2021/11/12

訃報  本・文学

テレビでニュース速報が流れた。

作家の瀬戸内寂聴さんが亡くなった。99歳。来年の5月で100歳だった。100歳まで生きてほしかった。

若い頃、瀬戸内さんの本はたくさん読んだ。

66年「美は乱調にあり」から84年「青鞜」くらいまでだ。

考えてみたら子育てで中断したということかな。

その後は新聞や雑誌のエッセイやインタビューを読むくらいになってしまった。

テレビのドキュメンタリーや対談番組はかなり見た。

瀬戸内さんには影響を受けたし、とても励まされてきた。

当時(60〜80年代)瀬戸内さんの上の世代、同世代は彼女の生き方に眉を顰めていた。

73年のベストセラー「一人でも生きられる」は、私の母は憎んでいた。年頃の娘を抱えていたから「早く結婚させなければならない」は強迫観念のようになっていた。当時女性が一生働ける場所は少なかった。まして子どもを育てながら働くことはごく一部の職業だった。

だから「一人でも生きられる」と若い娘を「扇動」するが如きこの本は許せなかった。

だけど結婚だけが人生なんて、私たちには受け入れられない考えだった。だった瀬戸内さんは女性の生き方を応援してくれたのだ。

また「花芯」でポルノまがいと言われたことで、母校の大学教師は「私の目の黒い歌は彼女を校内には絶対に入れない」と息巻いていた。

しかし、73年に出家して以来、宗教者としての活動と幅広い文学活動によって、人々に深く尊敬されるようになった。

阪神大震災や東日本大震災の時は現地に赴いて、物資を届けると同時に、人々に語りかけた。心の支えとなった。

追悼文は各新聞社で様々に出された。親交のあった方々も感謝の言葉とお悔やみを述べていた。

東京新聞の特集記事はとても良かった。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/142223


記事より
安保法制
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安保法案が衆院で可決される結果は想像していたわよ。それでも反対しなきゃならないと思ったの。いくら言ってもむなしい気もするけれど、それでも反対しなければならないの。歴史の中にはっきり反対した人間がいたということが残るの。そのときは「国賊」だとか言われても、どちらが正しかったかを歴史が証明する。一生懸命、小説を書いてきて分かりました。
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原発再稼働反対
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座り込みに参加した時、私は再稼働は「あるかもしれない」と思った。でも、なぜ座り込んだかというと「反対した人がいた」ということを歴史に残しておかなきゃいけないから。そして声に出して行動に表さないといけない。たくさんの人が行動して、人々の同じ「念」の力が大きくなれば、ものは動くかもしれない」
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同じことをおっしゃっている。  

(今、思い出した。安保法制強行採決前「今が一番悪い時代だと思いますよ」と寂聴さんが発言した時、江川紹子氏が「今が一番悪い時代とは何事か。戦前を知らないのか。『横浜事件』を知らないのか(うろ覚え)」と言った。江川氏の方こそ瀬戸内寂聴さんの仕事を知らないのか💢と思った。江川さんの無知に驚いた。大逆事件の管野スガの墓参りに瀬戸内さんは行っているではないか。それ以来江川氏の言説には留保をつけている)

そして、戦争経験者として、宗教者として戦争反対、護憲、平和主義は一貫していた。
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いい戦争はない。絶対にない。聖戦とかね。平時に人を殺したら死刑になるのに、戦争でたくさん殺せば勲章をもらったりする。おかしくないですか。矛盾があるんです。戦争には。
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「青春は恋と革命よ」

瀬戸内寂聴さん、ありがとうございました。心よりご冥福をお祈りします。
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