2005/5/26

やさしくキスをして  映画

ケン・ローチ監督の『やさしくキスをして』を鑑賞。
ケン・ローチはなんて残酷なのか。
「珠玉のラブストーリー」という宣伝文句はたしかにそうとも言えるのだけど、こうした宣伝文句とスイートな題名に期待して見に行くとシビアな描写に裏切られるだろう。
何が残酷って、残酷なことをしている人達の気持ちが細かい人間描写によりよく分かってしまうことが残酷なのだ。その人物が何を考え、むしろ、家族や他人を大切に思う気持ち、やさしさから「残酷」な行動に出ていることが伝わって来るのである。
つまり、どの登場人物も単純に善玉、悪玉で区分け出来るような描き方をしていない。
主役の男女2人も。
本来なら周囲の障害をこえてひかれ合って行く主役の男女2人にエールを贈りたくなるようなストーリーなのに、2人の恋愛を妨害する周囲の人達の気持ちや事情も分かって来るため、本当に2人が恋愛を貫くことが正しい選択なのだろうか?ということさえ、疑問になっていく。
観客をこんな気持ちにさせるなんてローチはやっぱり残酷である。
さらには、主役の男女2人の中にひそむ残酷さもきちんととらえ出している。主役の男女は一方的に悲劇にあわされているわけではないのだ。
若い男女がひかれあうのに、ともに音楽をやっていて、音楽を媒介にしてひかれあっていく描き方が秀逸である。音楽は文化の壁をやすやすとこえてしまうものなのだ。
そして、夏の恋の映画である。なんともユニークな描写のベッドシーン(言葉と身体のやり取りの組み合わせ方がユニーク)、スペインの海といった夏の雰囲気を漂わせ、何やらヌーヴェルヴァーグ的な雰囲気だなと思えるところもあるのだ。ところが、そう思って見ていたら、ベッドシーンの後にローチならではの残酷な展開が待っていたのだ。
また、やはり音楽を巧みに使ったヒロインが生徒達に授業をしているシーン。表面的には淡々と挿入されていて、台詞もないのだけど、台詞がないだけに音楽というものがもつ残酷さを浮かび上がらせていると言える。このシーンは実はこの作品の肝と言っていいようなシーンなのではないか。これがあるからクライマックスの残酷なシーンが効いてきているように思えるから。
しかし、何度も残酷な映画だと書き、善玉とか悪玉に人物が区分け出来ないと書いたけれども、これは逆に言うと、善玉にも悪玉にも区分け出来ない、残酷さももつ人間というものをまるごと肯定しているとも言える。だからどこか、アナーキーな大らかさも漂っているのかもしれない。ローチの映画が意外とジャン・ルノワールの映画のような感触を漂わせるのはそうしたものが感じ取れるからではないだろうか。
人間描写がテーマ主義をこえていく。それがたまらなく映画的な感触を醸し出していると思う。
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ