2005/4/12

修羅  町の話題

今日から、かねてより新聞報道等で報道されておりました、修羅(大型の木そり)の展示が苫前町公民館ではじまります。(その前はとままえ温泉ふわっとにて展示)
この修羅(木そり)は先人が大木や大石を運ぶ道具として使用していたそうです。全道的に見ても極めて珍しい冬期の雪上運搬具として注目を集めてます。実際これを見ると先人の苦労がつたわってきそうなオーラが発せられています。この極寒の地で私たち子孫の繁栄を願い、海に、山に、川に感謝を忘れずあくせく血のにじむような開拓精神とその生きるための知恵や力強さを私たちに訴えかけているような一品です。一見の価値ありと思います。詳しくは町のホームページお知らせで社会教育課が報告していますので、是非ごらんください。
昨今の苫前町を取り巻く、あらゆる状況に対処すべく情報を集めたりしていますが、なにか空虚さを感じることが多いです。ましてや、この先人の使った道具(修羅)である一つにすら、私は現状と逆にうらやましさすら感じます。
国では地方財政計画の見なおしの議論がはじまったようですし、北海道では道州制のからみの中様々な動きがあるようです。当町においても、先日の私の一般質問でも述べたように、重要なことが(行財政計画やまちづくり条例その他多数)今年、進められることになります。
なんだろう?あたかも他人事のように?いやいや、議員のお前がそもそも、もっと活動的に町民と意見交えないといけなんじゃないの!そうだろうなあ・・。俺も勝手なことばっかり言っちゃってとおもうことが多いですが、いずれにせよ、意識バラバラ。こんなんでいいんだろうか?
「それは、人の価値観だから」とか「個人々の意見だから」とかではなしがおわっていまうことが結構あって、人はなんで生かされているかということを考えなおそう。そんな価値観の違いや意見の違いがあって不思議でもないし当たり前でしょう。ただ、そこを尊重しあうことでキモチの接点ができれば少しずつ時代は形成されてくるんじゃないのかな?ただ、古惚けた一つの道具の修羅にあっても、沢山の先人の知恵や雪山から大木を運ぶためにどうしたらよいのかみんなで考えたんだろうなと思うと、前段の話じゃないけど、うらやましく思う。向かうべき目的にとれだけの人がかかわったのだろう。今の国、北海道、町はどれだけの人がどれだけ人のためにやっているのだろう。手前の立場でいうのはいささかおかしいかもしれないが、どれだけの人のこと思っているだろう(当然、私も含めて)人は人によって生かされているということを決して忘れてはいけないのだ。それは、生きていようが死んでいようが同じことで先人たちが拓いてくれたこの大地北海道にわたしは住んでいる。これから、いろんなお祭りがあります。移住記念祭や木霊慰霊祭など、先人の苦労を偲びつつ、今度は私たちが永世子孫のために残さねばならない精神(キモチ)を伝承しなくては。その上ではじめて町をどうしていくか、何が必要か、現状を冷静に判断し的確に答えを導き出すことが今、自分にもとめられていることなのかもいれないです。

取り留めの無い話になりましたが、修羅を題材にしました。
修羅はこんな感じのものです。↓
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