2005/10/31

思い出・・・新聞配達&東京  大志のキモチ

雪が舞いはじめる時期いつも思い出す。

私が高校3年の時・・・。

既に薬科大学進学を断念していて、自分は薬屋を継ぐために必要な薬種商でもいいんだ。要は苫前町に帰郷したいんだ。幸せなことに自分家は自営で店があるからな・・・。

何校かの専門学校の学校案内を取り寄せた。大阪、東京、札幌と・・・。
はなから札幌に行くつもりはなかった。
滝川からちょくちょく行っていただけの理由。

どうせ、行くなら東京に行ってみたい!大阪でもいいな!

よくよく考えたら、今までは下宿代を親から出してもらっていたけど、東京・大阪じゃそんなわけに行かないよなで再度、断念しかかっていた。
もうこれ以上、親には絶対負担をかけたくなかったのである。

そんな時、そんな私の心境を知っている進路指導の先生からある一冊の資料をもらった。
「読売新聞 新聞配達奨学生 募集!!」「学費は全額店が負担!」(みたいな・・記憶がちょっと・・。)
要は、新聞販売所に住み込みで配達業務等をすれば学費は店がもってやるよということ。しかも、住み込みだから家賃がかからない。

「これだ〜〜!!よし!東京行きだ!」
ということで、決意を固め日本医歯薬専門学校の入校を目差したところ。

新聞奨学生!なんともありがたいもんだった!
実際、私は中野区のとある販売所に勤務が決定。
即日、あしたから3時まで(夜中の)に販売所に来てねと従業員の方から言われ「はい!」・・・(あれ??パンフレットには4時半の起床ってかいてなかったけ?まー最初だから当然だ。仕事覚えなきゃないしな)
3時出勤、唖然とした。
なんだこの部数!!(300部を余裕で超える数)とそのはず、自転車の前カゴから天井までとどくタケノコが2本・・・、実は新聞。田舎もんまるだしで販売所の笑いを取る・・・。笑い事ではないって!配れるかなぁ・・・。

細かいことはいいとして、結局は3日で配れるようになったんだけど、大きいタケノコ作るには1カ月くらいかかった。順路を覚えるのも一苦労。

時は過ぎても、午前3時出勤は変わらず、7時まで朝刊を配達。9時までに学校へ行き、3時半に大急ぎで戻り夕刊を配達。それぞれみんなが戻った順に次の日のチラシの折込作業。7時頃終了し、ある時は飯食わずに集金業務。9時半にあがり、風呂に入り新宿・渋谷方面へ。終電か友達の車で2時とかに帰宅。1時間ほどの仮眠でまた、配達へみたいな馬鹿なことやってました。

タフさを身に付けたのもこの時か・・・。

学費を差っ引いてもらえるお金が集金を頑張ると実に10万円を越す。当然、家賃は無い。なんとも仕事のしがいがあるという感じでだった。
お金のありがたみを身に染みて感じた。

そして、なにより新聞配達をすることで東京の人情に触れられたことが何よりの経験。田舎ではない地域の近所のつきあいや活動。すばらしい経験をさせてもらった。

なんだか、全然、関係の無い話しとなってしまいましたが今の私がある、社会人としての礎を築いてくれた経験、新聞配達そして東京。(学校の勉強も・・・)

この時期また思い出してしまいます。

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