2011/11/22

TPPと日本の農家、遺伝子組み換え食品について思うこと  時事問題

TPP、具体的に、どのようなメリット、デメリットがあるのか?
結局、それが国民もみんな、よく分かっていないから、いまいち反対運動が盛り上がらない。

農業の問題については、僕は以前に以下のように書いた。

「農産物の輸入自由化を進めてしまったため、日本の農村は壊滅状態になってしまった。農業に関しては、海外と自由競争することはそもそも無理な話なのである。何故かというと、国土の広さの違いがあり、つまり、たとえばアメリカの大農業家が所有している農地と日本の農家の農地は面積の規模が根本的に違うのだ。アメリカの大農業家と自由競争したら日本の細々と経営しているような農家はかなうわけがなく、皆、潰れていくしかないわけである。そこがたとえば自動車のような産業とは違うのだ。自動車は日本のメーカーの技術力によって、世界でも信頼を得て、産業として世界の企業と競争して勝つことが出来る。しかし、農業の場合は所有している農地の規模が根本的に違うので、自動車のような形にはいかないのである。だから、農業に関しては、愛国的な保護政策をしなければ、とてもじゃないが、太刀打ちできるわけがないのである。
 だが、自民党は農産物の輸入自由化を解禁してしまったので、とにかく小規模な農家はもうどうしようもないので切り捨てていくしかない、大規模な農家のみを奨励して、大規模な農家をより大きくしていき、海外の農家にも対抗できるような力を持つようにしていこう・・という方向にいったのだろう。こうして多くの農家が切り捨てられていき、自民党のかつての強固な選挙基盤であった農村部の支持層が崩れていってしまったわけである。 」

これにダメ押しするものが、今、野田政権が進めようとするTPPであると言える。だから、TPPでは日本の農家は潰れてしまうから、反対であるわけだけれども、そう言うと、しかし、どっちみち、日本の小規模な農家は復興することは難しいのではないか、TPPをたとえやらなかったとしても小規模な農家ではやっていけなくなるのではないか、ならば日本の農業が復興する道はアメリカやカナダに負けないぐらいの大規模農家になっていくしかないではないか、つまりTPPでも潰れないぐらいの力を持つ農家に日本の農家もなっていかなければいけないというのか、なっていけばいい、いくしかないではないかという反論があるのではないか。これはこれで一面では成立する理屈であるようには思う。

しかし、何かがこの論には抜けている。いろいろなことが複雑に絡んでいるので、簡単には物事は白黒がつけられるものではないと思うのだけど、具体的にいろいろな角度から考えてみる必要があるように思う。
たとえば、主にモンサント社が進める遺伝子組み換え技術の問題は大きな観点のひとつだろう。現在、アメリカが進めようとしていることの背景には、遺伝子組み換え食品を広めたいという思惑が確実にある。現実には遺伝子組み換え食品はかなり日本の食卓にすでに入っているし、確実に、僕らはすでに食べているはずであるが(念のために書いておくと、「遺伝子組み換え食品ではありません」という表示があったとしても、そうではない可能性が高いというだけのことで、100パーセント、そうではないという意味ではない。そもそも100パーセント、そうではないということをたしかめる検査の技術は確立されていない。)、TPPでさらに遺伝子組み換え食品の輸入品が多く入ってくるようになることは間違いない。また、国内でも海外の農家に対抗できるような農家になることをめざすということは、すなわち、日本国内でも遺伝子組み換え農産物を生産するようにもなっていくのではないか。つまり、これは、農家が潰れる、潰れないという問題をこえて、食べ物の問題であるのだから、消費者、誰もにも関わってくる問題なのだ。大手メディアは、こうしたTPPの問題に絡めて、遺伝子組み換え食品の問題を見ていくことはほとんどしていないが、本当はこうしたことこそが具体的に消費者に直結したことなのであり、こうしたことを議論していく必要があるのではないか。
先に書いたように、日本では遺伝子組み換え食品について表示があったとしても不完全なものであるが、不完全ながらも表示があるわけだが、現在、アメリカやカナダでは表示の義務は法的には一切、なく、ほとんど表示がないことのほうが一般的である。なので、TPPで、アメリカやカナダが表示をなくすことを日本に求めるのはある意味では当然のことだと言える。自国の中で、全く表示の義務がなく、表示をしていないのに、日本に輸出する食品にだけ表示をすることを企業に求めるというのがそもそもアメリカやカナダの政府には出来ないだろう。これは、アメリカが日本を我がものにしようとしていて、だから表示を無くそうとしているということとはちょっと違うことである。アメリカの政府は自国の国民に表示をする必要はない(なぜなら遺伝子組み換え食品は安全なものなのだから)と説明しているのであるから、自国の国民に対してしていることと同じことを日本の国民に対しても求めているのに過ぎないとは言える。

では、遺伝子組み換え食品はそもそも本当に安全なのか?
それこそが問題であるわけだが、これが科学者、研究者の間でも議論が分かれるものなのであるが、遺伝子組み換え食品が果たして人間にとって安全なものなのかどうか、実は科学者、研究者も含めて誰にも分かっていないというのが本当のところなのではないかと思う。放射能の問題と通じるかもしれないが、専門の科学者、研究者だったら事実が分かっているのだろうとか、たとえばやたらと安全と言う学者は本当は危険だと知っていて隠ぺいして言っているのだ、危険性を言う学者のほうが誠実で信じられるとか、そういう風に考える向きもあるかもしれないが、そういうことではなく、どんな科学者、研究者でも、あるいは医者でも、結局、よく分からないのではないかという気が僕はしてしまう。なぜなら、誰もが遺伝子組み換え食品を食するようになったら果たして人類にどのような影響があるのか、それは人類が経験したことがない未知のことであり、誰も人体で研究などしていないからである。だから、絶対、安全であると断言することにも根拠はないが、しかし、こんなに危険と危険性を言うことも、その指摘がどこまで正しいかは現状では分からないのだと言える。
特に、人体にどのような影響を与えるのか、漠然と遺伝子組み換え食品と言うと危険なのではと不安になってしまうが、生理学的には遺伝子組み換え食品を食したとしてもそれを消化するメカニズムを人体は持っているのではないかと説明されると、それを否定する医学的根拠があるのだろうかとは思う。
だが、仮に、人体に直接的な影響を与えなかったとしても、遺伝子組み換えの広がりによって生態系が壊され、なんらかの変化が起こることは充分に科学的に危惧されることなのではないだろうか。そもそも遺伝子組み換え技術によって、特定の植物や動物が大量に発生すれば、それだけでも生態系に変化をもたらすものであることは確実で、それでも全く生態系になんの影響を与えないという理屈は無理がある。そして、生態系に変化が起これば、それはやがて人類にも影響が及ぶのではないか。つまり、仮に、人体に直接的な影響を与えないというのが本当だったとしても、長い目では人類に大きな影響を与えることは間違いないのではないか。
僕は以前に、日本でも2008年頃から各地で発生しているミツバチの大量死について、遺伝子組み換え技術の影響ではないかと書いたが、これはちょっと間違いだったようで、ミツバチの大量死はネオニコチノイド系の農薬の影響である可能性が極めて高いようであるが(政府は認めないけど、日本各地の養蜂家が、近くでネオニコチノイド系の農薬の散布が行なわれてからミツバチが大量死したと証言されているのだから、因果関係があると考えるほうが妥当なのではないか。中には、ある養蜂家の人はネオニコチノイド系の農薬を散布されるとミツバチが大量死してしまうと必死で反対していたが、止められずに散布が行なわれてしまい、予期していた通りにミツバチが大量死してしまった・・というのだから、ネオニコチノイド系の農薬のためだと疑わないでいることのほうが無理である。)、遺伝子組み換え技術が生態系に影響を与えることがないと断言できる人は誰もいないのではないか。

そもそもそんな分からないものなら、もしかしたら危険かもしれないものなら、最初からやらなければいいではないかと思う人もいるだろうし、それはもっともなのであるが、しかし、結局のところ、それでもしてしまうのが人間というものなのかもしれない。それは、そうした科学技術によって大儲けをしようとか、自分の利益のことばかりを考えてそういうことを推進しようとする悪い人が世の中には存在するものだということもあるが、そういうこと以前に、とにかく、そうした科学技術を手にしたらそれを使ってみたくなるのが人間というものなのだという、人間とは何かという本質的な問題があるのではないだろうか。つまり、遺伝子組み換えとか、クローンとか、神ならぬ人間がそんなことをしてしまってもいいのだろうかと直感的に畏怖の念を抱くようなことなのだが、畏怖の念を抱きながらも、いや、畏怖するからこそより一層、それをしたくなる・・というのがどうも人間というものの本質としてあるように思うのである。これをやったらヤバいかもしれない、でもヤバいからこそ、やってみたい・・そういう好奇心がどうしようもなく人間にはあるということである。結局、人間が、人類が打ち勝てないでいるのは、こうした好奇心というものなのかもしれない。核だろうと、遺伝子組み換えだろうと、クローンだろうと、そういう技術を手にしてしまったら、どうしてもそれをためしてみたくなる、もしかしたら、その結果、人類が破滅するかもしれないが、それほどヤバいものだからこそあえてやってみたいという欲求・・ある意味ではこれこそが人間性というものではあるのだ。そして、我々が克服できないでいることはまさにこうした人間性というものなのかもしれない。

話がまたちょっと脱線してきたかもしれないが、TPPによって日本の農業はどうなるのかという話に戻すと、だから、日本の農家もTPPでも潰れないぐらいの力を持つ農家になっていけばいいではないかということを言う人がいるのだけど、たしかにそのことで生き延びる日本の農家が具体的にあるかもしれないが、本質的に問題を解決することではないように思うのである。
日本の農家がTPPでも潰れないぐらいの力を持つ農家になるということが、たとえば、先に書いたように、日本国内でも遺伝子組み換え農産物を生産するようになるということであるならば、問題の本質的な解決にはならないというのか、むしろ、問題をより広げていると言えるのではないだろうか。
あるいは、アメリカやカナダの農家が日本の農家を潰して占有しようとしている、それに対抗するため、日本の農家は東南アジアや中国に進出していこうと言う人もいるが、アメリカやカナダの農家が日本の農家にしていることを、今度は日本の農家が東南アジアや中国の農家に行なおうというのでは問題の本質的な解決とは言えないのではないか。
では、現実に事態がどんどん進行している中、これ以外にどのような道があるというのだろうか。
分からないが、たとえばひとつの可能性としては以下のようなこともあるのではないか。
それは、たとえばアメリカの農家も、全部が全部、大規模農家で、遺伝子組み換え生産物に転化しているわけではないということである。アメリカの農家の2割ぐらいは、特定の消費者と提携する形を進めたり、有機農業や、より安全な農業を進めようといろいろと模索している。遺伝子組み換え技術の農業がまさに現実にどんどん進んでいるからこそ、それに対して異を唱え、違う道を模索しているのである。日本の農家は、たとえば、こうしたアメリカの2割ぐらいの、大きな流れに抵抗し、別の道を探ろうとしている農家の人達と連帯していくことは出来ないのだろうか。アメリカやカナダの大規模農家に負けないぐらいの強い日本の農家をめざすというのではなくて、アメリカの2割の小規模でも独自の道を模索している農家の人達と連帯をしていくこと。たとえば、そういう方向性はないのだろうかと思うのだ。
0



トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ