2021/6/8

柳想鐵さん  サッカー(マリノス)

柳想鐵、ユ・サンチョルさんが亡くなった。悲しい。


このblogで「ユ・サンチョル」で検索したら、22件ヒットした。「柳」で書いている記事もあると思うので、もっと多いと思う。

大好きな選手だった。マリノスの選手がふがいない時、いつも「ユ・サンチョルがいたら」と書いていた。

ユ・サンチョルの一番最近の記事は昨年の開幕戦だ。ユ選手がマリサポの応援に感謝の言葉を伝えに来た時だ。



その動画


そして、この時がマリサポが声を出して選手のチャントを歌った最後だという。未だ、サッカーの試合で声を出すことは許されていない。

ユ・サンチョル選手というと、マリサポの多くが03年C大阪戦を思い浮かべると思う。

私にとっては
☆ 03年7月12日の京都サンガ戦だ。あの時の勝利が03年1st優勝につながったと思っている。それは故・奥選手も言っている。

私は観戦記に「それまで、詰めの甘さ、最後の踏ん張りが効かなくて勝利や優勝を逃していたマリノス。そこにユ・サンチョルが勝負強さを持ち込んだ。」と書いている。

本人も印象深い試合としてこの京都戦を上げている。

☆それと、あまりこの試合を上げる人はいないと思うけれど、04年1st優勝を決めた試合。

「素早いリスタートで決定的クロスが名良橋へ。松田も中澤も間に合わない。そこへすごい勢いで駆けつけてスライディングでボールを蹴りだしたのはサンチョルだった。あの時、点を取られていたら、試合はどっちに転んだかわからなかった。」(私のメモより)

☆03年マリノス完全優勝の試合、ユ選手は出場停止だった。その前の試合鹿島戦、小笠原選手に突っかけられ報復で胸をドン、小笠原は派手に転んだので、レッドカードをもらってしまったのだ。小笠原は狡猾な選手、そしてユさんは熱い選手だった。

そう、負けた試合なのにロッカールームで笑っている選手たちのことを「信じられない」と言っていたっけ。

他に、ユ・サンチョルの思い出というと、

☆忘れられない2000年4月29日ガンバ大阪戦

波戸、松田の退場、川口のPKストップ、三浦アツのFK、俊輔のスーパーゴール、と派手な試合、この試合4−1で勝ったのだが、2点はユ・サンチョルの得点だ。ユさんはこの試合負傷して途中交代だった。

☆2000年の1st優勝。優勝報告会。

「新横浜駅前で、優勝報告会があった。選手が一人一人挨拶、

引っ張り出されたサンチョルは照れくさそうに「ヨコハマ サイコー!」と叫んだ」

04年にはマリノスを離れた。残念だったが仕方ない。

☆2006年マリノスタウンで柳想鉄・安永聡太郎引退試合が行われた。みんなユ選手が大好き。

14年1月18日波戸選手引退試合に参加してくれた。ちょっとふっくらしていた。

私は記憶してなかったが、
☆98年の横浜国際競技場こけら落としの試合、日韓戦。「この試合で城がユ選手に歯を折られた」とのこと。でも、城はこの後決勝点を決めた。

マリノスのサポーターたちもtwitterで次々追悼の言葉を述べた。







選手たちも沢山お悔やみの言葉を述べている。その中から二人




まだまだ紹介したいtweetはあるけれど、



こんなのを読んでいると涙がこぼれてしまう。大好きだった選手。

マリノス優勝を支えた選手たち、松田直樹選手、奥大介選手、そして柳相鐵選手が亡くなった。悲しすぎるよ。

今はただ心からご冥福をお祈りいたします。
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