2005/5/3

パンダ外交はワシントン条約違反だったのか  ニュース

*下記のニュースの、「陳水扁総統は、パンダがワシントン条約で保護対象の動物であることを理由に受け取らないとの考えを示したという。」というのに、ええっ?と。
パンダの取り引きはワシントン条約に違反してたのか?
そうすると、日本も条約違反をしてきたってことか?

(ニュース)
<中国>台湾にパンダ一つがい贈ると表明 融和ムードを演出
 【上海・庄司哲也】中国共産党台湾工作弁公室の陳雲林主任は3日、台湾にパンダ一つがいを贈ると表明した。台湾の最大野党・国民党の連戦主席一行が同日、上海から台北へ戻ったのに合わせ、台湾住民に向けて「中台融和」ムードを演出するのが狙いとみられる。しかし、台湾の中央通信によると、陳水扁総統は、パンダがワシントン条約で保護対象の動物であることを理由に受け取らないとの考えを示したという。
 陳主任は「パンダは平和・団結・友愛を象徴し、中華民族の貴重な宝。連戦主席に続き(5日から台湾第2野党の)親民党の宋楚瑜主席が大陸を訪問する今、両岸(中台)同胞の感情は一層解け合った」と述べ、台湾でも人気のパンダを台湾側が受け入れよう求めた。
 陳主任は、(1)大陸住民の台湾旅行を近く開放する(2)10品目以上の台湾産果物を免税措置にする――ことも表明し、反国家分裂法により台湾側で高まった反発を和らげる意図もある。
 これに対し、台湾の陳総統は3日、訪問先のキリバスで「(パンダ贈呈を中国の)統一攻勢と考えるべきではないが、国際条約には違反できない」と述べたという。
 台湾の呂秀蓮副総統も同日、「中国政府が中華民国(台湾)とよい関係を築くのが目的なら台湾住民はパンダを楽しみにする。しかし、香港やマカオで進める(中国内の)都市交流のためなら、それは台湾を(中国の)一地方とみなすものであり、台湾住民は受け入れを拒む」と警戒感を示していた。
 パンダは中国の第一級希少動物に指定されている。中国は80年代初めまで、各国との関係改善や緊密化のため積極的に贈呈し「パンダ外交」と称された。無償で大陸以外に渡れば、82年の日本以来となる。
(毎日新聞) - 5月3日21時16分更新
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2005/5/3

憲法第九条について、その他  時事問題

憲法第九条を現在の情勢では護持した方がいいといったことを書きましたが、しかし、この理念が絶対的に正しいものであり、従って自衛隊も撤廃するべきであると考えているわけではありません。
今の情勢で自衛隊を撤廃するのはあまりに危険だとは思います。
憲法第九条を改正してもしなくても、中国や北朝鮮と戦争になる可能性はもちろんあります。憲法第九条があれば安全だということはありえません。
しかし、憲法第九条を護持して、これを外交のひとつのカードとして使おうというのが僕の考えです。
憲法第九条を銘打っている国に攻め入るのは、当然、攻め入った側の国が世界中から批判されますから、相手国にとっても容易なことではないと思うからです。むしろ、ここで憲法第九条を改正したら、それを理由に中国や北朝鮮が日本に攻め入ることがより可能になってしまうように思います。
もちろん、憲法第九条があれば絶対にどこも攻めて来ない、安全だと思うわけではありません。憲法第九条を護持し、しかしいざという時のために自衛隊はあるという現在の形を持続するのが今の情勢ではいいように思うのです。

戦後、自民党が中国などのアジア諸国に対してとってきた外交が弱腰だったのではないかと批判する人がいるようですが、僕はこの点では自民党はバランスをとってうまくやってきた方なのではないかと評価したいと思う方です。
自民党という政党は、党内に親米、親中国の議員がそれぞれいて、そのことでアメリカとアジアの両方とうまくバランスをとって付き合い、戦後、やってこれたように思います。アメリカとアジアのどちらか片方ではなく両者とバランスよく付き合っていくことがやはり大切だと思います。アメリカべったりだとこの先、アメリカが中東の戦争で行き詰まりベトナムのように撤退することになった場合に(そうなる可能性が高いのではないかと僕は推測しているのですが)日本の立場は非常にまずくなります。
もちろんアメリカが戦争に勝つか、負けるかは分かりませんが、どっちに転んでもいいように、どちらの場合でも対応できるように選択の余地は残しておくべきではないかと思います。
その意味では、自民党の、アジア諸国に対する弱腰外交と批判されるやり方は決して間違っていたわけではなかったのではないでしょうか。
そもそも中国や韓国よりも日本がとりわけ損して国益を損なっているということは現実にないように思います。日本は戦後、見事な経済発展を遂げて、現在は不景気ですが、それでも他のアジア諸国よりもいい暮らしをしていることは間違いありません。現実に日本の方が暮らしぶりがいいのに、日本が中国や韓国に比べて損をしているというのはあまりに説得力がない主張だと思います。
領土問題に対して食い違う主張をしているようですが、日本側も相手国の主張を認めていないし、中国や韓国との貿易で利益も得ているのですから、中国や韓国とうまく関係を保つことが国益に反しているとは思えません。
また北朝鮮との間でさえ、貿易で利益を得ていることは事実です。しかし、北朝鮮の場合は密貿易なので、これは取り締まるべきかとは思います。北朝鮮へ経済制裁をすることを主張する人達がいますが、僕はあまり効果的な政策だとは思わないので(むしろ逆効果にならないかと危惧しているので)経済制裁には反対なのですが、国交のない北朝鮮と密貿易で利益を得ている人達が国内にいることは問題かとは思うので、経済制裁をするかどうかという以前にもっと厳重に密貿易を取り締まることが必要なのではないかと思っています。
それから、靖国神社に対しては、多くの亡くなられた軍人の遺族が靖国神社を支持している現状がある以上(僕の父の兄、おじさんにあたる人も軍隊へ行き戦死しているのですが)、靖国神社をなくして他に戦没者墓碑を作る(千鳥ヶ淵戦没者墓苑を発展させるなりして)ことは現実的に難しいかと思います。ですから、靖国神社をなくすべきだとまでは思いませんが、ただ東京裁判でA級戦犯とされた人達が合祀されている神社に首相が参拝することは戦争をした相手国から抗議を受けていたしかたがないものかと思うので、これはやめた方がいいと思います。
東京裁判について、戦勝国が恣意的に裁判を行ったものなので有効性がないのではないかと言う人がいるかもしれませんが、現在の国際体制では戦勝国が相手国に対して裁判を行うという形でしか、戦争犯罪を裁くシステムはなく、多くの人達が被害にあった戦争についてなんの裁判も行われなくて、なんの刑罰も下されず補償もされないのでは問題かと思うので、東京裁判を行ったことは歴史的に意義があったこととして認めるべきではないかと僕は考えています。
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2005/5/3

南京虐殺について、その他  時事問題

以下は、「21の手習い。」さんのブログ「中国についての超私見」を読んで思ったことです。

http://blog.livedoor.jp/densaku2/archives/19229978.html#comments

今日は。
僕は南京虐殺はなかった派の本も何冊か、読みましたが、正直、論拠として弱いように思います。
以下、4月21日付記事「日中の歴史の客観的事実は明らかにし得るのか」(記事カテゴリは「時事問題」)と重なるところはありますが。

たしかに、南京虐殺の被害者の数など、中国側の資料におかしいところはあるのかもしれません。
中国側の資料、証言や写真がすべて事実だろうなどとは僕は思いません。
人間は嘘をついたり出来るし、記憶違いということもありますから、証言は事実であるという前提で考えることは危険だとは思います。
しかし、かといって、南京虐殺について中国側が言っていることのすべてが虚偽であるとまで言うには、日本の研究者が提出している論拠はあまりに弱すぎるのではないでしょうか。
たとえば、日本人憎しの感情を持つ中国人が証言した場合に、自分がいかにひどい目にあったかをより多くの人に伝えようとして物語的な誇張の要素を入れたり、あるいは人づてに聞いた話を自分の体験であるかのように語って証言している、そういうケースはあり得るとは思います。
しかし、そうした証言のひとつひとつを分析して、事実関係としておかしいと分析していったとしても、だからといって、そこから「こうした事実はすべてなかったのだ」という結論には至らないわけです。証言者が人から聞いた話を自分の体験であるかのように語っている場合ですと、仮に他人の体験を自らのものとして語っている証言が嘘をついているものだと証明されたとしても、それはその個人が嘘をついたということはたしかに明らかになったとは言えますが、その内容そのものが世の中でまったくなかったことだろうとは言えないからです。つまり、その証言者とは別の人の身にそういったことが起きていたのかもしれないからです。
またその人自身の体験であっても一部を誇張して言った場合だとすると、その誇張の嘘の部分が実証されればたしかにその証言自体の信憑性というものがかなり疑わしくなるとは思いますけれども、それでもその証言内容がすべて虚構のものであるかどうかまでは分からないわけです。(もちろん、すべての内容が虚構の証言というのも人間には嘘をつく能力がある以上、全くあり得ないとは思いませんが。)
証言におかしなところがあったとしても、証言の内容がすべてなかったことであるとまでは言えないということです。
写真にしてもそうで、虐殺写真の信憑性を疑い、これは別のこういう場合の写真ではないかと分析したとしても、それもまた一つの推論でしか、ないわけです。仮に虐殺の時の写真ではないことが実証されたとしても(多くの日本の研究者の論文は他の可能性も考えられるということを分析している範囲で、決定的な違う写真であることの実証にまでは至っていないのではないかと思いますが)、だから虐殺はなかったのだという結論にはならないわけです。
ですから、「もしかしたらなかったという可能性も考えられる」という程度にひとつの可能性として言うのなら分かるのですが、「こうした事実はなかったのだ」とまで断定してしまう、そこまでいくとやはり強引に結論を導きだしているように思えます。
もちろん、南京虐殺がなかったということも可能性としては考えられます。しかし、現時点では、あったという可能性、なかったという可能性、両方が考えられるものであることを前提にして、いかにして中国側と付き合い、再び戦争を繰り返さないようにしていけばいいのかを考えて行くしか、ないのではないでしょうか。
一番、重要なことは、過去の事実関係を明らかにすることよりも、とにかく戦争して殺しあいをしたことはたしかなんだから、そうしたことを繰り返さないようにするためにはどうすればいいのかを考えて行くことではないでしょうか。
歴史学者ならば事実関係を明らかにすることにこだわるのは分かりますが、歴史を専門にするのでなければ、それより我々、ひとりひとりがいかにして戦争を再び繰り返さないようにしていけばいいのかを考えることの方が重要なように思います。
僕個人は、そのためにも憲法第九条を護持することが現在の選択としてはいいように思っています。単に理想を追い求めるためではなく、具体化していくためにです。戦争もたしかにひとつの外交であることは僕は認めますが、同時に憲法第九条を盾にして戦争ではない形で問題を解決していくことを表明し他国に求めるのも外交のやり方としてあると思います。日本の場合はそうした方法を模索していった方がいいと思います。
もちろん、これは中国側の言うことをなんでも認めようということではありません。我々、日本人側が戦争を再び繰り返さないために努力をしていくとともに、中国人側にもそうしたことを求めることが必要です。たとえば、台湾が独立するなら武力攻撃をするようなことを中国政府は言っていますが、これに対しては世界中の人達が武力ではなく話し合いによって中台関係を解決するべきであると求める必要があるかと思います。もちろん、中国が武力を用いたからといって、それに対してさらに日本やアメリカが武力を用いるなどというのは間違いだと思います。
過去の事実関係をいくら明らかにしても、死んだ人が帰って来るわけではありません。我々はリアルタイムで生きているわけですから、未来のことを考えた方がいいと思います。靖国神社にこだわるような人達は過去のことにとらわれ過ぎていると思います。
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