2008/5/22

窮地。  大志のキモチ

再興の道を探るには、かなりの時間と相応のエネルギーが必要になる。

色んなことが、これも必要、あれも必要、この必要のために下準備、勉強がと・・・いくら時間があっても足りない。でも、そこに足を突っ込んだ以上やるしかない。
だけど、気づいてみればなんだか中途半端・・・。

だから、
ダイシはなにをやりたいのかわからない。
何を言っているのかわからない。

そんなことになってしまう。

これまでも、将来、現在の状況においては確かに必要な議論や行動という信は変わらない。原点に立ち返り、やっぱり必要なものは、教育、医療(保健)、防災(災時の対応)は形は多様にあると思うが、そこをみんなが理解して、動ける体制が本当の姿。
これは、公共たる確立が無いと、最近の費用対効果での見解が注視される中においてはゴッチャゴッチャになりがちである。
しかし、利益を生みその利益で生活を支えるたり、企業経営していく民間とは違い、それでできないところを相互理解され、あるべき公共の中で行うことがどんなことなのか今一度気づかなくてはいけない。

これまでも、根っこはそこにある。
それぞれ、必要だと思ってとってきた、勉強してきた、準備してきた行動もそこにたどり着く。
掻い摘んでどうだということを話せる技量を身につけなくてはいけない。

何言ってるかわかりにくい・・・ですよね。

要は自分たちの町で、本当は自分たちで出来ることは何なのか、やってもらわなくてはいけないことは何なのか。その中で必要なものは何かということ。
実はここが、合併議論の根幹の部分であったり(財政が逼迫しているから合併ではない、地方が疲弊していくから流れで合併でもない)したはず。
そこの議論の契機を活かすことができず、現在に至るのだから、進まざるべき道は狭まってきていることは間違いない。
支庁再編も必要なものは道民としてどうなのか。支庁は何やっているかわかないと思えば、わからないところは集約されるべくして集約される。経済も考えなくてはいけないことは承知だが、その議論は本質ではないと思うし、そうであればやはり、自分たちで道政に関心を持ったり、道民たるすべきこと、担ってもらうことを明らかにしていくことが重要だったはず・・・。

いろんなことが後手に回っていることを考えても、長い視野の中で、準備できることを準備すべきで、そのための現在(今)どんな行動をすべきなのかしっかりと見極めたい。人のせいにしてしまうことほど哀れなことはない。

医療しかり、教育しかり、特例町村しかり、食糧危機しかり、そして地球環境の悪化しかり、持続していける町を作るべくノアの箱舟を準備しなくてはいけない。
そのリスクはこれから、田舎は強く覚悟し認識していかなくてはいけない。その覚悟の証は、田舎で思う存分自然を感じ、人を感じ住んでいくことなのだと思う・・・のだけど。

結局支離滅裂_ _;
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