2021/4/8

読んだ本(2)  本・文学

読んだ本その2

私は椎名誠の愛読者で「さらば国分寺書店のオババ」「哀愁の街に霧が降るのだ」の頃から読んでいる。

いつだったか、椎名誠が本屋で「40歳からの山歩き」という本を見つけて、「ウカウカしていると40歳になってしまう」と書いていたのを覚えている。その時私は30歳前後だったと思うが、それからしばらくして私も本屋で「40歳になったら云々」の本を見て、椎名誠の感慨を思い出したのだった。

その椎名さんも40歳どころか、もう後期高齢者だ。

読んだ本は「遺言未満」。

身辺整理や墓のことが書いてある。

北海道にある別荘は処分したそうだ。墓は持たず、散骨することにしたとか。

この本は「死」にまつわるものだから、「骨仏」や「鳥葬」のことが書いてある。椎名さんは「死体」「トイレ」「害虫」とかも観察して書く。

そう言うのは苦手なので、かなり飛ばした。

私たちも椎名さんの何年か後を行くわけだから(何事もなければ)、こういうことを考えておこうと思った。

同じく椎名さんの「歩いて行くとぶつかるんだ」。2018年の本。これは題名通り、気楽なエッセイ。

会社員時代のエピソードは抱腹絶倒。今はこんな呑気な会社はないだろうなぁ。

そして数々の過酷な旅の思い出。世界中を歩いている。

で、つくづく「頑健」というのは羨ましい。

以上の2冊は図書館の本で手元にないので、出版社名は書かない。調べらばわかるのだけど。

ECD「他人の始まり 因果の終わり」(河出書房新社)

ECDさんはミュージシャン。日本のラップの草分けだ。私はラップやヒップホップの違いもわからないし、この世界のことは何も知らない。

彼のことは安保法制反対、国会前抗議で知った。反原連の官邸前抗議でもお見かけしたかもしれない。

2015年安保法制が強化採決され、自衛隊が南スーダンに派遣された2016年、ECDさんは進行ガン、余命を宣告された。そして2018年1月に亡くなられた。57歳だった。

その彼の最後の著作。何故この本を読もうかと思ったのか、それはたまたま目にした彼の文章がとても良かったからだ。人々への優しい眼差しを感じた。

この本の帯に「癌発覚と闘病の中て向き合った家族と自身の生きた軌跡。音楽で、ストリートで、身を賭して闘ってきたラッパー・ECDの生の総決算」とある。これに付け加えることはない。

淡々とした、平明な文章で、明晰に自分と家族のことを綴っている。

弟の死も家族間の葛藤も淡々とした(と見える)筆致で書いているのだ。

私のような平凡な人生とは違う。その生き方や家族についての記述は驚かされる。私の想像の外だ。

高校中退、演劇、音楽活動をして、組織に属することはなかった。子どもができるまで健康保険にも入らず年金も払っていない。

まさに「『個』として生まれ、『個』として生き、『個』として死ぬ」生き方だった。

残されたご家族、特にお子様が健やかに成長されますように。
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2021/4/6

読んだ本(1)  本・文学

ずっと、読んだ本について書こうと思っていたのになかなかまとまらなくて書けずにいた。

メモ的に書く。
小山修「あの日、ジュバは戦場だった」(文藝春秋刊)
自衛隊南スーダンPKO隊員の手記だ。

2016年7月8日ジュバで激しい戦闘が起きた。日本ではフリー記者布施祐仁さんがその期間の自衛隊の日報の開示請求をした。防衛省は隠蔽した。これは「日報隠蔽」として大問題になった。

日本政府は「戦闘ではなく衝突」とごまかした。

この手記によれば明らかな戦闘であり、自衛隊基地も被弾した。難民も押し寄せた。自衛隊員に死傷者が出たかもしれない危機的状況だった。こういう事実は「マス」メディアではほとんど触れられない。

違憲である集団的自衛権の強行採決後、友人たちに「自衛隊がまず派遣されるのは『南スーダン』」と言うと「まさか、そんなことはない」という反応だった。中国の南シナ海問題と思っていたのだ。

自衛隊員は平和維持活動(土木建設等)を誠実に遂行していた。自衛隊員達の真面目な取り組み、奮闘には敬意を表する。

しかし、国=アベ政権はアホなのである。日本の安保法制では自衛隊員達は守られない。こういう紛争地で活動するにはあまりにも法が不備なのである。私は法を整備すべきとは思わない。自衛隊を紛争地に出すべきではない。そもそも集団的自衛権の安保法制は違憲である。そこに戻らなけばならない。

戦闘が起きたことを隠蔽し続けた稲田防衛相、自衛隊幹部は結局辞任した。

そして突然自衛隊に撤退命令が出る。交代要員が到着したばかりの時である。何もかも行き当たりばったり。

アメリカの意向と、日本国憲法を踏み躙りたいアベの私的怨念(左翼への逆張り)から集団的自衛権安保法制を無理矢理通した。自衛隊員の生命を危うくした。

2015年の安保法制反対、市民の必死の運動が結局はスーダン撤退につながり、自衛隊員の生命を救ったと思う。

加藤陽子「それでも日本人は『戦争』を選んだ」(朝日新聞社)。
学術会議会員の任命を菅政権に拒否された7名のうちのお一人である加藤陽子教授の著作である。

これは栄光学園高校で行った講義をまとめたもの。だから読みやすい。

最初の感想は私の日清戦争から太平洋戦争へ至る日本の歴史についての理解が1970年代から全然パージョンアップしていなかったということだ。知らないことが沢山あった。

読むそばから、「なるほど」と思ったことも忘れてしまうので、詳しく書けないのだが、例えば松岡洋右や胡適等自分が知っていた姿とは違う一面を知らされた。ケインズやウィルソン米大統領もそうだ。

あと経済問題や軍事、財政は知らないことが多かった、といってもほとんど忘れてしまったけれど。

時々読み返さないとダメだなぁ。

今季芥川賞の宇佐美りん「推し、燃ゆ」を文藝春秋を買って読んだ。読了後、「この主人公はこの先どうやって生きて行くのだろう」と心配になった。つまりそれくらいリアルにこの少女を描いたということなのだろう。母親や姉、バイト先の人たちもよく観察して書いてる。この筆力をこの年齢で持っているのは才能だと思う。

こ 今後どんな小説を書いていくのか、楽しみだ。
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2021/1/27

100分de名著の感想(2)  本・文学

「100de名著 萩尾望都」その(2)
ヤマザキマリさんが取り上げたのは「半神」と「イグアナの娘」だった。

私は「半神」は読んだことがない。今回の番組で初めて知った。

怖い話だと思った。

これ、野田秀樹によって舞台化されているんですね。高い評価を受けているようだが、あの原作をどうやって舞台化したのだろう。(何も知らなくてすみません)。

人間の二面性を描いたとも、自分は何者なのか(姉なのか妹なのか)を問うたとも取れて、つまり人間の本質に迫る作品とのこと。

萩尾さんは「愛される者」と「愛されない者」を痛切に描く。何故だろう。それがこの番組の中でだんだん明らかになったと思う。

次に取り上げられたのが「イグアナの娘」。この漫画には泣かされた。
(以下ネタバレありです)

テレビドラマ化されたから知ってる方も多いだろう。カズレーサーさんは最初「コメディ漫画と思った」

精神科医の斉藤環氏は「母娘問題を提起した先駆け」と評した。

萩尾さんは母親とコミュニケーションが成り立たない、何故こんなに言葉が通じないのだろう、と葛藤した挙句、「そうだ違う生き物なんだ」と思い至ったそうだ。

イグアナに生まれた娘は母から疎まれる、妹は人間に生まれたので母に愛される。

(ここでも愛される者と愛されない者)

イグアナの娘は成長して結婚して子どもも産まれた。子どもは人間の子だった。

そんな時母が亡くなった。悲しみも何も感じずに葬儀に出席した彼女は亡くなった母の顔を見て驚愕するのだ。

この場面に私は泣きました。

この作品の、母親とのディスコミュニケーション、母からの抑圧。身につまされた。

団塊の世代の娘達は、戦前の、女性の進学も能力を伸ばすことも許されなかった母親達の望みを背負わされた。自分の分身として娘達を自分の思うように育てようとした。自分の価値観を押し付けた。

多分学歴のある女性たちはこの葛藤に巻き込まれたのではないか。 

自分が受けられなかった大学教育を受けさせたい、娘の高学歴は自分の勲章。

また、70年代、女性の職業は限られていた。母親達の次の勲章は娘の結婚だ。周りから羨まれる相手と結婚させることだ。全部自分の都合。でもそれは「あなたのため」「あなたの幸せのため」。

娘が自分の意思を持つことは許さなかった。これは戦前の家父長的価値観(親の支配)に染まっていたこともある。

この辺りのことは田嶋陽子さんが母親との深刻な対立として語っている。

萩尾さん自身は親の期待に応えられない子どもだった。落ちこぼれでダメな子だった(本人談)。漫画家となることはもちん反対された。漫画家として評価されるようになっても親からは認められなかった。(現在はもちろん認めている)

母親は自分とは違う生き物なんだと考えたところから生み出された作品。しかし単純ではない。

なぜなら自分とは母はおなじ生き物だったという展開だから。このあたりは複雑だな。

この母の姿を知った場面からの主人公の述懐、「お母さんはせっかくイグアナの世界から逃れて人間として生きていたのに、生まれたのがイグアナではお母さんは私を愛することはできなかったでしょう」。

主人公は自分が愛されない理由を知って、母の桎梏から逃れることができた。最終場面の主人公のシルエットはイグアナでなく人間の姿、幸福そうな家庭人の姿だ。一方同じ画面の水の中には小さなイグアナの姿がある。

萩尾さんは「あれはお母さんですね」。母はイグアナのまま。なんて辛辣なのだろうか!

母の姿を知った場面、私は違う風に受け取ってしまった。

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2021/1/23

100分de名著の感想(1)  本・文学

「100分de名著 萩尾望都」を見た。録画して、2回くらい見た。

出席者は小谷真理(評論家)、ヤマザキマリ(漫画家)、中条省平(フランス文学者)、夢枕獏(小説家)、進行;カズレーサー、安部みちこアナウンサー

取り上げた作品
小谷氏:「トーマの心臓」、ヤマザキ氏「半神」・「イグアナの娘」、中条氏「バラバラ異界」、夢枕氏「ポーの一族」。

私が萩尾望都を知ったのは多分1971か1972年。まだ学生だった頃。

文学専攻の友人が「萩尾望都は水野英子の域に近づいてきた」と教えてくれたのだ。それまで私は集英社系の漫画雑誌しか読まず、水野英子「ファイヤー」ベルばら以前の池田理代子などを読んでいた。

萩尾望都や竹宮惠子は「少女ブック」だった。その時最初に読んだ作品は忘れたけど、「11月のギムナジウム」は印象に残った。

(ちなみに萩尾望都を紹介してくれた友人は(ルッキズムと言われそうだけど)美しい人で、前衛演劇にも関わっていた。友人でいることが嬉しくなるような人だった。今はどうしてらっしゃるかしら)

そして「トーマの心臓」。これには驚きましたね‼

番組の中でも「キリスト教神学」と指摘されていた。

この時期の少女漫画を最初に評価してくれたのは橋本治だ、と私は思っている。確か「ぱど」という雑誌だった。嬉しかった。
(このあたり、いつものように記憶で書いてるので誤りだったらごめんなさい」

そして「トーマの心臓」を漫画を遥かに超えた、文学、哲学、キリスト教神学にまで達していると評価した。

(以下、私の単なる感想で、ネタバレありです)

心を閉ざしたユーリ、「僕の翼をあげる」と自殺したトーマ。その死の意味を知った時ユーリは神学校へ行くことを決める。

番組で小谷さんは、ユーリは上級生から「魂の殺人」行為をされたと言う。私は当時この場面を遠藤周作「沈黙」のように、拷問の末「踏み絵」を踏むような神を冒涜する言葉や行為を強要されたと理解していた。

しかし小谷真理さんは、これは明らかに「性暴力」を受けた、と語った。

そうなのかー。当時、私は男性から男性への性暴力があるということを全く知らなかった。

だとしたら、その傷はとてつもなく深くユーリの心を苛み続けたろう。

自殺という大罪を犯してまでユーリを救おうとしたトーマの愛(番組ではアガペーと)。

ユーリはトーマの愛を受け入れてトーマと共に生きるために神学校に行くことを決めた、と番組では結んでいた。

私は当時、「『神を冒涜・否定した自分でも、神は許してくださる』と悟ったユーリが、『神とともにあろう』した」と「沈黙」の主人公の重ね合わせて理解した。トーマと共に生きる、とは考えなかった。

ところで、この漫画について、ヤマザキマリさんが「読んだ時『少年になりたい!』と思った」と言った。小谷さんも賛同。

萩尾望都さんが自身が少年を主人公にしたら「なんて自由なんだろう!」と驚いた、と。「少女の場合にはお転婆でも、乱暴な言葉でも必ず注釈を入れなくてはならなかった、でも少年はそのままでいいんです」

ヤマザキさんも小谷さんも「自由」と言った。少年を描くことは自由を手に入れることだった。

ヤマザキさん:「実際のギムナジウム」なんて言ったら、臭いし汚いし鼻毛も伸びてる、この萩尾さん世界はSFでありファンタジーだ、とも。

ファンタジーの世界で、女性漫画家たちは14歳の少年を描き、自由な表現を手に入れた、そして読者は自分の手にない「自由」を少女漫画で知ったのかもしれない。

と、これもまたジェンダー論だなと思った。
(続く)
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2020/10/20

読書  本・文学

老眼のせいか、手仕事ばかりやっているせいか、スマホばかり見ているせいか、とにかく読書量が激減している。

そんなわずかな読書量なんだけど、最近読んだ本3冊について書きます。

昨日、薄い本だったので村上春樹「猫を捨てに」を読んだ。

春樹は「海辺のカフカ」以来だ。もう長編小説を読むのは無理なのだ。

それと春樹は「ノルウェイの森」や「ダンスダンスダンス」で、「何だよー💢」と怒ったことがあり、あまり好きでないのね。

でも短編小説は、うまいなぁ、文章がいいなぁと思うことがあって短編なら読もうという気になる。

この本は挿絵が沢山あって、児童文学のような体裁だが、内容は全然違う。

村上春樹の父親の話だ。

やはり戦争に関わる話は強烈だ。私たちの父親はこういう地獄を見てきたのだと改めて思った。筆致は冷静、淡々と調べた事実や思い出を記述していく。

文学者の文章には酔うというか、かき立てるイメージや感情が芳潤でうっとりするようなことがあるものだが、そういう感傷は全く入らない。簡潔明瞭な文章で、でも余韻は残る。

2冊目。
今年の夏、ふと朝吹真理子「きことわ」を読んでなかったな、と思い、図書館で借りて読んだ。

これはまさに文章とイメージに酔う作品ですね。大好きと思った。葉山が舞台なのもイメージしやすかった。

その他の作品も読みたいと思った。

3冊目。
ブレイデイみかこ「ワイルドサイドをほっつき歩け ー ハマータウンのおっさんたち」を読んだ。

ブレイデイさんの著書を読むのは「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」「女たちのテロル」に続いて3作目。

確かにおっさんの話ばかり。

ブレイデイさん周囲のベビーブーマー世代は「NHS」(国民健康保険サービス)への思い入れが強いんだな。

彼らの中でEU離脱すればNHSにもっとお金が回るという話を信じ離脱派になり、結果イギリスはEU離脱。しかし結局お金はNHSには回らず期待は裏切られたという話がある。知らなかった。

もちろん彼らはサッチャー主義は大嫌い。

イギリス労働者階級だから移民への反感が強いのかと思えば、理不尽な差別には怒り彼らを守ろうとする。人としての公平さがある。

それと面白かったのが、最近おっさんたちもビールよりスパークリングワインを飲むようになっている話。健康志向のようだ。

ブレイディさんな話はいつも面白いし、多角的な見方を教えてくれると思う。
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2019/12/16

「私たちは何も知らない」  本・文学

二兎社の新作「私たちは何も知らない」を東京芸術劇場シアターウェストに観に行ってきた。

(12/31、少し書き足しました)

二兎社の作品は毎回見ている。

今回は青踏社に集まった女性群像、平塚雷鳥、伊藤野枝、尾竹紅吉、保持研、岩野清、山田わか、そして奥村博史。
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平塚に朝倉ゆき、伊藤に藤野涼子、尾竹に夏子、保持に富山えり子、岩野に大西礼芳、山田に江枝元萌、奥村に須藤蓮。

始まる前は古い洋楽がかかっている。ヨナスさんのドイツオペレッタの中入っている曲も流れた。いかにも戦前風だ。そして、芝居が始まると「元始女性は太陽であった」がラップで歌われる。

舞台は斜めの壁があるだけのシンプルなもの。斜めの壁の向こうは階段になっていて、出演者が登場したり退場したりする。壁の前に机や椅子が並べられ、様々な場面に変わる。

女優たちの衣装は現代のものだ。

雷鳥役の朝倉ゆきさんは声がよく通り凛とした佇まい。細身だがしなやかだ。周囲をひきつけてやまない声と言葉。

朝倉さんは「書く女」にも出演されていたという。ということは、樋口一葉の妹役だろうか。着物の着こなしがきりっとしていて下駄を履いても身のこなしが美しかった。

なお高畑勲「かぐや姫の物語」のかぐや姫の声を演じたそうだ。美しい声だもの。

青踏のことは若い時から沢山本を読んできた。研究書、小説、映画も。だから私にはとても親しいものだ。

批評の中には「事実関係の羅列ばかりで人が描けてない」というのもあった。私はそうは思わなかった。

この中で語られる雷鳥の煤煙事件、長沼千恵子の表紙、与謝野晶子の文章、吉原登楼・五色の酒、同性愛、発禁処分、若いツバメ、堕胎論争、貞操論争、母性論争、売買春問題、辻潤、大杉栄、注釈なしでわかる。

だからそういう歴史的事実羅列の中で生き生きと活動する女性たちの姿がちゃんと見える。

女が自らの意見を主張することへの風当たり、封建・家父長制への異議申し立て、仕事(編集出版、著述)、友情、恋愛、出産、彼女らの問題提起と苦闘は今につながるものだ。

青踏社で奮闘していた女性たちも戦争においては協力を余儀なくされる。ここは辛い。国威発揚に取り込まれてしまうのは戦争協力と女性の地位向上とどうしてもつながってしまうからだろう。もちろん「国家民族の危機」と思うのは当時としては当然だったのかもしれない。

しかしなぁ、先頭に立って旗を振らなくてもいいと思う。(←そうせざるを得なかったのかなぁ。それはもっと調べてみる)

表だって反対できなくても非協力だった女性たちはいる。私はそういう立場でいたいと思うし、せめて国家に取り込まれないように自戒していきたいと思う。

「青踏社」の人々は敗戦後は「平和」運動、女性の権利運動へと動くことになる。

私の若い時代には平塚雷鳥さんをはじめ、まだみな活躍しておられた。

話は逸れるが、
もりまゆみさんの「青踏社の冒険」では平塚たち裕福な階級出身の無神経さが批判されている。
辻井喬「終わりなき祝祭」(富本憲吉と尾竹紅吉の話)は読んだが戦争中紅吉が一切戦争協力をせず、警察に追われる人をかくまったことは知らなかった。

瀬戸内寂聴の「美は乱調にあり」ほか世間に背いた女性たちの小説、大杉と伊藤との間の子どもの人生を描いた松下竜一「ルイズ 父にもらいし名は」も読んだ。

話を戻すと、

この劇では青踏社の実務を担当していた保持研さんが重要な役だ。ともすると思想、文学、社会運動的な面から「青踏」をとらえられがち、というかほとんどそうだけれど、編集出版販売という実務があっての「青踏」だということがよくわかった。

この役を演じた富山えり子さんがとても演技が闊達で魅力的だった。

俳優さん達がとても熱い。若い2人、紅吉の夏子さん、野枝の藤野涼子さんはやや台詞回しが重かった。夏子さんはそれでも奔放な紅吉を生き生き演じていたし、藤野さんは重さが逆に田舎臭さと頑固さを表現することになって効果的でもあった。

それと、当時は産制制限の知識もないから、女性たちは妊娠してばかり(というのは言い過ぎ)、野枝もそうだし、与謝野晶子もそう。それと家父長制においては男性の放埓ぶりが許され過ぎて本当に嫌になる(演劇でも描かれる)。

岩野、山田を演じたお二人はとても安定していて、達者な演技だった。

須藤さんは「若いツバメ」の頼りなさがよく出ていた。奥村は当時の男性としては権威主義でなく柔軟で誠実だとも思った。

岩野さんが平塚雷鳥に言う「街頭に出なさい」は永井愛さんの言葉だと思った。

この劇を若い人たちに見てほしいなぁと思う。#Me too の機運が高まっている今、100年前の女性たちが何を見ていたか、何と闘っていたか、それとその自由な精神をしっかり見てほしいと思う。

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2019/11/29

「チェコへの旅」  本・文学

先日、小森陽一、金平茂紀、辛淑玉「加藤周一、米原万里と行くチェコの旅」という本を読んだ。

もう図書館に返してしまったので、その時tweetしたものを載せておく。



tweetが上手く貼れないので、言葉だけをコピー&ペーストする。
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「60年安保以来大きな組織は解体されたが、持続的にやろうとした人たちの小さな組織はたくさん残った」「一人ひとりの自立した個人の運動が大事」とか。68年チェコ「プラハの街頭に相対していたのは、圧倒的で無力な戦車と、無力で圧倒的な言葉であった」とか。

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「プラハの街」というのは1968年夏、「プラハの春」を押し潰すためにソ連軍などが戦車でプラハに侵攻した時のこと

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韓国の人達の言葉「軟弱だと思われていた日本の人たちが2015年に国会を取り囲み、野党共闘を実現したことに学んで、2016年にパククネ大統領を辞任に追い込むことができた」。キャンドル革命はすごいと思っていたけれど、あの時国会前にいたことも、こうして繋がっているのだな

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そして加藤周一さん達が立ち上げた「9条の会」は最初から高齢者運動が基本方針だったとか。だから街宣右翼が「ジジイとババアばかりじゃねえか」と集会の周りで罵っても「そうだよ、それが何か?」ってことなんだね。

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小森陽一さんは同じ時期チェコにいた。この本を読むと、米原さんの知識量・読書量の半端なさにただただ驚く。

金平さんはモスクワの特派員に派遣される前に米原さんにロシア語を習ったという。飢え死にしない程度のロシア語を学んだそうだ。

そして、あのロシアクーデーターの時、戦車の上に立つエリツィンなどをモスクワから報道し続けたそうだ。歴史の目撃者だ。米原万里さんは東京から駆け付けて同時通訳をし続けたという。

加藤周一さんの文章や言葉、もうこういう言葉を綴れる文化人はいないのかもしれない。

そして米原万里さん、本当にもったいなかった。私と同年齢。もっともっと生きていてほしかった。プーチンにされるがままの日本ではなかったろうと思う。

でも、こうして彼らの言葉や業績を語ってくれる人々がいる。これを後の世に残していかなくてはならないと思う。

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