで決断できなかった陰に皇太后の影響がなかったとはいえないのではないか、とのこと。

この頃は神功皇后のことを意識していて、政治にも関わりを持とうとしたのではないか。

一方、「光明皇后」の医療福祉への貢献も、皇后(&皇族)の重要な役目として、特にハンセン病院訪問は熱心になされている。

皇后の思想的なことも「神ながらの道」とあって、詳しく論述されているが、ここは割愛。

それと、宮中行事の多さ、長さも大変な仕事だ。それでも、代理で済ませていたことも数多くある。今はどうなのだろう?

貞明皇后は日本中をよく回っていて(巡幸)、その頑健さは皇后に選ばれた理由が納得できる。

戦後は養蚕業組織の長として養蚕地域を訪れている。秩父にも来て、秩父神社に参拝している。最愛の息子は「秩父」宮だったし。

私が子どものころは秩父宮妃殿下が時々秩父にいらして、何回かそのお姿を見た。

昭和天皇の妻は良子。香淳皇后。皇后はなかなか男子に恵まれず、これは大変ご苦労なさったたのではないだろうか。
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2021/4/29

花屋や道端で見つけた  季節

花屋の店先で見つけた。無造作にバケツに突っ込んである。

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ハコネウツギだと思う。

最初、白い花がピンクになり、だんだん色が濃くなって赤色になる。

実家の庭にあったけど(1970年代)、絶えてしまった。

そういえばライラックもあったのに、これもいつのまにかなくなってしまった。1980〜90年頃は確かにあったと思う。高さがちょうど良いと母が物干し竿の片方を架けていた。

一方、ご近所の道を散歩していると、アカツメクサ、シロツメクサがわしゃわしゃ茂っていた。

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この草花が終わるとしばらく、花の咲く草がなくなる。

ところで、今日の散歩は足の調子がとても悪かった。右足のふくらはぎに力が入らない。4000歩程度しか歩かないのにとても疲れた。
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2021/4/28

6月のプレミアムコンサート  音楽

25日夜、いつもお世話になっているiltrovatoreさん「ヨナス・カウフマンとオペラの魅力」HPニュース欄
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BSプレミアム 6月13日にバイエルン州立歌劇場公演「死の都」2019 を放送します。ヨナス・カウフマン、マルリス・ペーターゼン出演。
***

思わず躍り上がってしまった。

この頃
twitterのオペラTLにはこのニュースは上がっていなかった。

翌日になって、ようやく話題になった。



侘助さんによると、

***
説明しますとこのバイエルン州立歌劇場の「死の都」は私がこれまでの人生で観たオペラの中でたぶん最高の公演なのであります。
***

6月13日絶対予約を忘れないようにしないと。そしてその日まで絶対に感染しないぞ。

このオペラはブルーレイが出ることになっていて、買うつもりでいた。NHKの放送は日本語字幕も出るから、買わなくても済むかな。

コレクションとして買っておこうかな。


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2021/4/27

3年前の今日  旅・散歩

3年前、2018年4月27日、ウィーンへ出かけた。

最初で最後の夫婦海外旅行と書いたが、本当にそうなってしまった。当時は欧米は無理にしてもアジアの国には行けるのではないかと思っていたのだ。

でも、コロナ終息に少なくともあと2年はかかる。だとすると、もう海外は無理。

国内ですら無理なような気がする。シニア旅行(車いす対応)ならいけるかなぁ。

懐かしのウイーン。
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オペラ座

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モーツァルト像

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シェーンブルン宮殿

そしてオペラ「アンドレア・シェニエ」出演&指揮者の皆様
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左からフロンターリさん、ハルテロスさん、カウフマンさん、指揮者のアルミリアトさん

幸福な夜だった。
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2021/4/26

横浜ダービー  サッカー(マリノス)

24日(土)は横浜ダービーだった。

NHKBS1で放送があったので、DAZNのようにプツプツ切れることもなかった。快適だった。

マリノスは5−0で大勝。力の差を見せつけた。

4点目の前田大然のゴールは選手が次々連動して美しかった。

また加入して間もない、レオ・セアラ、初出場、初タッチでゴール!テレビの前で、歓声を上げてしまった。

ベンチ前でセアラを祝福する選手たちの表情もとても良かった。

この試合気がかりだったのは、俊輔がFCのメンバーに入っていたら嫌だなということだった。メンバー外でほっとした。でも、メンバー外なのはそれはそれで悲しい。もう出場のチャンスはないのだろうか。

FCのメンバーを見ると、元マリノスの選手の懐かしい名前がチラホラあった。六反、田代、伊藤翔、渡辺千真とか。

元マリノスではないが、伊野波や小川、知ってたけど南もFCなのね。

試合後、FCの選手たちはブーイングを浴びていたが、試合開始早々、斎藤が脱臼で交代になってしまったのが痛かったと思う。すごいガッツあるプレーでの負傷だった。キャプテンマークも巻いていた。

FCは未だ勝利がないそうで、降格一直線。次のダービーが送別会かな。

ところで、FCとのダービーと言えば、

2007年の2回が強烈な印象だよね。

元横浜市長の中田の馬鹿ぶりが知れたのも2007年3月11日だった。(3月11日だったか)0−1の敗戦。
 ⇒ 悔しい横浜FC戦、一日明けて横浜FC戦

この時にはFCには奥がいたんだよね。

2007年8月11日。ホームのダービー。マリノスは「史上最大の送別会」と煽り語句を入れて大集客作戦を行った。結果 8-1の大勝利だった。

⇒3/11すべてにおいて圧倒FC戦

8/12ダービーあれこれ

Jリーグではないが、天皇杯でもFCとは対決している。
⇒ 2012年10月11日これが俊輔
俊輔がFK2本決めたのだ。「戦術は俊輔」だった。

この試合ではFCのサポーターが品のないビッグフラッグを掲出して、あとで処分された。中指を立てた絵柄だった。

そして昨年。(2020年は一度もサッカー観戦に行かなかった)。

7/23ホームのダービー。4−0の快勝。俊輔が横浜FCの選手として途中出場した。
FC戦。

これも俊輔のことしか書いていない。

アウェイダービー。昨年最終戦だった。3−1の負け。ほとんど印象にない。

というわけで、5回のダービー、3勝2敗。対FC戦と考えると4勝2敗だ。

今年のアウェイダービーは9月下旬のようだ。

その頃マリノスが優勝に絡んでいるといいなぁ。最終戦は川崎らしいので、ここで優勝を賭けた試合なんかになって、マリノスが優勝したら最高だ。でも川崎はこの頃既に優勝を決めていそうだなぁ。

こうやって先のことを話しているが、無事に今年過ごせるか、わからない、本当に。
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2021/4/25

全然覚えられない  生活

2016年10月からEテレ「旅するドイツ語」を見始めた。テキストも毎月買った。

2016年の「旅するドイツ語」はウィーンが舞台だった。観光案内のつもりだった。

有名観光地は網羅していたと思う。ハイリゲンシュタットやナッシュマルクト、シェーンブルン宮殿などはとても役だった。

何より参考になったのは地下鉄の乗り方だ。

2017年はベルリンが舞台だった。ベルリンは行くことはないなと思っていたので、あまり熱が入らなかった。

2018年はミュンヘンだった。ミュンヘンはヨナスさんの本拠地だから熱心に見た。

でも、生徒役の前川泰之さんは2回目の登場なので、ドイツ語が少し難しくなってた。

2019年は「黒い森」だった。生徒の佐藤めぐみさんは天真爛漫で楽しかった。現地の人々にも愛されてるのがわかった。ドイツの南西部のことが少し理解できた。

2020年はコロナで、現地ロケができない。今までの映像を使ってのスタジオ中心の講座だった。生徒のジョイさんは軽妙で、ドイツ語学習もスムーズに進んでいた。でも、やはり現地に行けないのはねぇ、残念だった。

と、毎年見続けているのに、私のドイツ語は全く上達しないのである。

前にも書いたと思うけど、上達どころか全く頭に入らない。一緒に声に出してフレーズを練習したはずなのに翌朝はきれいさっぱり忘れてる。言おうと思っても何も出てこない。

数字だってまだちゃんと言えない。12くらいまではなんとか。(オペレッタの「こうもり」で脈を数える場面、一緒に言えた)。でもそれ以上はダメ。

「旅するイタリア語講座」は田辺誠一さんが生徒だった時、イタリアを見たくて時々見てた。先生のマッテオさんがステキなのだ。先日たまたま「旅するイタリア語」を見たらマッテオ先生が出ていた。何か嬉しくて、一緒に発音練習したのに、これもまた翌朝何も思い出せなかった。ワインの名前くらい覚えておけば良かったな。

初めてドイツ語に接した時、
excuse me が
Entschuldigung エントシュルディグング
good bye が
Auf Wiedersehen アオッ ヴィーダーゼーエン

なんで、こんなに長いんだよ!と思った。こりゃダメだと思った。

でも、4年半、これは何とか覚えた。

2016年版で覚えたDas bitteはウィーンで買い物の時使えた。短いから。

また、wunderbarは最初から言えた。ウンダバーって言いやすい。意味もwonderful だから。

今回、Wo ist der Dom?はなんだかリズムが良いので覚えたかな。

今年の10月からはどうするのだろうか。相変わらず海外ロケはできないのだから、観光案内として視聴することもできない。

私はウィーン編とミュンヘン編は録画を持っているので、これを最初から見ようかな。毎日見てたら少しは頭に残るかしら。

と言っても、もう海外旅行はしないのだから虚しいことは虚しい。
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2021/4/24

読んだ本1に追記  本・文学

長々と「一度きりの大泉の話」の感想というか、連想したことを書いた。

Twitter上の感想を読むと、多くの人たちが、才能ある者同士の悲劇的な避けられない確執、作家論や作品論的に論じている。

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4/26追記:
その後、Wikipediaで竹宮恵子さんは萩尾望都さんの項を読むと、大活躍されたのが1980年代以降だった。腐女子やらBLという言葉を自然に使っていた人たちが愛読者なのだということが分かった。なので、私はこの少女漫画問題には口を挟まない方がよいのだ。竹宮さんの著作を読もうと思ったが、やめた。
***

私はそっちはあまり関心がなくて、同時代人の回想記として読んでいた。

萩尾さんが当時読んでいた本は、まさに私が読んでいた本だ。

ヘッセ、カフカ、ラディゲ、三島、太宰、宮沢賢治等々、そして映画も懐かしい作品が出てくる。

ウィーン少年合唱団の「青きドナウ」、「if もしも」、「ベニスに死す」とか。とか。

「ifもしも」「時計じかけのオレンジ」のマルコム・マクダウェルが「スキャンダル」のメディア王マードック役で出演してるのを見たら、まあ、すごいおじいさんでビックリしてしまった。

戦艦ポチョムキン、24時間の情事も当時リバイバル上映があったり身近に感じる。

吉祥寺の映画館というと「あそこかな?」と思ったり。

大泉の時代の漫画家たちは、皆ヨーロッパ趣味が強いと思う。宝塚やミュージカルの王家とのに共通するかな。

萩尾さんたちが住んでいたのが西武線沿線なので、親近感を持った。

秩父から東京に出るのは西武池袋線か、所沢乗り換えて新宿線だ。上石神井に住んでいたこともある。井荻には友人がいた。あのあたりの風景が目に浮かぶ。

違うのは1970年はまだ学生の政治の季節であり、ベトナム反戦運動も盛んだった。この本には一切そういうものはない。

(4/26追記:Wikipediaによると、竹宮さんは学生時代1年間学生運動のため漫画制作を休んだとある)


ただ、当時の少女漫画の描かれたテーマは女性の自我の解放だったり、自立だとすると、ウーマンリブ、「行動する女たちの会」等と問題意識は共通のものがあると思う。

4/25追記:P281に、BLについて、「ちょうど始まったフェミニズムの運動も重なり」と書いてありました。
「抑圧されていた少女たちが、自分の性について考え、それを色々な形で表現するほど広がっていった」

1980年代以降は分からないが1970〜73年くらいなら、本当に同時代を過ごしてきたのだなあとしみじみする。

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