2019/12/2

栗原勇蔵の引退  サッカー(マリノス)

もうそろそろなのかな、と思っていはいたが、いざ発表されるとやはり残念だ。

マリノスのDF栗原勇蔵選手が今季限りで引退する。

最終節の後、引退セレモニーがあるという。

勝って優勝して、彼を送り出そう。

勇蔵と言うといろんな思い出がある。

先ずは
2003年U20日本代表対オーストラリア代表戦@国立競技場
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終了間際、「栗原がオーストラリアの選手ともめた。1人で5、6人を相手にしていた。「松田の後継者!」と後ろの若者が言う。
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http://www5f.biglobe.ne.jp/~shinyoko/football/031112u20.htm

次いで
2004年夏のレッジーナとの親善試合。俊輔レッジーナ移籍2年目だ。
レッジーナの選手が乱暴で、勇蔵は鼻の骨を折って流血した。全治一か月
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shinyoko/football/040808rejina.htm

栗原も若かったなぁ。

2006年オシム監督になって最初の試合、日本代表対トリニダード・トバゴ戦で代表に初選出された。その時の弾幕が「流血番長 栗原勇蔵」だった。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shinyoko/football/060809trini.htm

だいぶ飛んで、2012年のJリーグアウォーズ
マリノスからは4人優秀選手に選ばれた。中澤、俊輔、小野、そして勇蔵

この帰り道、横浜アリーナの通用門で選手たちの出待ちをしていた女性たちがいた。

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そのうち、女性二人が「ゆうぞうく〜ん」と叫んだ。アリーナの出口を見ると栗原選手がいて、その女性たちの方へ近づいてくる。「手紙書きました」と言っていたので、それを受け取りに来たのだ。

いやぁ、顔、小さいね。で、意外に親切。女性たち大喜びだった。
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この時、栗原選手はにこにこしながらやって来て、手紙を受け取った後、「せっかく手紙を書いてくれたのに、そこにいたんじゃ木の陰になって顔が見えないよ」と言った。強面だけど優しいのだなと思った。

https://blue.ap.teacup.com/applet/daizufengtien/20121205/archive

あと、これですね。
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2014年1月1日天皇杯優勝の時。

こんな近くに来てくれた。子ども達には握手したが、私が手を出すと軽くスル―されてしまった

この優勝は本当に嬉しかったな。
https://blue.ap.teacup.com/applet/daizufengtien/20140102/archive

また探せば沢山、勇蔵選手の記事はあると思うけれど、キリがない。

2003,04年の優勝を知る選手がマリノスにはもういなくなってしまったのかな。

松田、奥といった悲劇の選手、マリノスと何らかの行き違いのあったり戦力外になった選手たちと違って、マリノスユースからずっとマリノス一筋でマリノスで選手生活を終えられるのはとても幸福なことだと思う。

栗原勇蔵選手、まだ早いけれど、今まで、どうもありがとう!

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