2005/6/1

オペレッタ狸御殿  映画

『オペレッタ狸御殿』鑑賞。
あまりに楽しい映画でつい2回、続けて見てしまった。

鈴木清順のような破天荒な映画を撮る監督が何を考えているのかなんて憶測しようもないけれども、どうも『ツィゴイネルワイゼン』のような芸術風の路線と、『カポネ大いに泣く』のような娯楽路線とがあるような気がする。(清順監督自身の頭の中で本当にそんな区分けがあるのかどうかは分からないが。)そして、個人的には『カポネ大いに泣く』を『ツィゴイネルワイゼン』の10倍好きだといっていい僕としては、新作がオペレッタ映画と聞いただけで清順流の娯楽路線かと期待してしまったわけだけれども、その期待を全く裏切らないご褒美のような珠玉作だった。
もちろん、『カポネ大いに泣く』も今度の『オペレッタ狸御殿』も、清順流の娯楽映画ということであって、相変わらず、出鱈目な細部に満ちてて、特にカットつなぎが過激なまでに出鱈目で全く自由自在に繋がってしまうといういつもの清順タッチであるわけで、普通の(というか、ほかの)「娯楽映画」とは異なるものではあるんだろうけれども、しかしこの監督なりにやはり娯楽のつもりで撮ったものなのではないだろうか。
でも、今度の作品で注目されるのはデジタル技術を大いに活用し駆使していることだろう。『カポネ大いに泣く』の頃だったら書き割りの背景でやっていたものをデジタル処理で行い、しかも美空ひばりがデジタルで蘇って出演して歌まで歌ってしまうのだから唖然とするほかないが、すごいのは、デジタル処理を取り入れようとなんだろうと、相変わらずの清順タッチの映画として屹立していることだろう。つまり、フィルムで撮ってきた職人監督がデジタル時代にそういう技術を取り入れて、みたいな感じのものとは違い、いつもと同じように、デジタル技術を用いてやってみました、という感じなのだ。つまり、鈴木清順はフィルムからデジタルへの技術の変遷なんて問題は最初からこえた存在なのだ。そんなツールをこえて、他の誰にも真似しようがない、独特の映像タッチを確立させてしまっているのだ。
その意味では清順は経歴はプログラムピクチュアあがりの職人監督であるのに、全く職人気質とか、そういうことを超越してしまっているようなところがあると思う。たとえばイーストウッドやケン・ローチの映画を見ると、とにかくこの監督たちは映画の職人なんだなあと思うんだけど、清順は何か、そういうことを超越してしまっている。だから、かつて「分からない映画ばかりを作る」という理由で日活を解雇させられたという話も、日活上層部の人達は見る目がないなあと思うより先に、あんな映画ばかり撮ってたら当然だよなあと思ってしまったりする・・。
それから、清順の超越したところとして、今度の作品でも桜を散らしたシーンの後にその桜をホウキで掃いているカットを入れたり、妙に律義に「これは物語なんですよ」ということを示すような瞬間を入れることがあるけれども、これはもしかしたら物語をクールにとらえたある種の異化効果としてやっているものなのかもしれないけれども、僕は異化効果とかそういうこと以前に、感覚的に味わいがある、清順流のとぼけたユーモアの人生観みたいなものを漂わすところとして、妙に好きだったりする。それは、たとえば極楽カエルの奇妙な鳴き声のシーンの、ギャグなのか、そうでないのかがよく分からない(でも観客はけっこう笑っていたので、やっぱりギャグなのだろうか?)変な感覚のところとかにもうかがえるものかもしれない。
チャン・ツィイーが歌い踊り、決闘シーンもあり、魅力爆発だけど、ところで風呂のシーンで上着を脱いだと思ったらそこまでで後は見せなかったんですが、あれは一体、なんのつもりだったんだろうか!?
脚本が多くのアニメ作品の脚本家として知られる浦沢義雄(鈴木清順監督とはなんといっても『ルパン3世』のコンビである)であるだけに、アニメ風の感覚もあるようなので、アニメ好きの子供が見たらどう思うのかなと思った。
浦沢氏は劇中曲の作詞も兼ねているようだけど、曲は大島ミチル、白井良明(ムーンライダーズ)、さらには東京スカパラダイスオーケストラまで出てきて、まさにお祭り騒ぎですね。

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