2021/5/8

連休中の過ごし方1  映画

連休中はずっと家ごもりだった。

映画やオペラ、サッカーを見て過ごした。

映画は録画したものの他、今はamazon primeも見られるので、いろいろ物色した。

すると「愛の嵐」があった。

これは私が若い頃の映画、かなり話題になった。その頃の印象だと、退廃的、耽美的、ナチス残党の話なので問題作、というものだ。ポスターも性的な感じ?だから、私は暗い、怖い、不道徳と思って見ようとも思わなかった。

でも今回は見ようと思ったのだ。

何故かと言うと、主人公ダーク・ボガードが住むアパートが「カール・マルクス住宅」だということ、舞台がウィーンということからだった。

カール・マルクス住宅は2018年5月1日ハイリゲンシュタット(ベートーベンの「田園」が作曲された場所)の帰り道、バスから見えた建物に「KARL MARX HOF」という文字が見えた。

* * *
こういうことらしい。
http://www.archi-map.jp/taniyan/foreign/austria/karl_marx_hof.html
1919〜33年社会主義政権による労働者住宅。
* * *

この住宅のことは原武史「レッドアロー号とスターハウス」でも触れられている。

だから、この住宅の外観や内部をみたいと思ったのだ。

でも、途中で、この映画は私には無理、と思ってしまった。

途中までなので「カールマルクス住宅」はあまり出てこなかった。
(後半はこの住宅に主人公たちが籠城するらしいのでたくさん出てきたかもしれない)
ウィーンはオペラ座しか分からなかった。

ダーク・ボガードとシャーロット・ランプリンクはとても魅力的。 

ダーク・ボガードは「ベニスに死す」をテレビで見ただけ(しかもいつも途中で寝てしまう)。でも、生真面目に見えて狂的なものを内部に持ってる妖しい雰囲気がある。

シャーロットはクールビューティで、上品でいかにも薄幸そうだ。少女から大人の女性までなんの違和感なく演じていた。と言っても半分くらいしか見てないからなぁ。

元ナチス隊員たちもアーリア系美丈夫ばかりだ。

元ナチス隊員の一人が顔を白塗りにして腰に一枚の布だけを巻いてバレエを踊る場面は、バレエ、肉体の動きは美しいんだけど、不気味で、異常な雰囲気だった。

まぁ、映画自体ずっと異常な雰囲気なんだけど。

で、主人公2人の関係があり得ないだろう、と思って見るのが嫌になった。

だってユダヤ人収容所で、ナチス党員に、性的な慰みものにされるんだ。それも他の囚人たち注視の中で。

死の恐怖の中で、少女が残酷な性暴力を受けてる。

彼女はそういう中で生き延びたわけだけど、深いトラウマを抱えていたはずだ。

それがかっての加害者と不意の再会をして、官能の虜になっていくというのは如何になんでもあり得なくない?

男の勝手な、都合の良い妄想だろうと思えて、二人が互いを確かめ合うところでプチっと、終了してしまった。その後が素晴らしいとしても、前半だけで嫌だ。

ナチの収容所のナチス隊員男たちの悪辣さだけで吐き気がしそう。

倒錯、退廃的で、官能美があるとどんなに言われても、そんなものはいらない。

この映画で知ったのだけど、オーストリアはドイツよりも人口に対するナチス党員の割合が高かったそうだ。戦後も党員たちが生き延びていて、社会の中で素知らぬ顔で生きていた、しかも連絡を取り合っていて自分たちに不利な証言をしそうな者たちを密かに消していたとか(この映画の解説で読んだ)。

極右政党が今もオーストリアで力を持っているのはそういう背景もあるらしい。

ルキノ・ヴィスコンティはこの映画をとても高く評価していたそうだ。だから、私はヴィスコンティが合わないのだと思った。

「ベニスに死す」も、「家族の肖像」も途中で嫌になった。映画館で見た「イノセント」もなんだよー💢だった。「若者のすべて」も後味が悪かった。アラン・ドロンだけ見てた。「夏の嵐」は大仰な仕立ての割にチープと思った。「ルドーウィヒ」は途中まで面白く見たけど、最後まで行きつかなかった。

と、話がずれたけど、カールマルクス住宅もウィーンもあまり見ることができず、その上内容が私には無理だったという結論である。
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