今回は、わかる人にしかわからない様に書く。
わからないやつは、わからなくていい!
でなく、知らない人まで巻き込んで、でかくする事ではないからだ。
誤解ないように、でかくする事が悪いわけでもなく、皆さん、でかくしようとしてる訳でもないのは重々承知です。
かくゆう、私も
ただ、話し合いをしたり、どうすればいいのか?を議論するのは、大切な事なんで、とりあげはする。
ってスタンスですかね?
・・・。
ね?わからないでしょ?(笑)
いいのだ。
最近よくある問題が提議され、その問題の一端に、私の知り合いがいらっしゃいました。
そちらでは、リーダーシップをとられている方々です。
しかし、ついこの間、親としての子供達への愛情などが入り交じり、いけない事をしてしまった。
と、ある方は、謝罪文を日記に掲載した。
その方は、実は違う身内の方の話で、連絡があったのだが、以前自分もそうしてしまった・・・。
と告白されたのです。
けじめとして。かな。
けじめのつけ方は人により。
とある方は、とある方の日記コメントにて、謝罪とした。
とある方は、問題にされた日記を削除して、終わりとした。
とある方は、それについて、まったく触れずに終わりとした。
色んな感じ方があると思いますし、表現の方法も人それぞれ。
否定も肯定もできる立場でもありません。
ただ、人として親として、正々堂々と矢面に立って謝罪された方は、私の友達です。
それまでは、ただの知り合いだったような気がします。
だからではないんですが、批判も受けることが、謝罪であると受け止めてはいるんでしょうが、謝罪文を掲載した日記へのコメントが、少々気になるんです。
(泣)
反省してんだから、許してやれよ!
てな、お気楽なお願いとかではないです。
悪い事を自ら謝罪し、真摯に受け止めて改善しようと告白してる方には、もう少し理解を示しませんか?
って事です。
どんな気持ちで謝罪文だしたのかを考えて、コメントを拝見していると、自らが撒いた種とはいえ、苦しいです。
世の中には、悪い事をして、反省しなかったり、逃げたり、とぼけたり、謝罪しなかったりする人ばかりです。
今回の事に対しても、ほとんどの人が、それですよね。
その人達の全ての責任を謝罪文を掲載した方が背負う感じになるのはどうかと?しかも、そうなっているのを、その人達が見てどう感じてるんですかね?
悪い事は悪いんですから、それをどうしたら、なくなるか?
どうしてなくならないんだろ?
など、みなさんの経験や考察から討論する事は大切ですし、もちろん私も否定派な過激派(笑)として、やってます。
ただ、そこを感じて謝罪してる人に、そこまで追い込む事はどうでしょう?
と感じるんです。
ですんで、こんな場所でよかったら、
どうすればなくなるのか?どうすべきか?
などのご意見を伺えませんか?
人を責めるために、意見交換してきた訳ではないわけですから、継続して、よくする方法として、親父デュエリストは、どうあるべきか?
みたいな方向性でいきたいと思います。
ちなみに、mixiでも謝罪されましたが、そちらは、やはり常識ある大人ばかりなんで、責めるコメントでなく、これからの改善のコメントでしたね。
表ブログは、やはり大変だ。
しかし、今回の件の話な方ではないんですよ。
すごく、真面目な方ですから、過去を振り返っての謝罪だったのでしょうね。
そんな貴方は友人です。
これからも、よろしくお願いします。

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