2013/10/15

日本文化理解が困難  展覧会

いろいろ忙しくて、なかなかblogが書けないが、忘れないうちに文化的方面のことも、書いておこう。今年体験した日本文化が理解できない話。

夏に東京国立博物館に「和様の書」展を見に行ってきた。

書は苦手で、○○寺展、とか、◎◎博物館展などとあると、彫刻や工芸品、絵は熱心に見ても「書」は素通りすることが多かった。

この展覧会に行こうと思ったのは、国宝が沢山も出品されていることと書道を習っていた娘の希望があった。

国宝であり、世界記憶遺産に指定された「御堂関白記(藤原道長筆)が一番の注目だった。

国宝の四大手鑑、古今和歌集巻第二十(高野切)や(元永本)、また三蹟の書、円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書(小野道風筆)・詩懐紙(藤原佐理筆)・白氏詩巻(藤原行成筆)が展示される。竹生島経や平家納経、扇面法華経冊子など写経、本願寺本三十六人家集(順集)など。

国宝、重要文化財合わせて80件と言う豪華さだった。

入ってまず、信長、秀吉、家康、伊達政宗の書があった。小説やドラマで目にしていると段々どこか架空というか創作めいて感じられることも多いけれど、筆跡を目にすると、実在感をどっしりと感じる。字体で、堅実そう(家康)、意外に神経質そう(政宗)だと思ったり。

あと、写経を見ると、全く間違えず書くことができるのか、という素朴な疑問(笑)。すごいなぁ。

お経は「ありがたい」ものだから、また、当時は貴重な紙だから、超人的な集中力で書き切ることができたのかもしれない。昔の人たちは偉かった。

平安の三蹟の一人、小野道風というと思い出すのは「蛙」。

昔、小学生向けの学習雑誌に「偉人伝」のような付録があった。その中で道風の逸話。蛙が柳に飛び移ろうと何度も挑戦して、ついに飛び移った姿に己を反省したという話。

(花札の人物でもあるそうですね、今、調べて知った)

三蹟を見ていて要するに、日本の書は藤原行成が完成したということなのね、と理解した。

情けないのは、つまり今日の表題につながるわけだが、これらが全く読めない!ということ。

「書」が苦手なのは、何が書いてあるのかわからない、ことが原因だ。日本文化を理解しなくてはならないのに、「かな」が読めない、漢字の羅列も意味がわからない。

日本文化のもう一つ。

能楽の舞台を今年2回見た。といっても素人の発表会。地謡、囃子方などでプロが支える。模範演技(?)もある

若い頃、能を見た時はストーリーや特異性(何故いつも亡霊が?)とか、笛太鼓の音やリズムとか、能楽完成までの歴史、とか、に関心があった。

今見て思うのは、能楽師の鍛錬ぶり。鍛え抜かれた声、と身体能力だ。

若い頃は自分でも、身体は動くと思っていたので、あんなにゆっくりした舞にそれほど感銘を受けなかった。が、今は思うように身体が動かない。

すると、あの不自然な姿勢で、なおかつ静かでありながら、メリハリある美しい動きには、どれだけの筋力、体幹の強さを必要とするのだろうか、と思ってしまう。

ピアニストにしても、最近は筋力、腱力などに感心してしまうので、芸術もアスリートと同じような観方をしているのかもしれない。

で、そのように能楽を鑑賞していて、情けないのは、「謡」で何を言っているのかわからない!

出だしこそ「祇園精舎の鐘の声」とかわかるけど、途中からはまったく聴き取れない。だから眠くなる。

つまり、日本文化体験をして、字が読めない、何を言っているか聴き取れない、という全く情けない状態に自分があるのだ。

こんなで、日本文化を愛するとか、誇りに思うとか、言えるんでしょうか?
また、今後、読めるようになったり、聞き取れるようになったりするとは到底思えないから深刻だ。

ふぅ、情けない。
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