2008/5/8

なんてことでもないのだけど。  大志のキモチ

GWも終わり、各団体の総会シーズンに入ったり、年度も始まり、事業なども展開してくる時期になった。

国政の動きなどで、どたばたしている分野もあるが、時は刻まれていく。

様々な問題や課題などから国政をはじめ、道政、町政に関心が高まるということは、素直に喜べないところもありながらも、やはり真っ当なことなのかと思う。

動かなくてはいけないところは、単に、政治だけではなく、むしろ足元にあるような気がしてならない。

心を取り戻すとしたなら、失われた分の時間、いやそれ以上のものが必要かもしれない。自分の意見が優れていて、その通りに行かなくては間違いでという思いは・・・この国の進みの数十年で良くも悪くも培った産物なのか。そのことがこれからも持続可能なことなのか。

気が付かなくてはいけない。

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2008/4/28

地域医療の姿。  大志のキモチ

先々週、先週末と札幌などで地域医療に関して勉強、情報を得ようと行動していました。

苫前町は今、厚生病院における医療体系の変更などでこの2年間右往左往してきた状態です。
それよりも前に、近隣(隣町の羽幌町)の道立羽幌病院の医師引き揚げなどから地域医療を考える時間が十分あったように思います。

この度の厚生病院の関係から、私自身はより一層その考えを深くしていたわけですが、実は自分のとってきていた行動を今考えるとなんとお粗末な動きだったのかなとも考えさせられました。(あくまでも私一個人のことです)

結論から・・・。
結局は地域医療を守ろうとするならば、守るのは住民、議員(議会)、町含めた全体がこのまちに必要な医療を考えたとき、どこまで状況を知り、そのための行動ができるのかというところでした。
これまでは、単に医師の派遣や確保を働きかけるということに注力してきました。そのこと自体は住民のみなさんにとっては望ましい行動だったのかもしれませんが、医療側はどうだったのか・・・。この間、医療現場の過酷さや無謀な要望などもわかっていたようで、真にわかっていなかったのかもしれない。むしろこのこと自体が自分たちで自分の首を絞めていたのかもしれないと今更ながら思い起こしたりしています。(政治が変わっても変えられないことがある)

いつも、お互いを尊重しあいながら、相互理解の中で信頼関係を築くことなどと言ってはきたものの、この理念に基づいた行動だったのかと考えます。
だって、やっぱり結局は人任せにしていた行動だったのかもしれないのかな・・・本当に困って必要なら、何故健康のこと、保健活動や、医療側との積極的な情報、意見交換などしてこなかったのだろうと。議会で保健活動の重要さや医療を施す側のことを考えていかなければと言っても、それはやっぱり裏付けられた行動があってのことではなく、頭で知ったかのような発言。何とも悔やまれる・・・。

今、厚生病院が無床の診療所になったことで、むしろ、より私の役割がはっきりするのだと思いました。
それは、いかに住民のみなさんが自分の健康のことを考え、自分の体を守るか。診療所はそうした住民の健康を「守る」ではなく、健康になるためにお手伝いいただくというところなのかな。やたらと一方の決め付けた医療のあり方ではなく、相互が理解しあえる地域を作っていかなくてはいけないと思いました。とかく、財政(お金)のことばかり先行しがちだけど、それはやっぱり当初と変わらず間違っているんじゃないのかと思います。
住民のみなさんが健康でこの町で過ごせるために町や町民はこういう行動を心がけ、こんな町にしましょうと進むことを考えるのがやっぱり先だと思います。その上で、必要な検診活動や、保健活動は何か、介護施策は何か、どんな施設が必要なのか、そこを見出したとき初めてかかる費用はこれだけと出るんじゃないのかな・・・。このみなさんの生活のために、一般会計からもこれだけの支出をしています。(施設建設に係る償還やその他補助なども含めて)そこが、住民のみなさんも納得ができて、町が進もうとする方向に皆さんで協力し合いながら受診や行動をするということだと僕は思います。

医療を守る(?!)とするのなら、住民のみなさん(私も含めて)自らが厚生病院と共に地域の医療(健康)を作るという意識を持つことが非常に大事だと思います。(厚生病院は公的病院という位置づけです)
入院ベットはなくなってしまった形となりましたが、別に介護はどうあるべきなのかということも考えなくてはいけません。
何かしら、病院をサポートしながら、自ら考えていけるような集まり(組織)を作りたいとも思っています。そうした橋渡しになることが本当はもっと前からすべき私に課せられた責任ではなかったのかと、わかってたようでわかっていなかった、今更かもしれませんが今からでもやらなくてはこの町に生活することは、後に相当なリスクを覚悟しなくて住めなくなると先の行く末が見えたようで、本当に苦しさを覚えます。

この数週間、色んな方々(医師の先生はじめ、各界の方々)のお話、懇談を通して改めて勉強させていただきました。
(これまでの記事で医者の方と思われる方もコメントくださっていましたが、改めて自分の不甲斐なさを身に染みて感じています。何かせねばという思いでの行動でしたが、申し訳なく思います)

真に取り返しがつかなくなる前に、病院をサポートし、共に健康のことを考えこの地で生活していけるように「お任せ、頼り放題」から脱却し、この町の再興にみんなでがんばっていきませんか!!

まず、取り掛かりの座談会の開催に向けて調整していきたいと思います。
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2008/4/23

KY使いすぎだ!  大志のキモチ

最近、テレビもそうだがいろんな人の会話の中で『KY』がかなり乱発されていることに違和感を感じる。

昨日も、光市の母子殺害事件のコメントをするジャーナリストすら『KY』を使ったり国会議員もそうだが何なんだろう・・・。

空気読めないって、発祥は詳しくわからないけど(若い高校生とかだったか)、空気読めないやつは○○だとか、何とも蔑んだ言葉に聞こえるのは僕だけだろうか・・・。
そもそも、空気読めないって言ってもその空気がまともなのかという話もあるし、ある種、排他的な使われ方がされているようで怖い。

子供たちも、テレビやお兄ちゃんお姉ちゃん、そして大人が使うから、まねして使っている。
『お前KYだな』
・・・言われた本人はどう思うだろう。
どう感じるだろうか。

自分は自分の思うことも考えたことも、30歳過ぎてちょっと前より考えて発言できるようになったとは思う。でも、その流れによってはずい分と、いわゆるKYなこと言ったりやったりしているんだよね。(KYと言われたわけではないけど自己分析として)
相手を尊重し、相手を導いたりしようと思うなら『KYだ』なんてことは言わないよな。『今こういう展開で、それは言う場面じゃないけど、あなたの言っていることも一つの意見。みんなで考えれるように、場を設けよう』とか、みんなで考えるという場面でなかたっら『ここは俺に任せてくれないか、それで納得できなかったらいつでも言ってくれ』とか、もっと相手を思う言葉を使えないものかな・・・。
意見を発しあり、行動したり、周りと合わないことが経過の中やその時にあって何が変なのかな・・・。なんでもKYだとかで罵られたんじゃ、言われて滅入る人は少なくないと思うし、感情的にもなるだろうし、強いもの強い集団に巻かれざるを得なくなるような・・・考え過ぎか!?
言葉の使い方間違ってるんじゃないの・・・。
改めなくてはいけないことは、率直に相手に伝えることが先だよな。根っこが深くなる前に考えたいなと思う。そんな感じがする。

普通の何気ない、冗談の会話では、それはそれで遊び言葉でいいのかもしれないけど、大事な場面や、公の場面とか、民に影響与える方々がメディアなどで発言するときとか、あまり芳しいとは思えない。

言われた相手のことをもっと考えて欲しいと、ちょっと昨日テレビを見ながら、一人憤ってしまっていました。賛否はあるんでしょうけどね。

スミマセン、変な記事になっちゃいました。(苦笑)
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2008/4/18

プラス  大志のキモチ

現在、商工会青年部の副部長として帰郷後から、参画しみんなで色んな事業を行ってきました。

昨年度末でとうとう部員は6人という極めて小所帯になってしまい、事業の推進にも暗雲がたちこめるような状態になってきています。

しかし、今年度今のところ2人の新たな新入部員を迎え入れるようになりそうです。
今夜の青年部の例会で承認されれば、来週の総会時には部員が増えそうだといううれしい出来事です!!

お見合いツアーや、苫前町の良さを町内外で体験するホーストレッキングを軸とした事業や、町内の企業が奮って子供たちにアピールして子供たちに仕事への夢を持ってもらおうとした事業など、全ては人が絡みます。

人がこの地に生活して成り立つ私たち商工業者。
支えるべきものは人との絆であり、共に尊重しあい、共に問題を解決していくこと。(そこが一番難しいのでしょうが・・・)

何度も言われますが、私は決して町理事者に敵対して発言や提言をしているわけではなく、この住民のみなさんとの絆や視点の中からの解決すべき提言や提起であるし、議員としてのあるべき、議会における権能を考えての言動だと肝に銘じています。
二元代表制の地方において、それぞれの役割を認識すべきだと思っています。

話がちょっと脱線しました。

若い私たちが、これからの町を思うとき、可能な限り結束し、時に激論、時にわきあいあい語らい、楽しむときはおーーーいに楽しむ。
仲間が増えることにはかなりうれしいことです。
マイナス、マイナスばかりの話が多いですが、商工会青年部はプラスの話。

久しぶりにプラスの話はやっぱりいいもんだ。
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2008/4/8

別れと旅立ち、紙一重。グっさんありがとう。  大志のキモチ

いつ書こうか、いや書くまい、でもなぁ実感沸かないし・・・。

って思っていて、大事な友人でもあり、ある意味パートナーでもあって、良き理解者でもあり、先輩でもあり、遊びの仲間でもあって、この苫前町の地域に大きな貢献をしてくれた大切な方が3月いっぱいで転勤していった話・・・。

町の事、こと面倒くさいと思われる話も、メッチャ親身に話を聞いてくれた。また、議論してくれた、意見を言ってくれたそんな人は中々いないもんだ・・・と常々思っていた。

この春、栄転していった商工会の職員の堀口さん。
商工会の職員もその職務の分掌の中で、経営指導員、補助員や記帳専任などと職務があり、経営指導員になるには試験を突破し、商工会会員と経営について様々な相談をはじめその名のとおり指導や助言などを行っていくもので、この春、晴れて経営指導員1年生として転勤と同時にスタートしました。堀口さんのことを思うと元気に、感謝と期待、そして晴れやかに見送ってあげたいと思ったところ。

いなくなって1週間が過ぎ、自己中心な自分はやっぱり寂しさを感じ始めた。

この数年は、たくさんのこれからこの町をともに背負い、生きていこうと思う中で、あまりに別れが多い。
これほど辛いことはない。
お前がそこに歯止めをかけるのが仕事だろとも言われる。
わかっていてこの様かい。
まったくもって、情けない限りだ。

でも、堀口さんはそれを察してか、別れの日が近づくにつれ、僕にハッパをかけてるようにも感じたし、勝手に奥底に思う、苫前町への惜しむ声が何となく自分には伝わっていたように思う。だから、これまでの別れとは違う、プラスのことなんだと自分にも言い聞かせてきた。

堀口さんは、商工会の職員として8年間この苫前町に在住し、公的な職にありながら消防団員を務めたり、町の神社際のお神輿、地域の活動にもかなり積極的に参加してくれていた。
まちのことで言っても、まちづくり基本条例の制定のときも、自ら公募で参加したり、勉強したり、一緒に条例制定にあたり講演やセミナーなども一緒に参加したこともあった。町の財政を勉強するために、付き合ってやるかというところもあったかもしれないが、土曜講座などにも一緒に受講したりして、この町の人材としても欠かせない存在だったことは、僕が言うまでもなく、見ている人はしっかりと見ていた。

こと、遊びとなると、堀口さんはアウトドアでは、僕は生意気な口を利くことはできない。色んな町を見て、色んな体験したり、達人だった。(笑)
サーフィンは僕の方がちょっとうまいと思う。お互いかなりの低レベルでの話。

それは、ともかく苫前町を、そして苫前町の人をこれほど思ってくれた仲間がいなくなることは、本当に痛い。
痛手は本当に続くなぁ・・・。

ポッカリと胸に穴が開いたような感じだ。
何か悩んだり、話したかったりしたときは、2人の先輩と、そして堀口さんと聞いてくれて、ヒントをくれたと思う。
いや、僕にはまだまだ頼らせてくれる先輩たちや後輩たちがいるんだと最近思い返すようになった。

この1年で本当に孤独感を感じることが多くなったが、ある意味これが自分に与えられている使命なのだと思うようにしている。

自分でこのまちの再興にあたって、人に頼ってばかりいることはこれから先、良い道には向きにくいと思っていると感じていながら、自分はどうかって自問自答を繰り返しながらいると、やっぱりまだまだ小僧だなって思う。

頼る人は少なくなっていくけど、圧し掛かる期待やこなさなければならない量は半端ではないところに、いよいよ根性入れなおさなくてはいけない時期が来たのだと思う。

いつまでもウダウダしてられん。
・・・本当紙一重のキモチだな。

堀口さん、今頃必死に真摯に頑張っているのかな。
頑張っているんだろうな。
3兄弟の次男の兄貴も新たなスタート切るし、ウダウダしてんな・・・俺。

堀口さんと最後引越し先を後にするとき、溢れる涙をこらえきれなくなって、あっけなく僕は車を出してしまった。
最後に、有責を抱き感謝の念を伝え、意気揚々とお互いの成長を確認するように引きたかった。
これが、今の自分の姿で、情けない自分の姿でもあるのだろう。

でも、人はやっぱり一人では生きてはいけないのだと痛感したというのも事実。
だとすれば、支えあいながら生きていくとするならば、やっぱり今のこの町の状態も、北海道も国もどこかずれていると思わざるを得なくなる。

再興にはよほど、想像を超える時が必要だ。
あせるまい。今、自分にできることを見極めよう。
ですよね。グっさん。

この町を去らなくてはいけなくなった人たちも僕の心の中では同じ町民で、この地の澄んだ空気を一緒に吸った仲間。

今、堀口さんがいなくなって思っているキモチ。
大きなこと教えられました。
新天地での活躍を遠くより祈ってます。

この町のため、この町の人、この町の商工業者のため、そして僕にくださったご親切お付き合いに『ありがとうございました』。

やっぱり支離滅裂・・・。
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