2005/6/23

田舎に住んで思うキモチ  大志のキモチ

いつも、時間があるとき『苫前町史』を読んでいます。
先日も、子供を連れて苫前郷土資料館にいきました。
私たちは結局、そういった文献や残された資料・物から先人の思いを知るしかないのかな・・・。と思ったりします。

実際、資料館で子供に「これは、何?」の連発でたじろう場面もあったり。
それなりに、使い方まで説明できなくても、何に使った道具とかは辛うじてわかる。しかし、その道具を使うことでどうなるか、どんな思いがあったのかは、実は、今、想像したりするしかない。

現代は、当時のように不屈の開拓精神の元、生活観溢れる、生活のための、幸せを掴むための道具があったときから、遥かに想像を絶する進歩が遂げられているのだとつくづく思います。そして、便利さゆえにどこか、伝えなくてはいけないものが影を潜めはじめ、道具を使う、幸せを思うというキモチの行方が変わってきました。捨てることで伸びてきた経済(当然、一言では言えませんが)と反比例するかのごとく縮んだ、物への感謝・・・。

そんな社会の結果が、今、様々な形で問題・課題が勃発しています。
子供を取り巻く環境、犯罪、環境破壊、ゴミ、政治不信、コミュニティの崩壊・・などきりがない。
根本を突き詰めていくと、だれが悪いかれが悪いとか思えるかな??
私は、そうではないと思います。こうして思うと真摯にみんなが作り上げた社会への認識をしっかりもとう!
その中で問題を根本から提起して解決しなくてはいよいよ

人が生きること、
人が生活することに、
人として生きることに、
行き詰まりが生じる。
今以上に人として生きることに、
課題が山積みになってしまう。
ここまで日本を支えて生きた先人に、
敬意を表し、現状の認識をしっかり持ち、
今、変わっていく時代の中で、その時代を創りあげなくては。

田舎に住む、若者として、先人たちの思いを知ること・自然と共存すること・田舎ならでは助け合い(これからの田舎は色んなリスクを背負うことの覚悟で)・不便利なこと・田舎くささを感じ、実践できる。田舎くささを恥じることなくむしろ、自信をもち、真の生活を貫きたい。確かに、便利さや金や自己利益は全く無いことは時代の中でありえないけど、根本的なキモチ・心は純粋にありたいと願います。そうすることが、都市と田舎の共存に繋がると思って止みません。

都市と田舎との情報・理解を互いに持ち合い、楽さ・金・権力の引っ張り合いなどは、このまま度が過ぎるともっと大変な事態が訪れるでしょう。国の議会ももっと根本的な部分を見せていただきたいし、議論してほしいと思う。このままでは・・・・。

昨日は、とある町内の居酒屋ではこんな小さな町で15,6人の若者が各々の思いのなか、酒を交わし語り合っていました。それぞれの話の内容はわかりませんが、キモチを抱き日々の生活をおくっています。希望に満ちた、夢を抱けるような社会をつくることを考えていきたいと思わされました。

自分は中学を卒業して、滝川市、東京と生活をしてきて、どこの町にいっても同じ人がいて、風土があり、そこを好きになりました。
人は人を知ろうとして知ることができて、
理解しようとして理解できる。
都市から田舎から発信できることを伝わるように伝え、
切磋琢磨し、笑い、泣き、悲しみ、憂い
人として生きる喜びや幸せを分かち合い
理想論・奇麗事論者といわれながらも貫く姿勢をもつ。


そんな田舎者に私はなりたい。


長々、読んでいただきありがとうございます!


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