2005/5/29

予防原則ということ  公害・薬害・環境・医療問題

今、狂牛病のことが問題になっているけれども、公害、薬害というものが繰り返されてきた歴史を振り返って思うことは、予防原則というものを確立しなければならないということである。
予防原則というのは、もしかしたらこれは危険性があるのではと疑われる場合に、いったんストップさせるようにするということである。特に新しい、これまでになかった病気が出てきた場合に、こうした予防原則は必要なものと思われる。
たとえばアメリカが提示している牛肉の安全基準はもしかしたら正しいものなのかもしれない。その基準では被害が出るというのは杞憂に過ぎないのかもしれない。
しかし、もし安全でなかった場合、被害者が出てからでは遅いのである。
これが学問上の論争だったのなら、新しい説が出てきてもその説に信憑性があるかどうかを議論してからその理論を認めるか否かを決めるということでもいいのかもしれないが、公害、薬害、新しい病気などはそんな悠長なことを言ってたら被害が広がってしまうのだ。そのように直接的に人体に被害を及ぼすケースでは予防のために対策をとることを優先させるべきなのではないだろうか。
危険性を危惧する説もあるので、用心を重ねていったんストップしてみるという予防対策をとっていたならば、水俣病、カネミ油症、薬害エイズなど、数々の公害、薬害の被害をかなり小規模で抑えられたかもしれない。
そもそも新しく出てきた病気というものは従来の学説にはなかったものなのであるから、その病気がいかなるものであるかの定説が出来るまで時間がかかるのは当然であり、定説になっていないから危険性を指摘する説は無視するというのでは、公害、薬害を予防することは出来ない。
何度も公害、薬害を繰り返してきた歴史の教訓をなぜ生かそうとしないのだろうか。
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