2014/11/10

奈良4 転害門、戒壇院  旅・散歩

転害門は宿の近くだったので、行ってみた。

転害門とは、東大寺HPより
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1180年(治承4年)の平重衡の兵火、1567年(永禄10年)の松永久秀の兵火にも焼け残った貴重な建物で、天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構(国宝)。
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今はしっかり柵ができて立ち入り禁止にもなり、守られているが、夫が若かりし頃、ここに来た時には、子どもたちが門の下や石垣の上にのって普通に遊んでいたという。当時はぼろい門と思ったそうだ。

でも、堂々たる門だ。

(猫が門の柱で爪を研ぐので、野良猫に餌をやらないように、との注意書きがあった)。

手害門からは近い戒壇堂も行った。

東大寺はいつも人であふれているが、ここはいつも静かだ。この日も人は少なくて、仏様たちを2周して拝んだ。国宝・塑像四天王像(天平時代)

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戒壇院の堂内中央に多宝塔が安置され、四天王はそれを守護するような形で、壇の四隅に配されている。東南には持国天、西南には増長天、北西には広目天、北東には多聞天である。
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広目天の人を射すくめるような眼差しにはいつも身が引き締まる思いがする。ゆっくり拝見すると、当時の彩色が残っている個所もわかり、華やかな有様を想像できた。

四天王に踏みつぶされている邪鬼たちも一体一体、形態と表情が違う。多聞天に潰されているのが一番辛そうだった。悲鳴が聞こえそうだ。

戒壇院から大仏殿方面へ
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この角度から大仏殿を見ることは少ないので、新鮮だった。大きなカメラを持った人たちが、この風景を何枚も写真に収めていた。

修理を終えた宇治平等院にも足を延ばした。すごい人出で鎌倉の小町通りのようだった。
阿弥陀堂見学は2時間半待ちだった。なので阿弥陀堂は外から拝んだ。
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きれいになったけど、ちょっと作り物めいて風情がなくなったなぁ。仕方ないことだけど。

もう少し客足が落ち着いてから、行けばよかった。

今回の奈良は正倉院展と修学旅行で、人が多かったが、ちょっと脇へ入るといつもの落ち着いた奈良だった。

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